第22話 (憑依編)路傍の二人

金曜の演劇の稽古は、やはり深夜近くまで続き、何時も様に従兄弟の綾佳のマンションに世話になっていた薫だった。朝方由香から携帯に連絡があったのが発端で、週末の予定が決まってしまっていた。由香の半ば強引な呼び出しで、西園寺家の執事が運転する車で連れて行かれたのは、都内からそう遠くない地方都市の鉄道の駅だった。広めの地下道がメインストリートから駅のコンコースに延びていて、都内程ではないが人通りは、そこそこある地下通路の壁沿いに二人は座っていた。

「何でゴザなんだ?」

「この方が気分が出るかなと思っただけだ。」

「何の気分だよ。それに此所でいったい何をするつもりだよ。」

「何もしない、行き交う人を見てれば良いだけだ。」そんな訳の分からない説明をしている由香の姿は、何処かの難民かホームレスの様に見えていただろう。

「今回は誰のお告げなんだ?」

「誰かは分からない。ただ心に深い悲しみを持った少女の意志だ。」いつもの様に要領を得ない由香の回答に、薫は半ば諦めていたが、取りあえず、もしもの時の準備だけはしておいた。非常ベルと緊急呼び出し通信、携帯電話は、GPSモードにしてあった。

仮に不測の事態があれば、近くで待機している西園寺家の執事が駆け付けてくる段取りである。由香は既に成りきり状態で、ゴザの上に馴染んでいたが、薫は何処か所在なく、落ち着かなかった。それも、暫くして雑踏の中の視線も気にならなくなった頃、こんな事なら由香と同じ様な格好をして、目の前に空き缶でも置いておけば、誰か小銭でも恵んでくれるのではないかとふと考え出していた自分に苦笑していた。そんなもの思いとも空想とも付かない時間が過ぎ、やや倦怠感が沸いてきた頃、一人目の接触者が現れた。白髪の七十才近い教員風の、一見すれば紳士だった。

「君達、ここで何してるの?」優しい笑顔でその初老の紳士は訊いてきた。

薫は、咄嗟に

「はあ、社会学の実習の様なものです。人間行動学の分野における、雑踏中の人の心理や行動と言ったものを観察するのが目的です。」

「ふーん、まーあんまり長居すると、警察に通報されるよ。それにしても、隣の子はどうしたの。」

「此奴は、ちょっと過剰演出で、懲りすぎですけどね。」

その紳士は、愉快そうに笑みを浮かべて

「まあ、頑張ってね。」そう言って去っていった。

その後の地下道を行き交う人々の反応は色々だった。歩きながら全く眼中に無い人や、ふと気づくが無視する人、浮浪者とでも思ったのか、怪訝そうな一別を送り去って行く人、

観察されているのか観察しているのか、これはどう見ても所謂さらし者状態だなと薫は思っていたが、相変わらず由香の真意が分からなかった。二時間程経って尻も痛くなり始めた頃、由香が

「一寸演技するから。」と言って、具合悪そうに、横に成った。薫が由香を介抱するような状況の中、二人目が現れた。子供教室のピアノの先生の様な、ふわりとした白を基調とした服装の女性が二人の目の前に現れた。その女性は、由香の手を取り、脈を取ってから

「君は、此方の連れかな?」

「ええ、・・・」

「不整脈が有るわね。私の家近くだから、家まで運んで、ああ、私これでも医者なのよ。」

そう言って、身分証明書(ID)を出した。それは、海外で活動するNPO団体の物で、

芳山弥生、外科医と記され、証明写真が付いていた。

「ああ、その写真、若い頃の物だから、それに写り良くないし。」

薫は、本人と見比べながら、

「本物の方が、綺麗ですね。」思わず口に出してしまった言葉に

「あら、有り難う。若い男性からそんな事言われるの久しぶりよ。」その女性は嬉しそうに笑うと、テキパキと薫に指示を出した。

薫は、その女性弥生の指示されるまま、要介護者の運搬手順に従って、由香をおぶり二区画程離れた、弥生の家に行った。その家は小高い丘の中腹にあり、玄関には、小さな開業医の看板が出ていた。

