第20話
「ほんじゃ始めますか」
アンオブタニウムの板から距離を取った京太郎が深く息を吐き、右腕の包帯を解いて足下に
ふわり、京太郎の髪が巻き上がったかと思うと室内にも関わらず風が吹いて京太郎を中心に渦巻く。
やがて、京太郎の姿が景色に溶ける。
「……!」
鴨脚が、椎葉までもが息を飲む。カメラ越しではなく、モニター越しではなく肉眼で捕捉してなお、都京太郎の姿は消失している。
千子が横目で見たモニターでは室内の温度は摂氏百四十度と、到底人間が活動していられない温度を告げる。
その煽りを受けてか、この部屋の気温さえ上昇している気さえしていた。
「テンカウント・フルカウル」
京太郎の声が響くと、渦巻いていた空気が払われて、以前と同じく紅顔の少年がそこに立っていた。
以前と違うのはその右手に太陽を切り取ったような光球を携えていること。
「
砲丸投げのフォームで突き出された光球が形を崩しながら渦巻き、やがては一条の光となって
それは神話に謳われるインドラの矢の如き偉容で、アンオブタニウムの板をいとも簡単に貫いた。だというのに照射を受ける部屋の壁は火の粉を散らばせるばかりで傷つく様子もない。
十秒ほどが経過すると、照射されていた光条は蛍が飛び立つように粒子となって解体された。
静寂。誰も言葉を発せないでいる空間にただ一つだけ、アンオブタニウムの板に残る円状の穴が蓋を溶かしてじゅうじゅうと唄っていた。
「……俺が知る限り、それを破壊できる人間は三人。今、四人になったけどな」
椎葉の言葉に不敵な笑みを返した少年がガラスの先の部屋から戻ってくる。
扉が開けられると、ひりつくような熱が部屋に流れ込んでくる。
「これで証明になったかな、紫芳院さん」
「……ええ、そうね」
たじろぎながら応える鴨脚が紅潮して見えるのは部屋の温度が上がったからだろう。
「本当に同一人物だったんだな……」
「みんな同一人物かどうか疑うんだから、この通り僕は都京太郎ですよ」
「いや、アレからコレの変わりようだからなぁ……」
「おとー……さん?」
「ほれ見ろちびっ子も困惑してるじゃねえか」
「そんなに変化無いと思いますけどねぇ。あの姿は謂わば最終決戦仕様、フルアーマーです。使い捨ての高火力兵器をパージしたら通常形態が飛び出てくるのと一緒ですよ」
「そういう答えが出てくる辺り本当に同一人物なんだな」
「私は美味しそうなので好きですよ、どちらも」
「はは、聞こえない」
いつもの調子で談笑をする京太郎に、ようやく納得した鴨脚。口では納得の意を伝えたものの本心では懐疑的だった。
なにしろ変化があり過ぎる。見た目も、中身も。
会話の様子からして本当に都京太郎なのだろうが、調子が狂うったらありゃしない。
「にしてもスゲェ威力とはいえ一度きりしか使えない〈
「あぁ、いやいや。魔術じゃないですよ、これは」
その場に居た全員──当人とツイナ、それからクシナを除く──が目を丸くした。
「は? じゃあなんだってんだよ」
「あれは自前です。都の焔、赤手空拳の奥義。と言っても僕にしか使えずに継承できない技なので奥義としては出来損ないなんですけど」
「なるほどな、言ってる意味がわからん」
「簡単に説明すると、先払いで脂肪を急激に燃焼させる事によってエネルギーを精製して体内に循環させる事によって保持するんです、それを一定量を放出し続ける事によって十秒間のみ超火力を実現できるんですよ。ちなみに電撃を纏っているのは急激な物質代謝によるイオン分布の不均衡で発生した強烈な生物電気を────」
「待て待て待てコラ、トンデモ科学で脳味噌汚染しようとするな。エネルギーに先払いもクソもあるか物理法則ナメんな」
条理を無視した解説をする京太郎の言葉が、椎葉の手刀によって遮られる。
「生物学、延いては医療に席を持つ人間として何一つ看過できないけど、ここは百歩譲ろう。けど余るはずの皮膚はどうなったのかな、それはエネルギーに変換できないだろう?」
