第17話

「てなわけでイーチョウちゃん! おゲーンキ?」

 学生寮六階、奇しくも自室の隣だという紫芳院しほういん鴨脚いちょうの部屋のインターホンを押す。

 しかし待てども待てども反応は無い。

「ノックしてもしもーし」

 扉を叩いても反応は一向に無い。

「おかしい、反応が無い。何かあったんじゃ……?」

「何も無いからこそ反応が無いのでは?」

 真実を言っているようなツイナの言葉を無視してインターホンを連打する。鴨脚の性格を考えるとその内出てきそうなものだったが、その様子もない。

「んー?」

 腕を組んで首を傾げる。中から人の気配を感じるので留守という事はないはずなのだが。

 鴨脚がここまでされて居留守を貫けるほど我慢強いのであれば、そもそも初対面時に因縁を付けられていない。

「鴨脚ちゃーん、出てくるまで部屋の前でクソデカ声のラジオ体操しちゃうぞいいのかー? 明日の朝に水溜まりで力尽きた豚さんを見る羽目になってもいいのかー?」

 それでも扉は沈黙している。

「ラジオ体操第一、腕を前から上にあげて 大きく背伸びの運動ォォォッ!!!」

 裂帛の気合いにビリビリと空気の振動するのを肌で感じる。いくら部屋が防音とはいえ完全ではない。この音量なら耳を塞いでいないかぎりは部屋の中からでも聞こえるだろう。

「ォイッチ、ニィ!! サァ──ベヘァwww」

 勢いよく開け放たれた扉は京太郎の顔面に直撃し、鈍い音と共に顔を押さえた京太郎が尻餅をついた。

「ンヒィwwwと、取れっwwwwww鼻取れwwwwww」

 こむら返り、肘の強打、アイスクリーム頭痛。人間はじんわりと広がる痛みを味わうと何故か痛みに耐えながら笑う。

 愉快な事は何も無い。痛みに対する苦悶と悲痛、憤りさえあるのに何故か笑うしかできなくなる。

 いつもと同じ嘲笑めいた笑い声ではあるが、今の京太郎の状況がまさしくソレである。

「……用件は?」

 ドアノブを回し、蹴り放って玄関扉を開けたらしい鴨脚は腕を組んだまま、竦んでしまいそうなくらい冷えた瞳で京太郎を見下ろす。

「な、なんでちょっとホカホカしてるのw特性しめりけ?」

「フンッ!」

 赤くなった京太郎の鼻頭に容赦無く裸足の踵が刺さる。

「ホゲェwwwwww」

「今のはご主人が悪いですよ」

「シャワーを浴びて悪い?」

「さ、先にシャワー浴びてるなんて鴨脚ちゃんのエッチ! 肉食系!」

 再び来るであろう蹴りを予想して顔の周りに回し受けで円を描くが、それらしい反応はない。

 何も言わない鴨脚は踵を返して部屋の奥へと消えてしまったかと思うと、早足気味に戻ってきて逆手に持った包丁を京太郎の脳天目掛けて振り下ろした。

「それはマズイ! 豚バラ肉はマズイって鴨脚ちゃん!!」

「もしそうなってしまわれたら私が責任を持って平らげます」

「アレわりと乗り気? 阻止して?」

「何しに来たのよあんたらは」

「説明する、説明するから包丁放そう!」

 いくら腕力に差があるといっても座した状態では、本気で刺しに来ている人間の腕をいつまでも掴んでいられない。

 説得を聞き入れた様子の鴨脚が腕の力を緩めたのに安堵すると脳天に鋭い痛みが突き刺さった。

「痛ァい!」

「あんたが放せと言ったんでしょう」

「屁理屈捏ねる小学生?」

 少し出血した程度で済んだが、なんだか最近周りの人間からの暴力がエスカレートしている。エスカレーターというよりカタパルト射出している。

「それで?」

「いやね、少しお話をと思いまして」

「私は話すこと無いから」

「そこをどうにか!」

 閉められようとした扉に京太郎の包帯を巻かれた太い腕が差し込まれる。

