第26話

「互いに満身創痍。効果的な最善手は打てて、あと一回といったところだな」

「……さてな」

「隠すなよ、少なくとも俺に残った余力は少ない。それとも俺が、無抵抗で、情けない一太刀を浴びて終幕にするか?」

 イヤだ。十六原は言葉にしないものの、目で即答する。

 畢竟ひっきょう、求めるは勝利。

 それでも、勝ちとは拾うものではなく、もぎ取るもの。

 少なくとも、この場の二人の間ではそれが共通見解。

「なら、次で終いにしようや」

 京太郎が佇立ちょりつの姿勢で棒立ちする。

 側から見れば無防備そのものだが、相対する十六原には、全くの逆に感じられていた。

 いたずらにちょっかいを掛ければ、辺り一面を焦土に変えてしまう爆弾。そんな印象を受けた。

 そして事実、京太郎は己が内に焔を練り上げていた。

 少しでも集中力を途切れさせれば、自らの体が内からぜてしまうほどの熱量を必死に、体の中で押さえ込んでいた。

 京太郎の言葉が本気であった事を認めた十六原が、右手に持った刀を放り出す。

 使うのはベルトで左手に固定した、龍灯・荼毘その一振りだけ。

 十六原が、荼毘の燃え盛る刀身を暫し眺めたかと思うと、おもむろに空いた右手ではばきを握り、きっさきまで拭う。

「ぐっ……」

 手指から滴る血が刀身を伝うと、猛っていた炎は鳴りを潜め、ついぞ消えた。いや、見えなくなったというのが正しい。

 十六原もまた、焔を練り上げていた。

 龍灯・荼毘の炎を一筋に束ね上げる。

 それは例えるのならば、嵐の海原でコップに入った水をこぼさぬように操舵する如く。

 それは例えるのならば、暴れ馬の手綱を瞼も開かぬ赤児に任せるが如く。

 現実世界では、余程のことが無い限りはしないであろう無茶無謀。

 それでも今は眼前に、道理を無視するに値する好敵手が在った。

 十六原は右手を柄に、正眼に構える。

 背筋を張り、鋒は目よりやや下の高さに。

 少しでも剣術に造詣のある者が見れば、ここから繰り出されるのは打突しかないと見て取れる。

 刧氣火灘ごうきかだん流には華やかなわざも、奇抜な構えもない。

 何故なら剣術とは、すでに完成したものであるから。

 流派による違いなど、何を優先させるかの取捨選択をしただけに過ぎない。

 合理性を突き詰めたのなら、至って平坦な、剣道で使われるような基本的な構えに行き着く。

 であるからして、炎は後付けに過ぎない。

 長所を伸ばし短所に目を瞑るのが数多の剣術であるのに対し、刧氣火灘流は焔によって短所を消し、余剰で長所を伸ばす。

 それゆえに旨味も渋味も少ない基礎的な単純な構えであるほど、化ける。

 とはいえ、馬鹿正直に突きの構えで溜めていては、当たるものも当たらない。

 しかし、眼前の男は避けない。それがわかっているから、愚形を晒し、最大効率で奥義を放てる。

 握った刀の柄から、雫が落ちる。右手の掌に横たわる一文字の傷から溢れ出る血液が滴り、メトロノームのように正確な時を刻んでいる。

 怪我の功名か、そのリズムが十六原の心を落ち着けていた。

 そんな十六原とは裏腹に、京太郎は苦心していた。

 ただでさえ、身に余る熱量の焔をどうにかこうにか制御していたというのに、ここに来て追加が来たのだ。

 足を動かそうと試みるが、踵が地面に縫い付けられたのかと錯覚してしまうほどに、ピクリとも動かない。

 そうして確信する。十六原もまた、必殺の一撃を撃つ体勢にあると。

 京太郎が自らの右手に刻んだルーンが、それを教えてくれる。

 ルーン。ウィルド・ケーンに誓ったゲッシュ。『相対した相手の最大火力を回避しない』という誓約。

 あまりに無謀な誓いであるからこそ、リターンもまた絶大。

 ただ問題は、リターンが大き過ぎるということ。

 バケツの容量でダムの放水を、全て受けきることはできない。