言われてみれば尤もな質問に、京太郎へ視線が集まる。
身長一九◯センチの体重が百貫手前の人間と同じ骨格をしているか疑わしい体型が、身長一七◯センチの引き締まったスポーツマン然とした体に変わったのだから皮膚はおろか骨さえも余りそうなものだが、京太郎の皮膚は照明を淡く照り返すハリがあり、佇立する姿に不自然な部分は見受けられない。
「それはまあ、内功で」
「わかった。僕の手には負えない話なんだね」
真剣な表情で返答を待っていた千子だったが、返ってきた中国武術の基礎語句に匙を投げる。
気功やチャクラに闘気。アジア圏の武術で語られるそれらの不可視の力は長らくアジア圏に於ける魔力の呼称と考えられてきたが、近年調査を実施した結果別物だという事が発覚した。
魔力とは性質や理の異なるものであり、それらの力は自然界では発生せず、人体でのみ発露するものであるという事がわかった。
それらの発現要因、原理などの調査は困難を極め、物理を無視した超科学である魔術分野にとっても難解なものとされている。
しかし、それらの力を行使する者たちの口から解答は示されている。「畢竟、気合い」だと。
「しっかし、アレがコレになったのも驚くがコレがアレになるのも驚きだな。元に戻すまでどんくらい掛かるんだ?」
「今晩に十万キロカロリーほど摂取できれば明日にも」
「アメリカで一番喧嘩が強い男じゃねーか。これ以上宗さんの脳味噌を攻撃するんじゃねーよ頭抱えてんじゃねえか」
一般的な成人男性が一日に必要とするカロリーは二◯◯◯キロカロリー前後、赤身のリブステーキが一◯◯グラム約二◯◯キロカロリーとすると単純計算でステーキ五◯キログラム。人間ひとりほどの重量を摂取することになる。
とても現実的ではないが、現実として存在しているのが都京太郎だ。
「じゃあ、あんたの〈固有魔術〉はなんなのよ」
頭を抱える千子にちょっかいを出していると、話を戻せと鴨脚が不機嫌に声を張る。
彼女にしてみれば「歩兵最大の武器である〈固有魔術〉を使わずに倒された」と突きつけられたも同義であり、それを踏まえれば仕方のない反応と言える。
それをわかっているからこそ、京太郎は困ったように頰を掻きながら適切な言葉を選ぶ。
「別に紫芳院さんとの戦いで〈固有魔術〉を使ってなかったってわけじゃないんだ。その、僕のは精神に作用するタイプなんです」
「へえ、そりゃ珍しい。効能は?」
「……名前を【
抽象的な表現に椎葉が首を傾げる。
「正しく認識されないってのは?」
「そう、ですね……こればかりは対象にならないと分かりづらいんですけど、つまりは僕が何を考えているか、何を目的に何をしようとしているか、何を繰り出すか。僕が動き出す直前まで理解する事ができなくなるんです、まるで思考に靄がかかったみたいに」
「じゃああん時に紫芳院がやけっぱちだったのは……」
「【不形獣】によって僕の事を正しく認識できなくなったうえに冷静な判断を欠いたからですね。長く会話を続けるほど効果は強くなるので、あの時は特に。だから、その……」
急に言い澱む京太郎に鴨脚が疑問符を浮かべると、チラリ視線が一瞥する。
「だからあの時は紫芳院さんが冷静じゃなかったとか未熟とかいうんじゃなくてその、これはむしろ塾考を重ねる人間ほど効くっていうか格上向きというか……」
そこまで言われて鴨脚は気づく。今この男はフォローをしているのだと。
自身が敗北に憤慨しているのではないと見抜いたからこそ、こんなくどい話をしているのだと。
しかし、それは鴨脚にとって屈辱の上塗りに違いなかった。
「見透かされたみたいで腹立つわね!」
「ごめんなさい!」
咄嗟に頭部を守るように抱えた京太郎だったが、いつまでも来ない衝撃を不思議に思いつつ姿勢を解いた。
「ちょっと、なに防御体勢とってるのよ」
「いや、いつもの感じだと殴られると思って」
「私の事を癇癪持ちの暴力娘だとでも思ってるの!?」
「違うんだ……」
「違ぇんだ……」
「違うんですか……」
「違かったんだ……」
「ちがー」
