第8話
鉄の扉が開くと待ち構えていたのは見知った世界。
一歩降りて深呼吸。呼吸器系、嗅覚と共に正常。
陽の光に目が眩む。視覚正常。
どこかの駅の構内だろうか、無音を風が駆け抜ける音だけが侵す。聴覚正常。
抑えきれない緊張と興奮に唾を飲むと苦い痰の味がした。味覚正常。
じわりと湿っていた掌をズボンで拭う。触覚正常。
五体、五感全て正常。身体がこれは現実であると訴えている。
だからこそ戦慄した、
「可能性の世界に来た感想はどう、おデブさん?」
「いやはやなんと申し上げましょうか」
普段は喧しいほどに回る舌も痺れ、脳は言葉のピースを紡げない。
「常々一天六地の世とは言われております現世でぇありますが、実際にこう賽を転がすほど簡単に世界を構築されても困りますですな」
衛士学園、その最大の特色は戦闘訓練にこそある。
兵器の進歩が停滞している由縁とまで謳われている魔術の破壊力を訓練で使用するとあれば人死は避けられない。
だから死んでも問題ない環境を用意した。
幾重にも重なる刹那、無限の枝葉。蝶の羽ばたきが吹く世界。
現実世界が丸写しにされた、可能性だけが存在する世界。
虚数世界への転移。それがこの学園の演習手段。
話には聞いていたが、実際体感すると理解不可能な事実と結論付ける他できることはなかった。
「そ、ならさっさ行けばいいじゃない」
「行け、とは?」
鴨脚が腕組みをしたまま形のいい眉を歪ませる。
「ハンデをあげるって言ってるの。機兵対歩兵が不平等なのはわかってて決闘を押し付けたのだからこのくらいは当然の対応です」
「それならふっかけないで欲しかったんでぶが……それでハンデってどこらへんが?」
言葉の節々に育ちの良さを漂わせながら振る舞う鴨脚だったが、微妙な言葉足らずで上手く意図が伝わってこない。
何度も聞き返されて雰囲気を台無しにされたのが頭に来たのか、鴨脚は不機嫌を前面に怒鳴る。
「だから先に行けって言ってるの! 歩兵なんだからトラップを仕掛けるなり狙撃ポイントの目星を付けるなりすればいいじゃない!」
「いや拙僧この通り徒手空拳ですしおすし」
「セットアップ済ませてあるなら初期状態でも一通りは装備されてるでしょう、ほらそこ!」
鴨脚が指差す先には構内の景色からいささか不釣り合いな複数のクレートが積み重ねられていて、開封すると中にはプラスチック爆弾などの爆発物や多岐に渡る銃器が収められていた。
「はあ、なるへそ。でもこれどうやって使うんです? 銃も撃ち方よく知らなんだ」
「ハァ? 銃器の使い方も知らないなんてアンタどうやって編入試験通ったのよ、魔術が得意な程度で通過できるほど甘くはないはずでしょう!」
「拙僧魔術も得意ではござらんので、シンプルに試験監督を殴り倒しましたです」
鴨脚が嘆息を一つ。頭痛を抑えるように額に指を添える。
「アンタそのなりで白兵戦て……はあ、この決闘、不問にします」
「そらまたどうして?」
「語るまでもないでしょう重火器が使えない魔術も得意でないできるのは殴った蹴ったの延長線、それでどうやって機兵を相手にしようと言うんです」
侮った物言いではあるが、尤もな指摘である。
機兵、特にベイヤードは戦術単位で歩兵の数十倍としてカウントされる。
教本のベイヤード撃破の手引きでも重火器武装の複数分隊全員での伏撃による各個撃破が基本とされている。
それだけ歩兵単機による機兵の撃破は困難な事項なのである。
しかし、それは個人によってパフォーマンスが変わる魔術を組み込まずに想定されている撃破であり、実際にはそれより少ない人数でも可能とされている。
鴨脚は京太郎が編入試験を突破している事を加味して、兵器の使用に長けているか魔術の才が天性なものか、あるいはそのどちらもかと考えた結果の決闘を想定していた。
「なあに、やってみなけりゃわかりやせんて」
だのに京太郎はあっけらかんと笑う。
「つまりはやった事がないのでしょう?」
「普通の日常でロボットとタイマン張る場面なんぞありませんがなw」
はあ、と呆れる姿を見せびらかすように大きくため息を吐くと鴨脚は京太郎に一瞥もくれず改札口を出る。
「言ってわからない愚か者に語る言葉はありません。好きにしなさい」