 だから放つ一撃に全て注ぎ込むしかない。のだが、カラダが悲鳴をあげる。

 本来は入らない量の魔力リソースを蓄えるために、血流の流れに従って魔力を巡らせているのだが、それもすし詰めになって流れが緩慢になってきた。

 余剰エネルギーを体外放出、なんてロボットのような事が出来ればいいのだが、生憎と少しでも穴が空けば、そこから全て漏れ出してしまいかねない。

 右腕の火傷が浮き上がり、焼け焦げる匂いがする。皮膚の下で炎が肉を焼いている。

「炎天八式……」

 それでも、準備は整った。間に合った。

 闘気を骨子に。魔力を肉に、翼に。

神火飛鵺しんかひや────ッ!!」

 京太郎の右手から放たれた一条の光が、十六原へ向かって真っ直ぐに飛来する。

 火の粉のようであった淡い光は、瞬く間に姿を変貌させ、翼を広げた鳥の姿になった。

 しかしその姿は京太郎の知る神火飛鵺より、ひと回りもふた回りも大きかった。

 怪鳥は怪鳥でもぬえではなく、サンダーバードだな。眼球の裏で火花が散る思いの中、京太郎は思った。

 神火飛鵺は本来、空を飛び回る相手に使用するのを想定されているために、狙いを定めた相手に追従するようになっているのだが、今回に限ってはいらぬ機能。

 十六原は怪鳥が解き放たれたのも気にせず、正眼に構えたまま微動だにしない。

 が、直撃までおよそ三間となったその時、十六原は動いた。

 焔燕の時のように、縮地的に飛び込むのではなく、ただ一歩踏み込む。

 飛び込んできた相手を迎え撃つ、剣道的な、何の面白みもない突き。

「フッ──」

 刀の鋒が怪鳥の頭部に突き刺さった瞬間、螺旋状に熱が渦巻く。

 荼毘の中に秘められていた炎が鋒の一点から放たれた。

 螺旋を描く回転によって貫通力を得た熱の本流は、同じ炎であるにも関わらず溶け合おうとする炎の鳥を拒み、頭頂部から尾翼まで一直線に貫いた。

 刧氣火灘流奥義、火之鑽杵ひのきりぎね。炎を一点から放出するという単純ゆえに他の追随を許さない火力特化の御業。

 勝負はついた。

 流郷十六原はもう膂力しか残っていない。炎の剣技は看板である。

 都京太郎は一歩たりとも動けない。体を動かすエネルギーを、塵芥も残さず燃やし尽くした。

 十六原が肩で息をして、体を引きずりながら仰向けに寝転ぶ京太郎へと近づく。

「私の勝ちだ」そんなまなじりで、京太郎を見下ろす。

「やっと、俺だけを見たな?」

 瞬間、勝敗が決した。

「おま、え……っ!」

 十六原の口から続く言葉は無く、代わりにと血が溢れる。

「卑怯、なんて呆れた言葉は言ってくれるなよ?」

 当然だ。今は試合ではない。殺し合いだ。合戦の最中だ。

 それは十六原も十二分に承知していた。だからこそ、正眼に京太郎を捉えつつも遠山の目付けで、辺りから何を仕掛けられても反応できるように、気を張り巡らせていた。

 しかし、最後の最後。最大手のぶつけ合いという肴に、飛びついてしまった。

 そしてそれを京太郎は、わかっていたと、それを前提で事を進めていただのと宣う。

 きっと事実だろう。十六原は認める。

 たいへんに腹の立つ事だが、その怒りを保持していられる余力は無い。背中から心臓を経由して胸部を通った風穴から、生命が漏れ出してしまう。

 足先の感覚が無くなり、立つのもままならない。

 刀を杖にして膝をつく。滝行でもしているのかと錯覚するほどに体が重い。

「おい、死ぬ前に答えろ」

 腹部の起伏が見受けられないほど、浅い呼吸の京太郎が十六原に問う。

 敗者は重たい目蓋を開いて、地に転ぶ勝者を見やる。

「なぜ奥義を使った。それは刧氣火灘の最大手であって、おまえの最大手ではあるまい」

 都京太郎という男には驚かされっぱなしの十六原だったが、ついに笑うほかなくなった。

 なんでそんなことがわかるのかと。

 十六原の静かな、くつくつという笑いを返答と受け取った京太郎は言葉を続ける。

