第33話(エピローグ)由紀との旅
薫とこんなに長く旅するのは、初めてだね。何時もは、あのペンションで一泊して森を歩いて、まるでお墓参りに来た見たいに過ごしてたけど。」
「今年は三回忌に成るんで、色々回ってみようかと思ったんだ。あのコスモス畑も気になってたから。それにここは、僕が由香を連れて来たかった場所だったんだ。由香の代わりに由紀が来てくれたんで嬉しいけど。」
「ふーん、そう、きっと由香も喜んでるわ。」
「此処に由香を連れてこようと思ったのには、一寸訳が有るんだけどね。由香からアンドロメダの話訊いてない?」
「アンドロメダって、星って言うか星雲の事?」
「うん、銀河の事だけど、由香が話していたのは、まあ、どちらかと言えば、神話の内容みたいな話だったけど。」
「神話、ギリシャ神話とかの?」
「そう、アンドロメダは元々ギリシャ神話に出てくるお姫様の名前が由来で、その後星座の名前に成ってるけどね。由香が話してくれたのは、未来人の話だったな。」
「未来人?」
「遠い未来の話、人々が星と星だけじゃなくて、銀河と銀河の間も行き来出来る様な技術を手に入れた頃のお話で、アンドロメダのある星のお姫様が敵対する勢力に追われて、逃げてるうちに時空の歪みに捕らえられた衝撃から、現代の地球に紛れ込んでしまって、そこで隠れ住んでるうちに、地球のある男の子を好きになっちゃうんだ。でも、敵がとうとうこの世界までそのお姫様を追って来てしまって・・・」
「ああ、もういい。何処かのアニメみたいな話。そんな話、何処でしてたのよ。」
「都内のプラネタリーム。」
「あんた等、そんな所でもデートしてたの!」
「別にデートって訳じゃないけど。例によって由香に強引に連れ出された状況だよ。由香のSFぽい話は他にも結構あるんだけどね。」
「まあ、あとでゆっくり聞くことにするわね。でもその手の話は、私は知らないけど。」
「ふーん、由紀には、話さない話題だったのかな?」
「きっと、馬鹿にされるからでしょう。昔からファンタジックな話、御伽噺みたいなの好きだったから。」
「そうだね、由香のあの部屋、尋常じゃ無かったからね。あそこに入ると、幻覚を見てるような気分になったけど。」
「ふーん、確かに、そろそろあの部屋も片付けなきゃいけないだろうな。かなり気が重いけど。薫手伝ってよ。」
「それは、絶対無理だろう。あの部屋に入った途端に、由香にあの世に連れて行かれるかもしれないよ。それに凄く辛いし。だって、由香の思いの全てがあの部屋に残ってるから。」
「うん、そうだね、だから大変なのよ。私、あの家出ようかな?薫一緒に住まない?」
「うんーん、住むのは良いけど、まだ僕は家賃払えないよ。だから、たまに綾姉の所に居候してるんだから。」
「まあ、経済的な問題は私が如何にかするから、薫の出世払いて事で、だから一寸考えておいてね。」
薫は、半分納得した様な顔で返事をしていた。
そうこうしている内に、車は目的の別荘地を兼ねたホテルがある、リゾート地に着いた。
二人がレストランを兼ねたセンターハウスから出たころには、霧も上がり満天の星空が天空に瞬いていた。由紀は、少しよろけながら
「わーあ、凄いね。一瞬宇宙に放り出されたかと思ったわ。薫が此処にこだわる訳がわかったよ。」
夫々のコテージはまばらな木立の中に建てられていて、十人近く泊まれるものから、二三人用の比較的小さなものまで在った。薫は以前に宿泊した事のある四人用のコテージを予約していた。部屋にはベッドが二つとロフトがあり、円形のジャグジーの風呂が付いていて、天窓を解放すれば、露天風呂のような状態になるような浴室だった。
「へー、なかなかいい部屋じゃない、キッチンも有るし、食材は何処かで調達出来るの?」