「帰国してる時は、在留外人専門みたいな医院をやってるのよ。一昨日、一時帰国したばかりで、まだごちゃごちゃしてるけどね。」薫は、由香を診察ベットに寝かせながら

「由香そろそろ、良いだろう。」と声を掛けた。

「ああ、済みません。此奴確かに心臓が悪いんですが、今は大した事は無いと思います。」

「まあいいわ、折角だから診察しておきましょう。」そう言って服のボタンを外し始めたのを見た薫が慌てて

「此奴、女ですから。」と言いながら、部屋を出て行くと、カーテンの向こうから

「わあ、可愛い子じゃないの。連れの美男子君は彼氏さん。」そんな声が聞こえてきていた。もう良いわよとの弥生女医の声で、戻って来た薫に、心臓病の専門用語を幾つか並べて病状を説明したが、とりわけ今現在、緊急の処置は要らないとの結論で有った。薫はその説明の幾つかは、由香の母や西園寺家の主治医から訊いた事がある言葉であった。

「所で、あなた達は何であんな所に居た訳。」女医の言葉に、薫は由香の回答を期待していたが、由香は仮病を決め込んでいるようで無言のままだった。仕方なく、薫は初老の紳士に答えた話をしようかとも思ったが、うその上塗りをしても折角誠意を示してくれた女医に失礼かと思い、話を信じるかどうかは別として二人の事情を話し始めた。一通り話しを聞いてくれた女医は

「臨死体験者の不思議話は結構有るのよね。でも、それより本当は別な事で一寸関心があったのよ。あなた達にはね。」そう言いながら、紅茶とクッキーを持ってきてくれた。

「私も、あなた達と同じ様な事をしたのよ、十八位の頃かな、まだ高校生だったけど。好きだった姉が亡くなって、急性白血病だったんだけどね。人の魂て何所へ行っちゃうのかな、て考え出したら、取り留めが付かなくなって、暫くあっちこっちを旅したりしたんだけど、そんな事にも少し疲れ始めた頃に、丁度あなた達と同じように、旅先で知り合った人と二人で地下街の通路でぼんやり人の姿を眺めていたのよ。自分がその中、まあ普段の雑踏の中で慌ただしく歩いている時は気づかないけど、その流れから一度外へ出て見ると、いつもの世界が何だか違った物に見えてきて、物体としての人以外に、人それぞれに何かを引きずりながら歩いている様子が見える様な気がしてきた訳。なんて言うか、命の流れて言うのかな。だから人の魂もそんな大きな命の流れ中に取り込まれて居るんだなと思えたら、死んでしまった姉の存在に違和感が無くなって、何だか落ち着く事が出来たのよ。」

女医の話が終わる頃には、由香は疲れも有ったのか、本当に寝入っていた。

その後、薫と女医は暫く由香の事を話していた。

「そんな訳で、此奴とは不定期だけど、小旅行を繰り返す羽目に成っている訳なんです。その都度、何所から沸いてくるのか知らないけど、変なお告げが有るみたいで。」

「君はこの娘(こ)がそんなに長くは生きられない事も理解してるのよね。」薫の無言の返事に

「輝く事の出来る時間を出来るだけ共に過ごしてあげて、それがこの娘のためにも君のためにもきっと良い道を示してくれると思うわ。この娘は、今はまだ体と言う重い荷物と、生きるための色々な束縛を背負ってるけど、それらから開放された時にきっと素晴らしい世界が有ると思う、私もあの世の事は知らないけどね。」

その女医に暇を告げてから、二人は大通りに面した公園のベンチに座っていた。

「執事の山口さんを呼ぼうか?」薫がぽっんと訊いた。

「うんん、まだいい。もう暫くこうしていたい。」

「今回は何か、収穫が有ったのか?まあ、あの女医さんに逢えたのは貴重な収穫なんだろうけど。」

「うん…薫にとっては、良いことだ。多分、彼女は天使の使いなんだろう。」

「ふーん。」薫は、またかと思いながらも、由香の言葉を否定するような事は止めていた。由香には由香の思いがあっての事を、あまり追求してもしょうがない、この頃は、由香の存在を在るがままに受け入れようと考え始めていた矢先に、あの女医の助言はその方向を示してくれた様な気がした。(輝いていられるうちは、側に居てあげなさい。)少し遠くにある海岸線に夕日が沈むのを見送った後

「車を呼ぼう。」と言ってから

「死神も来てたな。」と小さな声で由香が言った。

「死神?」

「ああ、あいつは前に見た事がる。最初に声を掛けてきた男だ!」

「あの初老の紳士か?」

「時々、様子を見に来るみたいだ。私の専属なのだろう。」

「ふーん、そう言う物なのか、あっちのシステムの事は良く分からないけどな。」

薫は、半信半疑で由香の言葉に受け答えしていた。

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