 が、お構い無しに鴨脚は扉を閉めに掛かる。しまいには勢いをつけて閉めようとさえする。

「容赦の程が無い!」

「帰って欲しいんだから当たり前でしょっ!」

 当初あった良家のお嬢様然とした態度は何処へやら、目の前にいるのは他人の腕を靴べらで叩きながら強引に扉を閉めようとするお転婆娘が映るばかり。

 これが恋愛シミュレーションゲームのヒロインだったら返金騒ぎになっているだろう。

 と、一瞬考えたがそもそも最初から半分ほど猫の皮は剥がれていた。そういう二面性もといギャップがウリなのかもしれない。

「おねげぇしますだ少しだけでも!」

「イ・ヤ!」

「質問とかでもいいんでぶ! 今なら何でも、スリーサイズとか答えちゃうからっ!」

「……なんでも?」

 京太郎の肘が破壊されようというあわや、鴨脚がピタリと動きを止めた。

「え、そんなにスリーサイズ知りたい?」

「ぶつわよ」

「はい、ごめんなさい」

 扉が開かれると、腕を組み少しの逡巡を見せた鴨脚が、何故か頰を赤らめながら悔しそうに尋ねる。

「あの男は……本当にあんたなの?」

「はて、あの男……孤独なシルエットの伊達男ですかな? それともテンガロンハット被った味覚障害の風来坊?」

「私を倒した男っ! あんたが消えたと思ったら立ってた男よっ!」

「ンありがとございまァす!」

 照れ隠しか、あるいは怒りの発露に放たれたビンタが久々に殺意の無い暴力。

 よく響いた音とは裏腹にそこまでの痛みは無く、頰を撫でていれば痛みは消える。

「ん〜まあ、説明するのは簡単だけれども、自分で見たもの以外は信じないタイプの人でしょ鴨脚ちゃん」

「……証明できるの?」

「そらできますとも、できるんですが見返りに島の施設を案内してくれませんこと?」

「ハァ? なんで私がそんなこと」

「アレを見せるのはいいんでぶが、やった後に食費が高騰しちゃうんだな。だから何かしらの見返りが無いと嫌なんだな。案内がヤならデートでもいいんだな」

「代案で悪化させるな」

「関係のステップアップを悪化って言われるの初めてだな」

 してくれるとも思ってはいないが、そんなに拒絶しなくてもいいと思う。

 今の状態の都京太郎は底抜けに明るく打たれ強いが、何も傷ついていないというわけでもない。

 弄られキャラというのはボディランゲージも身体的特徴に対する暴言も大抵は笑って流すが、ダメージはしっかり通っている。スーパーアーマーが付与されているので行動を阻害されないだけで、体力がゼロになれば普通に寝込む。

「ま、デートは冗談としても島の案内はお願いしたいところでござい。前に食材を買いに行ったら普通に迷子になって燕氏に心配かけちゃったのよね」

「……なんでそこで冬薙燕の名前が出てくるのよ」

「おっと。それについてもまあ、お散歩の最中にということで」

 険しい顔をした鴨脚だったが、好奇心を秤に掛けて僅差で天秤が傾いたのかやや軟化した表情で呻くように少し待てと呟いて扉を閉めた。

 ツイナと戯れながら大人しく待つことおよそ四半刻。扉が開かれると、肩部の露出した深い青色のクラシックワンピースでバッチリとキメた鴨脚が立っていた。

 素直な感想を漏らすとブーツの踵でつま先を踏まれた。

「言っておくけど、今から歩くんじゃそんなには見て回れないわよ?」

「お任せあれ、バイクがありますのだ!」

「……そのナリで?」

「失礼しちゃうワ、ちゃんと乗れるから玄関口でお待ちになってて!」

 訝しむ鴨脚をその場に、エレベーターに乗り込み地下駐車場へと向かう。

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