「ああ、この下の牧場を下った所に、食材関連の市場があるからそこで土地のもの、乳製品とかハムとかをはじめ、焼きたてのパンなんかも販売してる。簡単な物は、さっきのセンターハウスの売店でも売ってるけどね。」
「それじゃ、明日は早めに起きてその市場の朝市にでも行きましょうか。私が朝食作るから。」
「ふん…大丈夫、まだ由紀の料理て食べたこと無いけどさ。」
「うーん、どう言う意味かなぁー?」
「だって由香の料理は酷かったから。味付けの基本を知らないって言うか、多分料理なんかしたこと無いだろう。いつもメイドさん達が作ってくれるから。」
「おお、そう言う事か、確かに由香の料理は、小さい頃のママゴトの息を越えてないね。彼女は適当に食材を混ぜれば料理になると考えていたからね。でも、私はロンドン仕込の腕前があるのよ。一人暮らしで少しは料理作ったし。」
「そう、じゃ楽しみにしてるよ。」
由香は一頻り部屋の中を物色してから、ジャグジーを見つけ、
「ほうー、此所が例のお風呂!」と歓声を上げていた。
一通りコテージを見回った由紀は、中二階から続くテラスに居た。
「もう直風呂沸くから、先に入りなよ。」薫は、由香の背中越しに声を掛けた。
「薫もつまんない事言うのね。当然、一緒に入ろうって言うべきじゃない。由香とはよく一緒に入ってたんでしょ。」
「一緒って言ったって、風呂場の前で待機してただけで…」
「由香の下着、クンクンしたりして?」
「馬鹿、殴るぞ!」
「はは、冗談だよ。そう怒らないでよ。薫が紳士だった事は知ってるからさ。」そう言いながら、由紀は薫の腕に絡んで来た。二人は暫く、星空を眺めていたが
「なあ、由紀、今になって後悔しても遅いけど、由香にはもっと自分の気持ちをぶつけておけば良かったと思ってるんだ。話したい事やしてあげたい事が沢山有ったのに、何時も由香に先手を取られて、何もしてあげられなかった。」薫は、失った存在の重さを感じながら言った。
「それは、薫だけの事じゃないよ。私だって、母だって、由香を取り巻く誰もが感じてる事だよ。心の何処かにポッカリと穴が開いたのは、薫だけじゃ無いよ。でも、その先に進まなきゃだめだろう。私はそう思って、日本へ帰ることにしたんだよ。そして姉の恋人を好きになったのもね。それは、これから生きていく者の当然の義務だと思うよ。」
「由紀て強いね。」
「別に強くは無いよ。あの頃、薫が側にいたらきっと薫の胸で泣いていたよ。その分無理して吹っ切れてるし、薫と違って、私にとって、由香は私の体の一部みたいな物でもある訳で、同じ遺伝子を持ってるからね。だから少しは寂しさが紛れるのかもしれないけど。」
「その感覚は僕には良く分からないけど。はっきり言って今でも由紀を目の前にして僕の頭は混乱してるんだ。でも、僕は由香の臨終に立ち会ったし、その時彼女の魂が開放されて行く様な感覚さえ持っている。それは、現実の実感として、体験した事実なんだ。」
「魂が開放されるってどういう意味?」
「由香は随分無理してたんじゃないかな、恐らく僕との旅が始まってからは。僕には、自分の寿命と旅する事を取引した様にさえ感じられる。確かに、前回の手術で一般人並みに元気になって、何処へでも行ける様になったけど、同時にその事は自分の命を縮めてる様な気がして成らないのだけれど。だから、僕はあの時、由香は本当に自由に成ったんだなって感じたんだ。重い体からも、現実での束縛からも全てから解き放たれたって気がした。そう、そして本当に天使になっちゃったって。でも、それは、僕の僕自身に対する、慰めの気持ちだったかもしれないのだけれどね。それから数ヶ月の間は本当に辛かった。家に居ても、母は仕事に出てて、一人になると悲しみが込み上げてきて…あの時、今の様に由紀が側に居てくれたら、どんなに慰めに成っただろうかと思うととても残念だけど、逆にあの辛さが有ったから、今僕はこうして居られる様な気もする。」
