第24話

 正面九方向からの斬撃。不可視の刀身を最大限に活用する京太郎は、ジャグリングでもするかのように宙空で火昧太刀を左右に持ち替える。

 摂氏一○○○○度を越える刃が一度でも肌に触れれば、その想像を絶する痛みに動きが止まるのは必至。

 であれば京太郎は優位に立っているのか。否である。

 というのも、十六原は一連の斬撃を須らく鐡刀・澈火で受け流している。

 前述したように澈火は熱を増幅する性質があり、火昧太刀と同等とは言わないまでも並みの金属の融点を、とっくに越した温度になっている。

 であれば両者対等か、もちろん否である。

 剣術という土俵で勝負する以上、本人が望まずとも剣聖と呼ばれる腕を有する十六原が常に優位に立っている。

 不可視の刀身というアドバンテージが、遥かな彼我の差を僅かに縮めただけに過ぎない。

「……!」

 打ち合うこと十数合、京太郎の手指には火傷の水疱が出来ていた。

 それは焔の制御が不安定になってきたことを示していた。

 それもそのはず、ただでさえ必殺の一振りとなり得る斬撃を、当代きっての剣士が振るっているのだ。それに対応するのに集中して、焔の制御が疎かになるのも当然。本来なら後手に回らなかっただけでも賞賛に値する。

 それでも、京太郎は才無き我が身を呪うように舌打ちをする。

 下段からの逆袈裟も難なく受け止められたあと、京太郎は仕切り直しに大きく飛び退く。

「流石だ、と言ってやりたいが、気に入らんな。なぜ刧氣火灘ごうきかだんわざを使わん。驕り、それとも矜持か?」

 ピクリと京太郎の言葉に反応した十六原が刀の柄を両の手で握ると剣術の型を取る。

「驕りだと……?」

 柄の尻を持った左手を前に諸手を頭上、刀身はやや寝かせる。

「それは私の言葉だ若造。千変万化古今無双と名高い源流の者が何をするかと思えば、私相手に剣術で挑むだと?」

 振り下ろすという、ただ一つの動作に特化したがゆえに五行の中で最速の型。

 上段の構え。あるいは、火の構え。

「その驕り、高く付くぞ」

 後方を向いていた切っ先が弧を描いて天を向く。振り下ろす動作に入ったのだと、その須臾の間に見て取れる。

 しかし十六原と京太郎の間には十数メートルの距離が隔てている。

 踏み込んで振り下ろした所で届くはずもない。

(剣気でも飛ばしてくるか──!?)

 京太郎が身構えた刹那のあと、眼前には振り下ろされる刃が迫っていた。

「ぐぉ────ッ!!?」

 間一髪、火昧太刀で刃を受けた京太郎が吹き飛ばされ、遥か後方にあった飲食店へガラスを突き破りながら突っ込む。

「刧氣火灘の業は両の手指で数えるほど。源流のように手数は無いが、それ故に業の全てに磨きがかかる。多芸の一つに過ぎない貴様の剣では相手にならん」

 土煙を上げる瓦礫へと言葉を吐き捨てる。死体に悪態を吐くほど十六原は酔狂ではない。

 確かな手応えはあった。それでも死んではいないのだろう、という確信もあった。

「……人聞きの悪い。赤手空拳の理念は『森羅を手に万理を掌握せん』、だ」

 散らばったテーブルの残骸を蹴散らしながら道路へと出てくる京太郎。

 握っていた火昧太刀は粉々に砕け、火の粉となって大気に溶ける。

「なにも器用貧乏になろうとしているわけではない。全てを極める道程の一つに過ぎないが、それでも至って真剣だ。経津主神ふつぬしに誓ってな」

 ぺっ、と血痰を吐いた京太郎は右腕に巻かれていた包帯を解き、上着と共に投げ捨てる。

「今回はおまえが並外れたつわものだったというだけよ」

「どうだかな」

「……まったく、都の拳は討魔の業。人に振るうものではないが、おまえのような羅刹女相手なら申し分ない」

「言ってくれるな。ならもう一度、同じ業を見せてやる。避けるにしろ受けるにしろ、対処できると言うのならして見せろ」

「できなければ?」

「真っ二つだ」

 十六原は再び、上段に構えた刀を振り下ろす。それと同時に疾風が駆け、十六原の姿も消える。

 縮地、畢竟そう形容して違いない目にも見えない素早さで、その速度を乗せたまま斬り込む。

 刧氣火灘、炎刀之一。焔燕ほのつばくろめ

「焔の小規模な爆発によって得た推進力で影も捉えさせぬ速さで動き、そのまま斬り込む」

 語る京太郎が立っているのは振り下ろされた刃の一寸先。

 もし十六原が拳一つ分長く剣を握っていたら。あるいは一歩遠く踏み込んでいたら、絶命している紙一重。

「なんてことはない、赤手空拳に於ける基本的な移動法だ」

「……!」

 見切っていると鼻で笑う京太郎に十六原は大きく飛び退く。

「……なぜ追撃しない?」

「おまえとて、俺が吹き飛ばされたあとトドメを刺しに来なかったろう?」

 なのでこれで貸し借り無し、と京太郎は呵々と笑う。

「……認めよう、都京太郎。貴男きなんは私が斬って捨てるに値する強者だ」

 瞳孔を猛禽類のように細め、への字に固く紡がれていた口を下弦の半月に歪めて破顔する十六原。

 鐡刀てっとう澈火てつびから片手を離した十六原は腰に挿したもう一本の刀を抜き放つ。

「呵々ッ、剣二つ相俟って、武蔵を気取るか若人剣聖!」

 龍灯りゅうとう荼毘だび

 かつて、海中にも関わらず燃え続けている炎があったという。

 それを臆せず手にしたのが当時赤手空拳流三代目当主であった刧氣火灘流の始祖。

 そして、その炎こそが代々当主の証として受け継がれてきた刀、龍灯・荼毘である。

「では往くぞッ!」

 言うと同時に、京太郎が残像を残して十六原の視界から消える。

 赤手空拳流高速戦闘術、熾烈火足。

 数刻前に京太郎がバイクに乗りながら使用していたモノと同じであるが、今の生身の状態で使うのが正しい姿であり、騎乗時に使用していたのは例外的な用法である。

 というのも熾烈火足は先ほど京太郎が語ったように、言ってしまえば、任意の方向に連続的な小規模爆発を起こしてその爆風によって加速する推進器スラスターのようなものである。だからこそ自分の身体以外を対象とするのは加減の難しい用法なのだ。

