第0の不思議︰はじめに幼なじみありき-04
「部活の顧問?」
帯洲先生はそう言うと、失言したって顔をして職員室の中を見回した。それから声のトーンを落とす。
「私に?」
「はい。そうです。ぜひ先生に顧問になってほしくて、申請書を持ってきました!」
わざと大きな声で答えてやる。何人かの教師がこっちを見た。帯洲先生は渋々といった感じで書類を受け取る。
「郷土史研究会、ねぇ」
「はい。この鶴乃谷の歴史について学びます。古い文献を調べたり、お年寄りに話を聞いたり」
いかにも気乗りしなさそうにオレの話を聞き流しながら、帯洲先生はショートボブにした髪を撫でつけながら書類に目を通す。
先生はこっちを向いて脚を組んで座ってる。そのせいで脚からお尻にかけてのラインはもう今にもはちきれそうだ。その正体が鋼のような筋肉だって判ってても、つい見てしまう。
そうだ。第一の不思議は決して破れない帯洲先生のパンツスーツってことでどうだろうか。
宮華の人を軽蔑しきった視線が目に浮かぶ。というか、そんなことして宮璃にチクられたら困るな。
「土日の活動はないのか」
「はい。あっても引率は不要です。普段の部活ももちろん、先生にしてもらうことはありません」
「けど、先生は歴史なんて門外漢だ。古文と無関係じゃないとはいえ……。他にふさわしい先生がいらっしゃると──」
そこで先生の書類をめくる手が止まった。見てるのは部員名簿。
「神野ってのはあの神野さんか? 入試でトップだった」
「入試の順位は知りませんけど」
っていうかアイツ、そこまで成績良かったのか。あと先生、他の生徒の入試の順位を言っちゃうとか、それなにげに失言なんじゃないか?
「ほとんど顧問の仕事はなく、神野が部員……」
考え込む帯洲先生。
「あの、帯洲先生。お忙しいようなら僕が」
隣の教師が口を挟んできたのを、帯洲先生は手で制した。
「いえ。お気遣いなく。私に、とのことですから、やはり私が引き受けましょう。学業以外でも生徒の成長に尽くすのが教師というものですから」
そしてそれ以上の邪魔が入るのを避けるかのように、先生はいそいそとサインをしてくれた。
「ありがとうございました。それじゃあこれは明日にでも生徒会室に出しておきますから」
「ああ。よろしく頼むよ。神野さんにもよろしく伝えておいてくれ」
こうして郷土史研究会はあっさり設立されることになった。
オレの家は学校から自転車で20分くらいのところにある。このあたりでは珍しくもない、古ぼけた二階建ての一軒家だ。
帰宅が遅くなったけど、共働きの両親はまだ帰ってない。居間に行くと宮璃が制服のままうつ伏せでソファに寝っ転がって、スマホをいじってた。口にはアイスの棒をくわえてる。
「あ、イチニィおかえり」
宮璃はうつ伏せのまま脚をパタパタさせて出迎えてくれる。スカートの下は学校ジャージだ。ちなみにイチニィはイチロお兄ちゃんの略であって、ワンツー的な掛け声ではない。
「ただいま。そんなカッコで横になってると制服シワになるぞ」
そう言いながらオレは床の座布団に腰を下ろす。
宮璃。
といっても複雑な家族関係があるわけじゃない。三国志の劉備と関羽、張飛みたいな意味でオレと宮璃は義兄妹なのだ。……いや、これはオレじゃなくて宮璃が言い出したことだ。三国志うんぬんも。ホントに。
なぜか宮璃はオレのことを保育園のころから実の兄のように慕ってくれて、一人っ子のオレも本当の妹のように可愛がってきた。
その関係は宮華とすっかり話さなくなった小学校以降も続いて今に至る。
両親にも実の娘のように気に入られてるし、うちの合鍵も持ってるし、なぜか我が家には宮璃の部屋まである。
さすがにベッドとかはないけど、両親が宮璃の小学校入学時にどっかからもらってきた学習机はある。……よく考えるとこれ、普通じゃないな。
「どうしたんだこんな時間まで。家に帰らなくていいのか? そろそろ晩メシだろ」
「ゴールデンウィーク明けでしょ? 憂鬱なお兄ちゃんを癒してあげようかなって思ってさ。って言ったら信じる?」
「信じる」
可愛い妹の言うことなら、オレはなんだって信じちゃうのだ。なんなら嘘だと判ってても、あえて騙されちゃう。
「それが、違うんだなぁ」
得意げに言うと、ソファの上で座りなおす宮璃。
「なんかお姉ちゃんがお兄ちゃんと久しぶりに話すようなこと言ってたから、迷惑じゃなかったか様子見に来たのです」
そして、あらたまった様子で頭を下げる。
「姉がいつもお世話になっております」
「いやいやこれはご丁寧に。って、まともな会話したのも何年かぶりだぞ」
「だよねー。だから急にどうしたのかと思って」
ふむ、と呟いてアゴに手を当てる宮璃。普通ならいちいちあざとい感じになりそうなんだけど、宮璃がやると自然だ。自然に可愛い。
宮璃と宮華は似てない。宮華は端正でキレイだけど、宮璃は親しみやすく、爽やかで明るく、健康的な可愛らしさ。ポカリのCMに出てても違和感ない。
「で、なんの用だったの? 告白でもされた?」
「んなわきゃないだろ。って、え!? あいつオレのこと」
「ないよさすがに接点なさすぎだよ」
「だよな。一瞬ドキッとしちゃったぞ」
「お姉ちゃん美人だもんね。成績優秀、スポーツ万能だし」