二人は、暫くの沈黙の後、
「お風呂に入ろう。」と由香が切り出した。
山々の谷間の闇の中にさえ入り込んでいる星達が、夜空の暗闇を瞬きに変えていた。そんな星々の饒舌を、ジャグジーの泡の中で二人して見ていた。
薫は、由紀を抱きかかえる様にして、湯船に浸かっていたが、お互いに背中を流し会いになった時
「薫の背中キズが有るね。結構深そうなキズね。」と言ってそのキズ後をなぞった。
「子どの頃のキズなんだけど、良く覚えていないんだ。父親とその頃海外に行った事があったみたいで、その時事故に巻き込まれた時の物らしいけど、一寸記憶が飛んでて、結構酷い怪我だったみたいで、その影響からのものらしいけど。」
「由香は、このキズの事気づいてた?」
「どうかな、改めて見せた事無かったし、こんな風に背中を流し会いもしなかったから。」
「あなた達三年も付き合ったのに何してたのよ。」
「確かに、今考えれば、惜しい事をしてたなって気がするけど、でもそれが由香との関係だったんだろうな。」
ジャグジーを出た後、二人は買っておいた白ワインを開け備え付けの簡単なキッチンテーブルで飲み始めた。
「一寸のぼせたね。でもいいお風呂だね。」
「ああ、夜中じゅう入れるから・・・」
薫が注いだワインを飲みながら、由紀はテーブルの下で足を絡ませてきていた。
「そろそろ、ベッドに行かない?」
「ベッドは狭いから、ロフトにしよう。マットを敷けば広々使えるし、窓から星も見えるから。」
「うん、いいよ。」由紀は少女っぽい笑みを浮かべながら答えた。
バスローブだけの由紀は、マットの上でゴロゴロ転がりながら、ワインを少しずつ飲んでいたが、
「まだぁー、早くおいでよ。」と薫を急かした。薫は由香のノートを読み返しながら、ワインのつまみを持ってロフトに上がって来た。由紀は寝たまま、薫を招くように両手を差し伸べてから
「遅いよ。待ちくたびれちゃったよ。」と言って薫に抱き付いてきた。薫は、軽くキスした後、由紀のバスローブの紐を解くと、全裸の由紀の体を愛撫しだした。唇から胸、へそと口付けをした後、由紀の下半身の谷間に舌を入れた。由紀は少しくすぐったがりながら
「そこも、由香と同じサイズのはずよ。」
「うーん、きっとそうなんだろうけど、こんなにはっきり見たこと無かったから…」
「ええ、そうなんだ…ほんと薫って可愛そう。私のほうが、姉の体のこと良く知ってるかもね。」
「もう三年も経ってしまったせいなのか、由香との事は余りにも綺麗な思い出に成りすぎて、実感が沸いてこないんだ。映像としては鮮明に残っているのに、その時の温もりや感触がまるで無くなってる。まるでバーチャルの世界の出来事だった様にさえ思える。」
「薫はまだ引きずってるのよ、姉の事。」そう言いながら由紀は薫の下半身を愛撫してから、愁いを持った顔の薫の顔を見た。
「手とか口とかで、元気にしてあげようか?」と訊いてきた。
「それでも良いけど、由紀がつまんないだろう。少し時間を置けば戻ると思うから・・・」
「まああ良いか、まだ夜は長いし。」由紀は、はだけたバスローブを腰のあたりに残したまま、薫の上に乗って、薫のパジャマを脱がし初めた。
「由紀は、薪能(たきぎのう)の話聞いてない?」
「薪能?」薫のパンツを脱がし初めていた由紀が反応した。
「奈良に薪能を見に行った時の話。」
「奈良とか京都に行った時の話?京都で薫の叔父様に会ってご馳走になったとかって言う内容じゃなかった?」
「うん、由香が由紀にどんな話しをしてたかなって一寸気になって。」
「うーんん、パソコンの中に残ってると思うけど。あのパソコン封印しちゃったんだよね。」