「二本差しが二つ燕の由縁でもあるまい」

「…………私が、刧氣火灘の当主だからだ。赤手空拳のヤツには、負けて、やれん」

 聞いた京太郎は一瞬呆けて、すぐに嘲笑する。

「くだらん。くだらんな、おまえらはいつの時代も。長助にはそんな思惑は無かっただろうに、どこから湧いて来るのやら……まあいい」

 ぼやく京太郎の声も、十六原はよく聞こえなくなってきた。

「幸い、おまえとは今後も死合う事があるだろう。その時は当代の剣聖として、あるいは一匹の雌としてかかって来い。それまで今回の勝敗は付けないでやる」

 言葉が聞こえても、意味を理解するほどの思考も奪われつつある。

 だからか、仰向けになっているくせ、妙に偉そうな京太郎の姿を見て、十六原は自然な笑みを浮かべた。

「恥じるな剣聖。今回は単純に、我を捨て勝利に拘った俺が兵法者としては上回っただけの事よ。最期まで信念を貫いたのだ、求道者としてはおまえが上だ」

「はっ、言って、くれ……る……若輩者、が……」

 いよいよ、十六原の視界は色を写さなくなった。

 思えば、役割を無視してまで戦ったのは久方ぶりのことだった。

 生徒会の命令系統は王生篠葉のワンマンであり、彼の命令は厳守。それで成り立っている。

 事実、ヒューマンエラーによる穴ができない限りは、快勝の記録を刻み続けている。

 それでも十六原は飽きていた。

 危なげない勝利のためには他小隊の主力とはぶつからず、弱者である他多数を掃討するのが効率的だった。

 生徒会もとい第一小隊における、流郷十六原の役目は掃除屋スイーパー。量だけは多い塵芥を、まとめて片付けるだけの仕事だ。

 であるからして、本来ならば十六原は即席の連合部隊を片付けたあとは、脇目も振らずに他へ哨戒にあたるべきだったのだ。

 途中、京太郎が乱入しても相手にせず、煙に巻くことくらい、十六原の実力なら可能だった。

 それをしなかったのは、それをできなかったのは、都京太郎という敵があまりにも魅力的だった。

 刧氣火灘の当主として、一匹のつわものとして、都京太郎という存在は、軒下で暮らす飛燕を渡り鳥に戻すには十分だった。

 久方ぶりの敗北感と喪失感だというのに、十六原の胸中は不思議と透いていて、重荷が降りたような晴れやかな気持ちだった。

 ヒトを負かせておいて誰が礼など言ってやるものかと、顔を伏せた十六原は誰にも見せたことのない柔らかな笑顔を浮かべる。

 この学園で過ごす一年にも満たない僅かな期間で、あと何度こいつと刃を交える事になるだろうと、らしくもない夢想に浸りながら、のし掛かる眠気に身を任せる。

 そうして、当代の剣聖、流郷十六原は一振りの刀を大地に刺し、膝を衝いたまま敢え無くなる。

 ついぞ、一度も地に背中を付けることなく、我を通して退場していった。

「まったく、どちらが勝者だと言うのだ」

 仰向けになった京太郎は、ようやく気を抜けると、深く深く息を吐いた。

 息絶えた十六原の亡骸からは色が失われ、灰色の人形と化す。

 辛くも勝利と書いて辛勝。まさにその通り。

 十六原の手前、この決着を予定通りだと言ったが、これはプランBである。

 本来としてはプランA、十六原との一騎打ちで勝利するはずだった。

 だというのに、十六原は強かった。

 けして侮っていたわけでも、驕っていたわけでもない。十全に構えていた。

 それでも実力が拮抗することは許されなかった。

 こちらは切れる手札を殆ど切ったというのに、十六原は要らぬこだわりを持って、手の内を全て明かさなかった。

 十六原に、流派のメンツを賭けて戦うなどくだらない。そう言ったのは、流派の筆頭同士として戦えば、まず間違いなく十六原に勝てなかったからだ。

 <固有魔術ユニーク・ソーサリー>での思考撹乱が後押しして、ようやっと五分。いや四分。

 だというのに十六原は得意技を使わず、<固有魔術>も使わず。