 手足の延長線として武具に使用するなら造作もない事だが、バイクという複雑な機構に対して対応させられたのは一概に京太郎が愛車について知悉していたからである。

「ふッ──!!」

 京太郎が現れたのは十六原の背後。そして眼前。

 二人の京太郎が飛び上がって延髄斬りを放つ。

「手緩いっ!」

 十六原はどちらも無視して自身の左方へ踏み込んで袈裟に斬る。

「大した反応力だ……」

 蹴りを放った二人の京太郎は靄のように消え、十六原の斬った先には片足を上げた京太郎が居た。

「貴男もな」

 京太郎の上げた片足の靴にはつま先から二センチほど切り込みが入っており、中の鉄板までもが裂けている。

 二つの陽炎デコイで気を逸らして、意表を突いた側面からの蹴りで側頭部を攻撃。片耳もとい三半規管を潰す気だったのだが、陽炎に一瞥もくれない十六原に気づいて京太郎は脚が伸びきる寸前で蹴りを止めていた。

 もし止めていなければ足首まで縦に裂けていたことだろう。

「呵々、おまえ相手に小細工は無粋だな」

 言うや否や重心の移動だけで、前のめりに前進した京太郎は、上げたままの右足で蹴りを放つ。

 後ろへ跳ぶ事で逃れた十六原。二人の距離は二メートル未満一メートル以上。

 それは京太郎の挙動に合わせて動きつつ、京太郎の制空圏外から攻撃できる、得物を手にした十六原に有利な間合い。

 現に十六原は自身の上体が倒れる力を利用して、下段から京太郎の伸びた右足を斬り上げる気でいた。

「────!」

 それがあだとなった。

 京太郎の右足は蹴りのために放たれたのではない。

 伸びた右足は地を踏み締め、京太郎は十六原に背を向けていた。

 ────赤手空拳流の理念は『森羅を手に万理を掌握せん』。それすなわち『あらゆる技術に精通し、あらゆる事態に対応する』という意味を持つ。

 それゆえに剣術棒術を始めとした武器を扱う武術や馬術水泳術と、いわゆる古武道をひと通り修める。

 徒手空拳に於いては空手や柔道、合気道と様々なものを取り入れるがゆえに赤手空拳流に構えとなるものはない。

 が、遡って三代ほどの近代からは赤手空拳の骨子となるものが定められた。

 それが躰道たいどうである。

 躰道の最大の特徴と言えば、回転軌道の足運びによってもたらされるリーチの長さ。

「カァ──ッ!!」

 背を向けた状態から繰り出された京太郎の足刀そくとうは十全に膝の伸びた状態で十六原目掛けて飛ぶ。

 すでに反撃の最中であった十六原は、上体が仰向けに傾いている。回避は不可能。

 至近で最初の蹴りを避けていれば、あるいはもっと距離を取っていれば命中することはなかっただろう。

 十六原が反撃に転じるために、付かず離れずの距離を保つと読み切った京太郎が上手だった。

 とは言い難い。得物を持っている以上、十六原は反撃カウンターなど狙わずに定石通り真正面から刀を振るうのが最善手だった。それは十六原も理解していることだった。

 だがしかし、十六原はすでに京太郎の〈固有魔術ユニーク・ソーサリー〉、【不形獣バンダースナッチ】の術中に居た。

 都京太郎のカタチを見失った十六原の目には、京太郎が自分と同等かそれ以上のチカラを持つ巨人に見えた。

 それゆえに十六原は優位であったにもハイリクス・ハイリターンの手を取ってしまったのだ。

「ぐっ……!!」

 回避は不可能であると瞬時に理解した十六原は眼前に迫る足刀と頭の間に、斬り上げのために動き出していた左腕をよじって肩を滑り込ませた。

 それに加え、京太郎の足刀が命中する寸前で後方へと跳んでいた。

 スリッピング・アウェーのように勢い全てを受け流して無傷、とは行かないまでも足刀が最大の破壊力を持つインパクトのタイミングからズラして受けただけで、ダメージの蓄積具合はかなり違ってくる。

 須臾の間にダメージの軽減へと動けたのは流石と言うほかない。

「先程の分は返したぞ」

 京太郎の足刀が反撃に転じようとしていた十六原の肩を捉え、体ごと大きく吹き飛ばした。

 しかし、驚くべきことに十六原は中空で体勢を整えて、踏ん張るように着地して見せた。

「……これで二発目だろう」

「不意打ちを一撃に数えるほど俺はつまらん男ではない」

 追撃を警戒して十六原は手にした二刀を構えるが、京太郎は金色の瞳を細めて薄く笑うばかり。

 十六原の左手が無意識のうちに、やや下がる。

 受け身を取る事もなく悠然と構えてはいるが、間違いなく京太郎渾身の蹴りが直撃しているのだ。ダメージはしっかりと刻まれている。

「ゆえに、二発目は先に貰うぞッ!」

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