「由香は、京都にも奈良にも行った事無いて言ったけど。」
「うん、確かに薫と行くまではそうだったと思うよ。高校までの修学旅行とかはずっと欠席してたし、ましてや一人で出かける事は薫と逢うまでは絶対無いだろうし。」
「その時、僕らは和服を着たんだ。」
「和服?」
「由香は、淡いピンクの地に桜の花びらを思わせる小さな文様が雪の様に舞っている感じの着物で、僕は紺の着物だった。奈良の三条の神楽屋さんとか言ったかな、そこで誂えてくれたんだけど。」
「神楽屋さんて、神楽先生の所?」
「知ってるの。」
「うん、中学の時の先生だった。私達と仲が良かったのよ、でも乳癌で手術する為に
ご実家に戻ってから、入退院を繰り返したらしいけど、私が最後に会った時は元気に家業を継いでらっしゃったけど。そうだ、その時、三輪山の山辺の道を歩いたわ。」
「ふーん、でも由香は行った事無いんだよね。」
「先生とは仲が良かったから、行けば覚えてるでしょ、私だって由香だって同じに見えるだろうし。先生は元気だった?」
「うんーん、誰が先生だか分からなかったし、着付けをしてくれた人は結構若い女性だったよ。」
「ふんそう、なんか一寸悔しいな。薫の和服姿は似合いそうだし、薪能とやらも一度見てみたいし。薫の叔父さんには会ってみたいな。」由紀は、薫に胸をピタリと付けて耳元で囁く様に言った・
「来年行こうか?」
「おう、嬉しいね。そしたら先生にも逢えるかな。」
「うーん、一寸それはどうかな・・・」
「え、何で?」
「由香の話から推察すると、終末施設に入られてる様だ。つまり末期癌であまり長くは無い状況だったんだろう。」由紀は暫く黙ったまま居たが
「そうかも知れないね。いい人だったから。善人は早死にしちゃうのよね・・・後からメール読み返して見なきゃだめだね。」由紀は少しやるせ無い思いを薫にぶつける様に、強いキスを求めて来た。その後二人が一つに成るまでには大した時間は掛からなかった。
由紀は薫の上に馬乗りになって激しく攻め立てていた。
「由紀、ダメ!出ちゃう。」
「いいよ、そんな事、気にしないで、今は大丈夫な日だから。」
荒い息と共に、由紀が薫の上に倒れこんで来たのと同時に、薫も果てていた。
「一度これやってみたかったんだ。前の彼は絶対にさせてくれなかったから、英国紳士の沽券にかかわるとか言ってね。私好きかも、攻める方が、薫は?」
「一寸辛いな、自分の意思に反する様な状況だと…」
二人が、ロフトの寝具の上を、数往復する行為が終わった頃やっと眠りについた。
鳥の囀りと朝の光のキラメキで薫は目を覚ました。ふと側に居るはずの由紀を探したが、その温もりは無くその瞬間、薫は激しい焦燥感と喪失感に襲われた。「まさか」と思いながら、ロフトを降りてみると、テーブルの上に朝市に行くとのメモが置いてあった。そして安堵と気まずさが同時に押し寄せてきて、暫くそのまま椅子にもたれ掛かるように座り込んでいた。
「僕からもう奪わないでくれ、何も…」心の中の叫びは、空しく朝の空気の中に吸いこまれて行ったが、そんな薫を正気に戻したのは、由紀からの電話だった。携帯を手に取ると
「薫、迷子になっちゃったよ。このままだと牛に食べられちゃうよ。」と由紀からの困り果てた様な声は、何日かぶりに聞くような気がした。
「今何処だ、と言っても迷子なんだから分からないか。近くに何かあるか?」
「うん、牛が…」
「他には?」
「サイロみたいなのが見える。」
「どっちの方向?」
「太陽と反対側の方、私の左の方にあるけど。」
「うん、分かった。きっと分かれ道の所を間違えたんだ。そこで待っててすぐ行くから。」