京太郎と椎葉、それにツイナはまだしも、殆ど交流のない千子にさえ驚愕されたのは心外極まる。クシナは周りに合わせただけなので気にすることでもないのだが、それでも少しは傷つく。
「私は侮辱や不敬に当たる態度を取られなければ手をあげる事もありません!」
「僕、いつも紫芳院さんと仲良くしようとしてるだけなのに……」
「普段の貴方は脳にまで脂肪が詰まってるのかしら?」
友好の意が伝わっていなかった事に驚く京太郎だが、むしろ普段の言動に親交を深めようとする意思があった事に鴨脚は驚愕する。
思い返せば確かに、交わした言葉は基本的に仲を深めようとするものであり、時折り混ざる不躾な言葉も茶々と流せないでもない。
何より自身だって本来はすぐに暴力に走るような苛烈な性格をしていない。それが京太郎の〈固有魔術〉による影響だというのなら納得がいく。
「……ちなみにいつから発動していたの?」
「最初に『殺すわよ』って言われたときから」
「んなっ!」
「はは、常在戦場の理念に基づく流派なもので」
普段から無駄にトラッシュトークを挟んでいるわけではない。基本的には常に【不形獣】を発動させ、敵対の予感があったその時から饒舌になって蝕むというだけ。
いつ戦闘が始まってもイニシアチブを取れるというメリットがあるが、端的に言って相手の知能やモラルが下がるのでデメリットとして妙に暴力を振るわれやすくなる。
「しかしまあ紫芳院がやられたとおり、普段のコイツに話しかけられて無視を貫くってのは困難極まるだろう。ほぼ必中と言っても過言ではないし
「一応、攻略法はありますけどね。術中に『いま自分の思考は相手の術によって乱されている』と自覚さえできてしまえば解けるんですよ」
「……それは俺たちに話していいのか?」
「構いませんよ、仕組みをわかったところでいざ術中となるとその思考にすら至らなくなるので」
「おっかねぇの」
厄介なものである。それ即ち明晰夢を見るのと同義。
夢の中で「これは夢である」そう自覚しなければならない。それはわかっていても、いざ眠りに誘われると記憶は抜け落ち、夢の世界と現実を隔てる認識の境界は曖昧に消える。
仮に明晰夢と同じ攻略法を取るのなら一度でも術を破り、その時の感覚を頼りに思念を導く事になる。が、それは一度でも術中から脱出できたらの話。
一度でも攻略できなければ永劫に初見殺しが続くという強力に違いない〈固有魔術〉。
「流石は冬薙先生が目にかける生徒だね、才能に溢れていて眩しいよ」
おそらくは世辞として放たれたであろう千子の言葉に京太郎は一瞬だけ虚無の表情を挟んで困ったように笑う。
「ありませんよ、才能なんて」
「謙遜することなんて……」
続けようとした千子が京太郎の顔を見て沈黙する。
「僕は元々、祖父に血の繋がりを疑うほどに才能無しと都の焔の享受を拒否された人間ですよ」
京太郎の焦点は眼前ではなく、どこか遠い場所に当てられていた。
まるで悠久を生きる存在がありし日を思い出すかのような顔をする十六歳の少年に、誰もが沈黙せざるを得ないでいた。
「……なら君はとても、努力家なんだね」
千子の言葉に京太郎はまた、困ったような曖昧な笑顔を見せる。
「努力したのは否定しません。今この時に至るまで怠った事もありません。でも僕がしたのは努力というよりかは、ズル……ですかね」
「それはどういう……?」
「なんにしても、才能なんて無くても後々の努力でなんとかなるものですよ、世の中って」
やんわりと誤魔化した京太郎はそれ以上語る事もなく、訳知り顔のツイナも沈黙したまま黒い鼻を膨らませて京太郎の頰へ頭を擦り付けている。
場が静寂に包まれると、年季の入った低い声が京太郎に賛同した。
「その通り、能力とは先天的なものよりも研鑽によって後天的に得たものの方が優れているものだよ」
ぞわりとした悪寒に京太郎は慌てて振り向く。
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