そう言い捨てた鴨脚の背後に、コンクリートを割って鉄の巨塊が降下した。
砂煙の中で恐ろしげに茫々と光を放つ赤い瞳。
「カ、カッケエエエエッ!!」
『黙って逃げるなり隠れるなりしないと撃つわよ』
鴨脚の乗り込んだ黒木重工業の六世代機<マヒトツ>が立ち上がり、小銃を構えた。
三十ミリの弾丸を放つための大口を向けられた京太郎は妖しく笑う。
「どうぞお好きに。我が焔、
『あっそ!』
黒鉄の筒が火を吹いた。
「人の決め台詞をあっそで流した挙句発砲しますかね普通」
煙を上げて崩壊する駅の改札口から弾き出されたように京太郎は飛び出す。
背後には大通り、見上げると建物に刻み込まれた駅の名前が見えた。
「ああ品川駅、どうりで田舎者なのに見覚えがあったわけだ」
品川駅には地元から東京へ出るため新幹線を使用した際に訪れた。
さして遠くない過去の記憶を引き出し、駅周辺の地図を脳内に構築する。
「あーっとたしかこの大通りの先にデカいのがあって周りのビルは────ぅおっ!」
土煙の中から穿たれた鉛弾が傍らの街灯を吹き飛ばした。
どれだけ甘く見積もっても剛体術でどうこうなる破壊力ではない。
瞬時に京太郎の思考は如何に撃たせないかから、どうやって銃口を向けさせないかへと移行した。
当初の予定では接近して機械ゆえの融通の利かなさを突くつもりだったが、想像よりも小型だった事に加え鴨脚の思い切りの良さを加味した結果それは避けるべきだと考えた。
底の知れぬ相手には迂闊な事はできない。そう考えるだろうと高を括っていたのだが、実際はこうも大胆に出た。
自分たちの暮らす世界とは違うものと説明されて頭でわかってはいるものの、それでも自らの知る街並みと寸分違わぬ景色に躊躇するのが人の常。
しかしながら、どうやらそういった価値観は一年の間にすっかり書き換えられてしまうらしい。
「危ない危な───い?」
未だ晴れない煙幕の中から突き出された銃口はしっかりと京太郎を捉えている。
不味い、そう思うよりも早く駆け出していた。
「オヒィーーーー!?」
京太郎が駆けた軌跡を銃弾がなぞる。
牽制ではなく、京太郎を確実に捕捉している動きだった。
煙幕で未だに映像は灰色一色のはず。京太郎の動きがわかるはずがなかった。
「なんですなんです直感でビット切り落としちゃうタイプの人間ですかァとか言ってる場合じゃない死ぬゥ!?」
叫んだ直後に弾切れを起こしたのか射撃が止む。
好機とばかりに息を整えてあの機体をどう攻略したものか思考を加速させる。
視界を塞がれた状態でどうやって捕捉しているのか気にはなるが、それよりも倒すすべを見つけなければならない。
相手は小銃の弾丸程度なら弾いてしまう鉄の装甲、生半可な攻撃では損害を与えられない。
そもそも小銃を持たれたままでは近寄れない。
たとえ弾薬が尽きるのを待ったところでこの体格差では払った腕にぶつかるだけでも大打撃、最悪即死である。
京太郎は限りある魔力だ体力だを消費しながら有効打を模索しなければならないのに対して、鴨脚は端的に言えば無尽の一撃必殺を振り撒くだけ。
なんとも不平等な戦力差だ。
それが現実。それが当然。人間単一で戦術兵器を相手にした場合の常。
「燃えるねぇ、この逆境……!」
問題のディテールは判明した、後はそれをくり抜くだけ。
やがて弾薬の装填を終えた鴨脚が崩れた駅から飛び出して大通りを背に回り込む。
『見た目より動けるというのは認めてあげましょう。それで、いつ降参するのかしら?』
「ホヒッwまだどっちも被弾無しなのにそんな負けフラグwww」
『ブチ殺すわよ。私に時間を無駄にする趣味はないの、動かないであげるから好きに攻撃しなさい。それで物分かりの悪いあんたでもわかるでしょう』
「初手舐めプは負けフラグ……w」
『さっさとやらないのなら撃つわよ』
「ああんやりますやりますやらせていただきますゥ……それじゃあお言葉に甘えさせていただきもうして────いくぜよ!」
京太郎がアスファルトを軋ませながら大きく跳躍した。
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