薫は慌てて車に乗り、牧場の側道を下っていった。道が終わりに成りかけた先の所に、牛に追い詰められたような格好で、座り込んでいる由紀を見つけた。コーヒー牛乳の様な色をした牛達は、由紀を餌をくれる牧場のアルバイトかなんかと間違えたのか、周りに寄ってきていた。薫の車の音で少し陣形が乱れたのを見て、薫は由紀を連れ出した。
「ああ、牛に襲われるかと思ったよ。羊ならイギリスで慣れてるけど、なんだか舐められたんでベトベトしてるよ。」
「いい味がしたんじゃないのか。」薫がからかうと、一寸怒ったが
「ともかく、助かったよ。有難う。」そう言って薫の頬にキスをした。
「牛臭い!」薫が言うと、由紀は軽く足を蹴ってきた。
結局、二人は車で朝市に向かうことにして、牧場を一周するようなコースで町に辿り着いた。
「せっかく、薫に朝ごはん作ろうと思って食材を買出しに行ったのに。」
「起こしてくれれば、始めから車出したのに。」
「一寸驚かせたかったのよ、朝起きたら朝食が出来てるなんて、新婚夫婦みたいで楽しそうだから。」
由紀は照れながら、薫の腕にしがみ付いて来ていた。駅前の食材市場は二人が想像していたより大規模で、近隣の市町村からも客が来ていた。
「徒歩でもちゃんとした道を行けば、二十分位でここに着くけど、車だとだいぶ遠回りになるんだ。それにしても盛況だね。」
「予想以上ね。何を買えば良いのか目移りしちゃうよ。どれも美味しそうで。」
「ならいっその事、ここで食事していこうか。それとお昼の分も買おう。」
二人は適当な屋台を探しながら市場の中を見て回った。結局、地元特産のブルーベリージャムがたっぷり塗られた、自家製のパンと搾り立て牛乳、それに自家製のベーコンと辛口ソーセイジにサラダ付という、街中の喫茶店で注文したら結構な値段を取られそうな、モーニングセットにありついた。
市場は活気があって、皆楽しそうに自分たちが育てた作物を売り、自慢し立派な出来であれば褒めながら商売をしていた。そこには、都会で感じられるような、演出も誇張も無く彼らの作品を見れば全てが伝わってくる感じがした。
「みんな楽しそうだね。」
「美味しい空気ときれいな水と豊かな土地があれば、人はこんなに素敵な暮らしができるんだね。」
「世界中がこんな様になれば良いのにね。」
賑わう市場を一通り見て回って、昼食用のおむすびと調理パン、それと新鮮なジュースとブルーベリーを買ってコテージに戻った。由紀がシャワーを浴びている間に、薫は荷作りを済ませると、備え付けのメーカーでコーヒーを入れテラスに出た。由紀が髪を拭きながら上って来たので、ポットのコーヒーを分け、二人でぼんやり長椅子に座り込んで目の前の山々を見ていた。
「朝由紀が居なかったんでびっくりした。由香の事も有ったからさ。」
「うん、心配掛けちゃった見たいね。少しはゆっくり寝かせてあげようかなと思って起こさなかった。」薫は遠い山を見ながら
「なあ由紀、出来たらずーと僕の側に居てくれないか。」薫は落ち着いた口調で優しく語りかけるように言った。
「ふんー、それてもしかしたらプロポーズ?」
「うん、そう受け取って貰って結構だ。正式には、色々手順を踏んだ後から申し込むけど。」
「有り難う、非公式だけど謹んでお受けします。由香の分まで幸せに成らなくちゃ。」
由紀は薫の肩に頭を乗せてから、顔を見上げる様にしてキスをした。
由紀の「もう一度しない」との潤んだ瞳の誘いに対して、
「ご免、今日は少し長いこと走らなきゃいけないんだ。それに途中に寄りたい所も有って・・・」
「そうか、残念だけどまあ良いか、今夜も有るし。それで今日は何所へ連れて行ってくれるの?」
「ロンドン暮らしの由紀の為に、考えた純和風の温泉旅館、日本の昔ながらの湯治場の風情が残っている所。」
「へえ・・・そこへは由香と?」
「いや、途中立ち寄る所は、由香と旅したけど、そこへは行ったこと無い。叔父の紹介なんだ。」
