第14話 (憑依編) 生還した少女
緊急のブザーで看護士達が緊迫した様子で廊下を走り去っていった。
「人工心肺機停止。」機器担当の看護士の悲痛な叫び声が聞こえた。
「すぐ手動に切り替えろ!」担当医の檄が飛んだ。数人の人間が呼び集められ、ポンプを手動で回し始めるまでには、それでも数分以上は掛かっていた。
「くそー縫合は終わったのに、こんな時に何で・・・」心臓担当医の半ば諦めた言葉がオペ室に響いた。
「筋電流弛緩状態、レベル3、レッドです。」
「早くポンプを回せ!」
その時、由香は死んでいた。恐らく由香は、この現世には居なかったのだろう。何処か彼方の時空か、時の果てか宗教学的に言う別の観念世界か、或いはその全てか。だがその由香の意識に語りかける意志があった。その意志の情報密度は、到底言葉では表せられない程の量で、それが一気に由香の意識に流れ込んで来ていた。
その時、縫合が終わった心臓を手にしていた医師が、奇跡でも見るかの様に自分の手を見つめていた。由香の心臓がその医者の手の平の中で動き始めていた。
「何て事だ!」それでも、医師は冷静に術後の処置をこなし手術を終えることが出来た。
その手術から三日後、脳の後遺症を心配していた医師の目の前で由香は目覚め、側にいた母に、ノートと筆記用具が欲しいと言い出した。医師は呆気に取られて居たが、渋々、由香の要求を許可した。ベット上で由香は、何かを思い出してはノートに書き記していた。術後の由香は順調に回復し、胸の傷から糸が抜ける頃には、それまでに無く明るく笑う姿が周りの者達を驚かせていた。幼い頃からの担当医は由香の胸の傷跡を見ながら
「これ位の傷跡なら、十分嫁にいけるぞ。可愛いもんだ。おっぱいの形が崩れない様に切ったんだから、感謝しろよ。」生真面目な顔しながら由香に言った。
「先生のH!」由香は、急いで胸を隠しながら言うと、後ろで数人の看護士が笑っていた。それから二週間程で、由香は退院できた。まだ月に一度は定期の検診があるが、それまでとは全く違った世界が由香の目の前に広がっていた。
由香は慎重にそのタイミングを狙っていた。薫が通う公立高校と由香の私立では夏休みの登校日が数日ずれている事を事前の調査で確認した上で、由香は薫が下校途中に何時もの駅に来るのを待っていた。改札の前で薫を見つけると、由香はメイドの芳山と執事の中村に指示を出した。それまで何度か薫への接触を試みてきたが何れも失敗に終わっていた。最初は手紙だった。西園寺家執事の中村が探偵を雇い、薫の身辺を調査し、その調査で、薫の住む町や、通学経路がはっきりした。そして彼の父が国連の外郭団体に所属していたが、赴任先での地域紛争に巻き込まれて死亡している事や、彼の母が高校の保険医である事など、さらに、現在その母と八景島にあるマンンションで暮らしている事なのである。しかし、大体の状況は掴めていたが、由香が薫と接触するための接点が無かった。せめて学校が一緒であれば、いくらでもその機会は有るのだろうが、由香は私立の女子高で、薫は公立の共学高だった。薫の自宅宛に出した手紙の返事は三週間経っても返信は来なかった。仕方なく、通学の帰りに薫の後をつけて、声を掛けようとしたが、これもあっさりとかわされた。何時も、単語帳を片手にズックのカバンを提げた薫に声を掛けようと前にでたが、由香の事など眼中に無いように、すーと彼女の脇をすり抜けていった。そんな状況が二三度続いてからは、流石に由香もうんざりしてしまった。
由香の高校の伝を辿って、薫の高校へ通う友達をさがし、薫と会えないかを伝えてもらったりもしたが、「今は受験で急がしいから」との返事が返ってきただけで、顔を合わせることすら出来ずにいた。そんな中、夏休になって薫の高校の登校日を選び作戦を立てた。薫が改札を通る狭い場所を利用して何とか薫を捕らえる作戦で、左右に逃げられた場合の用心に芳山と中村を配備した。薫が改札を抜けた瞬間、由香が前に出た。薫は、ぶつかるのを避ける様に背中を向けて由香の背後に回り込んで通り過ぎようとした。その時由香はとっさに薫の手を掴んでしまっていた。
「え、何!」薫はビックリした顔で由香を見つめた。
「ああ、君か。」
「お願いです、話を聞いてください。」すかさず芳山と中村が脇を固めたので、薫は観念したかの様に
「僕を誘拐しても、身代金なんか払えませんよ。貧乏だからね。」ジョークのつもりで言った言葉だったが、由香が理解するまでには少し時間が掛かった。
「お時間を頂けません?」芳山が丁重に尋ねると、
「お二人は、この方の関係者?」
中村が二人の身分を説明しながら、一同を車まで誘導した。
「何だか、パトカーに連行される見たいな気持ちですね。ちなみにまだ乗った事は有りませんが。」一同はそのジョークには素早く反応した。由香と西園寺家のBMWに乗り込みながら
「本当に拉致しないでくださいね。母が悲しみますから。」
「そんな事はしません。少し静かなお店でお話をさせてください。」
「はあー・・・」その時薫は、ふとこの人達とは長い付き合いに成りそうだなと感じていた。車は暫く走って木立の多い町中の洒落たレストランに付いた。そのレストランはこの日の為に貸し切られていて、客は他に居なかった。
「薫様に宛てました、手紙は読んで頂けましたでしょうか?」由香は、薫にフレッシュジュースを勧めながら訊いてきた。薫は正直喉が渇いていたので、殆どがぶ飲み状態でそのジュースを飲み干すと
「ええ、読みました。返事を書こうと思ってましたが、一寸時間も経ってしまい、今回この様な状況でお目に掛かったので、省略させて頂くしだいです。内容については俄には信じがたい出来事と感じました。」
「それはとても残念な事ですが、どうか信じて頂きたく。本当の事なのです。そしてそれが私の使命なのです。」
由香は、手紙の内容とほぼ同じ話を懇切丁寧に話した。薫は、それなりに真剣に話に耳を傾けていたが
「その件、兎も角、受験が終わってからにして下さい。」と言って話を打ち切った。
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