「そんなことないぞ、おまえだって……とか褒められたいのか?」
「正解! さっすがイチニィ。解ってるならはよ。ほら」
手をクイックイッと動かす宮璃。
「あー。あのな。宮華から部活を作りたいから部長になって欲しいって頼まれてさ」
「今それ言うタイミングじゃないから! ……けど、そっか」
「心当たりでもあるのか」
「なんでお兄ちゃん誘ったかは解るよ。同じ中学の人って、あとは遠藤さんだけだもんね」
なぜ宮璃がそれを知ってるのか。オレは言ってないから宮華が言ったんだろう。ただ、宮璃のことだから誰から聞いててもおかしくない。
宮璃は学力も運動能力も普通、いや、兄としてそれよりちょい上くらいだと言いたい。もちろんそれでも宮華には遠く及ばない。
けど宮華よりも、というか常人を軽く凌駕するところがある。化物級のコミュ力を持ってるのだ。
誰とでも仲良くなれるとか当たり前。校内はもちろん、ここらへんに暮らす地域住民の中にも、老若男女を問わず宮璃の知り合いは多い。“そこらへんのヤツはだいたい知り合い”レベル。
小学生くらいまでは、言ってみれば地域ネコみたいな存在だった。道を歩けばおやつをもらい、“ご飯食べてくかい?”と言われ、オレの全然知らない家に出入りしてる姿を見かけたことが何度もあった。
のどかな田舎の話ではない。まあ鶴乃谷も田舎なんだけど、車で下道1時間半、電車なら急行1時間くらいで都心に出るようなそれなりの地方都市なのだ。
さらに宮璃は近隣の町内会ごとに開かれるすべての夏祭りで子供神輿をかつぎ、桜祭りのチャリティバザーでは商品集めに奔走もする。
中学生となった今では肉体をまとって現世に顕現した地域社会の権化みたいな域にまで達していて、たぶんこのまま大人になって市長選にでも出れば、ダブルスコアで当選するだろう。今だって出られさえすれば余裕だ。
もちろんネットを介した交友関係も凄いことになってるみたいで、一度プロカメラマンとしてそこそこ有名だというオバサンが仕事のついでに宮璃に会いに来て、なぜかウチの宮璃の部屋に泊まってったことさえある。
そんな宮璃だが、変質者に連れ去られそうになったとか、そんな危ない目には遭ったことがない。本人のバランス感覚、人を見抜く天性もあるんだろうけど、たぶん“鶴乃谷すこやか見守り隊”の存在も大きいんだろう。
見守り隊というとなんだか暖かい感じがするけど、その歴史は戦後間もない混乱期に発足した自警団にまで遡るらしい。その実態は徒党を組んで、あるいは散発的に市内を徘徊している老人の群れが組織化されたものだ。
その監視力、情報収集能力はハンパじゃなく、地元住民や仕事、通学などで鶴乃谷に通っている住民のことはかなり細かく把握しているという。
この春から仕事などのために鶴乃谷に越してきた若者たちでさえ、今ごろは顔と名前、職場、来る前はどこで何をしてたか、恋人の有無なんかも知られているはずだ。
鶴乃谷が周辺に比べて犯罪発生件数が飛び抜けて少なく、検挙率、解決速度ともに全国トップクラスなのも、この見守り隊おかげだという。
それでいて構成メンバーや活動詳細は非公開と怪しさ満点。鶴乃谷の親は言うことを聞かない子供に向かって“見守り隊に連れて行ってもらいますよ”なんて脅しに使ったりしている。
歩いてて不気味な視線を感じたと思ったら通りの向こうから数人の老人がこっち見てたって経験は鶴乃谷あるあるだ。
高度に発達した安全、安心の見守り社会は末期的な監視社会と区別がつかない。
もし誰かが邪な意図で宮璃に接触しようとしても、秒で身柄を拘束されて廃コンテナにでも棄てられるのがオチだ。
そんなわけで宮璃は心置きなく人付き合いに精が出せるわけだけど、そんな宮璃が兄と呼んで慕ってくれてるのはこのオレだけだ。ここまでのことはすべてその自慢のための前フリである。
「それにしても部活って。何部なの?」
そこでオレは郷土史研究会について説明した。七不思議作りについては伏せて。話していいものかどうか解らなかったのだ。
「うーん。お姉ちゃんが、ねぇ……。理由はなにか言ってた? そもそもイチニィ、どうして引き受けたの?」
「理由については知らん。やりたいことが何かあるらしい。引き受けた理由は簡単だ。他ならぬ可愛い妹の姉の頼みだからな」
ふーん、と言ってはいるけど宮璃に納得した様子はない。
「じゃ、私そろそろ帰るね」
「おう」
「お母さんに帰るって連絡しちゃったし、お姉ちゃんからも話聞いてみたいし」
「そっか」
宮璃が帰ると、オレはさっそく宮華に連絡。宮璃に話したことを報告して口裏合わせを頼む。こんなことで嘘つきお兄ちゃんになるわけにはいかないのだ。
宮華からの返事は早かった。了解の二文字。
こうしてこのオレ、一部の友人からはナゴヤと呼ばれ、大多数からはイチロと呼ばれ、親からはもう聞き間違えようもなくイチロー呼ばわりされてる
そして、すべての引き金になった放火事件も、やがては予想外の意味を持つように……なるんだろうか。知らん。たぶんオレとは何の関係もなく、普通に警察が捜査して犯人捕まえるんじゃないだろうか。
意味ありげなモノローグを思い浮かべ、オレは夕飯の準備に取り掛かった。
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