「ああ、京都の叔父様ね。」
二人はまだ朝の空気がその新鮮さを残している内に、コテージを後にした。暫く大きな湿原を見ながら走り、やがて山間部の高速道路に出てから幹線道路を突っ切り、新しく出来た環状線に乗った。薫はこの辺の山並みを縫うように走る道路が好きだった。それはあまり多くは無い、父がいた時の家族での思い出と重なっていた。都会をかすめる様にして
昨日までいた山間部とは違った山並みの中に入っていった。暫くくねくねした登り坂を進み、見通しのきく峠の様な所に出て車を止めた。そこは、海上から見れば遙かに高い崖の上の道だった。眼下の海を見ながら、薫は
「あの高い山の麓が朝までいた所さ。」
「へえ、あんな所から走って来たんだ、イギリスはあんまり高い山が無いから。良い景色だね。」
「ここを少し下っていった所に、良くお世話になった海の家が有ったんだ。祖父の知り合いの持ち物らしかったけど、今は古くなったんで壊しちゃったけどね。僕が小学生位の頃に何度か家族と来てあの浜辺で泳いだよ。」
「ふーん、綺麗な海岸ね。数年前ロンドンの友達と南フランスの海に行ったけど、そこも綺麗な海だった。でも浜辺に居ると気が引けちゃうのよ。あっちの人って大胆だから、薫を連れてったら、目のやり場に困るか、海を見ないで人ばかり見てるかもしれないわ。まあ、それ以来、海水浴には行ってないけど、まさか泳ぐつもりじゃ無いでしょ。」
「さすがに海水浴には、まだ早いよね。海に足を浸ける位なら良いけど、それに日本じゃそんなに大胆な人は居ないから大丈夫さ。」薫は朝作っておいたコーヒーをポットから分けて由紀に渡した。
「此所へ来たのは一寸訳が有るんだ。」
「訳?」
「この先の事を考えて、僕の事を話して置きたくて。一緒に暮らすとなったらお互いの事知って置いても良いかなって思ったんだ。」
「ふん、それでまず薫からって事?」
「まあ、そうかな・・・由紀はまだ僕の母に会ってないから実感が湧かないかもしれないけど、実は僕と母は血が繋がって無いんだ。」
「ええ・・・」
「ああ。やっぱり由香から聞いて無かったんだね。」
「由香は知ってたの?」
「うん、元々の発端が彼奴だったからね。僕の事由香はどんな風に話してた?」
「どんな風て・・・手術の時に見た夢の中に現れた男の子を見つけたって所からよ。確か通学途中の駅かなんかでね。私は、まあ由香のファンタジー話の延長かと思ってたら、薫の詰め襟姿の写真を後から送ってきたのよ、それで、薫は実在する人物だって分かった訳。由香は良く現実離れした話をするからね。薫が実在する人物だと分かったんで、たぶん人目惚れでもしたんだろうと解釈してたんだけど。」
「じゃーその夢についての話は他に何か話した。」
「うーん、その子と旅をする事に成るだろうって事かな・・・」
「シオリと言う人物の話は出なかった?」
「シオリ? 本当にもう一度メールを読み直さないとハッキリしないけど、確か出て来なかったと思う。」薫は少し間を置いてから
「シオリて言う人が僕を産んだ母なんだ。最も既に他界してて、僕はその人の顔すら知らなかったけど・・・そうか、由香は何も話して無かったんだ。」
困惑した様な由紀の顔を見て薫は優しく言った。
「そうすると、これから話す事は由紀にとっては、一寸ショッキングな話に成るかもしれないな・・・」
「うーん、さっきの血が繋がって無いて話だけで十分ショッキングだけど。そのシオリさんがどうしたの?」
「由香は元々、そのシオリさんから今回の依頼を受けたらしい。」
「依頼?だってそのシオリさんは既に死んでるんでしょう。」
「うん、だから、由香が一度死んだ時にね。」
「ええ、良く理解出来ないな。一度死んだってあの手術の時に危篤状態に成ったって時の事でしょう。」