 試合に勝って勝負に負ける、なんて言うのも苦しい結末だ。

 口の中が苦くなる勝利というのも珍しい。

「大丈夫か、都」

「大丈夫かと問われれば否なんですが、生きているかという意味合いなら是です」

「そんだけ言えるんなら平気だな」

 一連の激戦を見守っていた第06小隊の狙撃手、狩野が肩で息をしながら京太郎の傍らに立つ。

「逆ですよ、軽口叩いてないと返答する気力が保てないくらいギリギリなんです」

 事実、起こそうと差し伸ばされた狩野の手を取っても、そこから起き上がる事はできなかった。

「なにか食べる物ありません?」

「……エネルギー補給食くらいなら」

 この世界で何を食べたところで、現実世界に還元されるものは無い。

 が、狩野のような、観測手スポッターを持たず、ひとつの目的のために長時間張り込むような狙撃手たちは、その長い待機時間を紛らわせるための娯楽として菓子なんかを持ち込んでいることが多い。

 礼を言った京太郎は、仰向けのままに狩野から受け取ったプロテインバーを口に放り込む。

 通常であれば、たったこれだけの物で動く元気を取り戻せるわけもないのだが、京太郎に限って言えば摂取したカロリーを内なる焔で燃焼させることによって、なんとか動くだけのエネルギーを確保できる。

「いやぁ、助かりましたよ。今もさっきも。大金星、お見事です」

「何を他人事みたいに言ってんだ、おまえの黒星だろうが」

「いえいえ、僕だけじゃあ敵わない相手でしたよ。先輩の決定打あっての勝利です」

「アホ、本当なら百発撃っても当たんねえよ」

「またまたご謙遜を」

「どの口が言ってんだ」

「じゃあ、僕ら二人で挙げた勝ち星って事で」

「……貢献したと思われたくないなんて、初めての気持ちだバカタレ」

 呆れながらも狩野は京太郎を抱き起こす。

 そうしてやっと、京太郎の状態に気づく。

 服が焼け焦げて露わになった、胸から腹にかけての前面は、火傷で赤くなっているように見えていた。

 しかし実際は爛れて所々流血している、とても直視できない状態だった。

 呼吸も浅く、焦点が合っていないのか虚ろな眼。

 とてもじゃないが、戦闘続行可能な状態ではない。

「おまえ……これからどうするんだ?」

「……どう、とは?」

 質問の意味がわからないと、京太郎は首を傾げる。

「流郷を落とせただけでも十分すぎる戦果だろ。大手を振って終われるはずだ。だってのに、その体でこれ以上戦おうっては……」

 嬲られに行くようなもの。普通なら、わざわざ説明されなくてもわかるはずなのだ。

 死に体だというのは、当人が一番よくわかっているはずなのだから。

 この世界は虚構である。

 しかしそれは世界というレンズを通して見た場合だ。

 両眼のレンズを通して見たこの世界は、本物だ。

 痛みも、失われる生命も、本物なのだ。

 ただ全て、後から無かった事にされるだけ。

 今この時に起こっている事は全て、現段階では本物なのだ。

 その痛みに耐えられず、自主退学をしていく生徒は年間三桁ほど居る。

 だが京太郎には関係ない。

 だってまだ歩ける。歩けるのなら死んでいない。

 死んでいないのなら、歩みを止める必要はない。

 勿体ない。まだ使える命が残っているのに終わりにしてしまうなんて、あまりにも勿体ない。

 それに、目的を果たしていないのだから、死んでいい理由も無い。

「もちろん次に行きますよ」

「次っておまえ……」

「ここが激戦区ってわけでもないでしょう」

 十六原の死闘中、インカムから止め処なく流れる戦況報告を聞き流してはいたが、記憶には留めてある。

「向かうは明治神宮、ですよ」

きっと、京太郎の目的を果たすためにも向かう必要がある。

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