「うん、たぶんそうだろう、由香が言ってたからね。まあ、仮に由香の話が、手術の麻酔か何かの作用での幻覚だったとしても、シオリと言う人物を彼女は知らなかったんだ。僕ですら、叔父から告白されるまでその人の存在すら知らなかったからね。」
「じゃあー由香はあの時に、シオリさんの霊だか何だかからか依頼を受けて薫と旅を始めたと言う訳?」
「簡単言うとそう言う事になるかもしれないな。」
「私も、古代遺跡やオーパーツなんかの調査をするから、この世の不思議話は多少経験が有るけど、こんなに身近にそんな話が有るとは、まして身内の事で・・・由香は薫の事が好きになったから、旅を口実に薫とデートをしていたんだと思ってたわ。元気な体に成ったし。」
「確かに、それも半分あったと思うけど、シオリ、僕の母からの使命の様な物を受け取ったんじゃないかと思う。」
「で、そのシオリさんて方はどんな人だったの?」
「うん、少々込み入った話になるんだが、仮定の話として聞いて、仮に由香が生きていて由紀と由香が僕を共用していたら、由紀はどう思う?」
「共用て、本妻と側室みたいな?」
「うーん、男の立場にするとそう言う表現になっちゃうか。要するに、シオリさんは、僕の父と叔父の二人から愛されてたんだ。そして父と叔父は双子の兄弟だった。これがある程度大人に成ってからの関係なら、お互いに節度が有ったんだろうが、シオリさんは、父達が子供の頃に、当時住んでいた鎌倉の東堂の本家に引き取られ、父達とはまるで本当に仲が良い兄妹の様に育てられたんだ。そして三人はとっても開放的な関係だった。」
「開放的?」
「うん、ある程度年が行っても平気で裸で抱きあったり、互いの性器を見せ合ったり、言わば禁じられた遊びだ。異性は意識していたんだろけど、ルールを無視していたって言えばいいのかな。」
「一寸危ないね。」
「そして本来なら分別のある大人の年になっても、父と叔父はまるで奪い合う様にシオリさんを求めた、心も体もね。そんな中で僕を妊娠した。だけど、恐らくシオリさんは結論を出すことが出来なかったんだと思う、両方とも愛していたから。だから心を閉ざしてしまったんだ。」
「え、それじゃー薫の父親は・・・」
「正確にはどちらか分からない、運悪く両方とも同じDNAだし・・・心を閉ざしたままシオリさんは病死した。それで叔父より先に就職していた僕の父が、今の母と結婚して僕を育てたんだ・・・叔父から聞いた話はもっとショッキングな内容なんだけど、概要としてはそんな所なんだ。」
「それじゃーシオリさんのやり場の無い悲しみが、由香を捕らえたの?」
「僕はそう言う風には捕らえたくない。実際由香と謎解きをしながら旅した三年は楽しかったし、由香もそうだったと思う。その結果由紀とも出会えたし・・・だから怨念とか悲しみとかが動機になった物では無いと考えたい。依然、由香と二人で叔父の所を尋ねた時に、由香と始めた旅の経緯を叔父に話したんだ。初めは由香の話を半信半疑で居たみたいだけど、シオリさんの名前が出てから、昔の話を聞かせてくれ・・・、最後に、『シオリならやりかねないな』て言ってた。」由紀は暫く考え込むような仕草をしていた。
「じゃー由香は、シオリさんの生まれ変わりだったの?」
「それを確かめるのが、三日目の目的さ。シオリさんには、高校時代女子高だけど、とても親しかった先輩が居たんだ。その人は、大学を出て薬剤師として暫く働いてたけど、結婚されてから旦那さんの夢だった 旅の宿を開いた。そこがこの先に有る宿屋ってわけ。」
「ほうー、じゃーその先輩さんに会えば何か分かるって事か。」そんなか二人の会話が終わった頃、目的の場所に着いた。
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