第1の不思議︰ヒキコサンvsひきこさん-04

 その後数日、梅雨の走りか雨の日が続いたので、オレたちは場所を変えながら作戦を続けた。基本的に一人驚かせたらその日は終わり。空き教室で着替えてメイクを落とし、部室へ戻る。

 成果はあったようで、ある日の休み時間。オレは同じクラスの田中さんがこう言ってるのを耳にした。


「も、超びっくりしたよ。だってさあ、廊下の突き当りからゆらぁって出てきたんだよ。あれ絶対ヒキコサンだって。ヤバいよこの学校。放火もあったし」


 どうやら目撃者の一人だったらしい。注目されながら友人たちに語る田中さんの顔はまんざらでもなさそうで、オレは罪悪感がやわらぐのを感じた。



 意外にもそこそこ成果が出たし、あんまり続けてると不審者事案になりかねないので、オレたちはいつヒキコサンをやめようかって話をしながらも活動にいそしんでいた。そんなある日。


 いつものようにオレたちはヒキコサンに扮して8号校舎にいた。こちらが慎重になってるからか、噂になってみんなが警戒してるからか、その日に限ってオレたちは誰にも出会わないまま時間が過ぎていった。気がつけば閉門時間が近い。


「なあ。もう誰も残ってないだろ。帰るぞ」

「そうする? 残念だけど」


 と、そこで宮華は言葉を切った。


「誰か来る」

「見回りか?」


 フトモモを通して宮華の緊張感が伝わってくる。ここ数日の肩車で、おれは宮華のフトモモからコイツの感情の動きが解るようになってきていた。無駄な能力だし全身ヒドい筋肉痛で関節も悲鳴をあげてるけど、後悔はしてない。


 宮華の体が前に傾いた。角からそっと、向こうの様子をうかがったんだろう。オレは少しだけ重心を後ろにしてバランスを取る。


「!?」


 宮華は息を呑み、大きくバランスを崩した。フトモモから驚愕が伝わってくる。


「おい! あ、ちょっ、これヤバ──」


 オレはいきなりのけぞった宮華を支えきれず、体勢を崩す。そして──。


「おがぁっ!」


 どうやったのか自分でも解らないけど、宮華は向かい合わせになりながらオレの腹の上に尻から着地した。激痛に息が詰まる。バタバタと誰かの走り去る音。


 呻きながらスカートの外へ出てみると、宮華は呆然としてた。顔が真っ白で震えてる。


「おい! どうした!?」


 腕をつかんで揺すっても、返事がない。


「とにかく誰か来たらマズい。行くぞ」


 オレは階を移動すると空いてる教室で宮華にTシャツを着てもらい、部室へ行くと手早く帰り支度をした。閉門時間は過ぎてるから守衛に頭を下げて通用口から外へ出る。


 宮華は終始無言だった。言われたことには従ってくれるけど、あきらかに意識はどこかよそにあった。

 こんな状態じゃ一人で帰らせられない。オレは宮華を家まで送ってくことにした。


「なあ。いったい、何があったんだ?」


 オレはダメ元でまた尋ねた。


「ひきこさん」


 宮華はポツリと言うと、驚いたようにあたりを見回した。それからまた、上の空に戻る。


 道を歩いてると、どこからともなく年寄りたちの声がした。


 ──あれは星高──神野さんとこの──男は長屋さんとこだ──郷土史──本当かね──。


 切れ切れにかわされる囁き。けど、周囲を見ても誰もいない。見守り隊の老人たちだろうけど、普通にヒキコサンより怖ぇよ。


 途中にあったイートインのあるコンビニに入ると、オレはコーラとコーヒー牛乳を買った。


「ほら。これ飲んで落ち着け」


 先に座って待ってた宮華にコーヒー牛乳を渡す。

 しばらく二人で買ったものを飲んでると、ようやく宮華も落ち着いてきた。


「で?」

「ヒキコサンを見たの。廊下の反対側に立ってた」


 宮華は手にしたペットボトルを見つめたまま言った。


「長くて重そうな黒髪。ヨレヨレの白いソデ無しワンピース。異様な高身長……」


 そうつぶやく宮華の顔は真剣そのもので、嘘をついてるようには見えなかった。


「なにかの見間違えだろ」

「何と?」


 そう聞かれると返答に困る。


「鏡が置いてあったとか」

「アイツ、最初は横向いてたの。それがフッと顔をこっちに向けて」

「じゃあ、あれだ。ヒキコサン、噂になってるだろ? 誰かが便乗してイタズラしてたんじゃないか?」

「それなら、その誰かは身長が2メートル近くあるってことになる。学内にそんな生徒や職員、いる? 廊下のあちら端、T字になってるでしょう? あいつはそこを横切ろうとしてた。肩車なら動きでわかるはずだし」

「上げ底のブーツとか履いてたのかもしれないだろ」

「2、30センチもある? 走り去ったみたいだけど、不可能ではない、のかな……」


 考え込む宮華。だいぶ冷静さが戻ってきたみたいだ。

 そこでオレは、宮華の話からヒキコサンなら欠かせないポイントが抜けてることに気づいた。


「鎖と傷はどうだったんだ?」


 宮華はペットボトルからオレに視線を移した。


「そういえば、手ぶらだった。それに傷も、なかった気がする。暗くて離れてたから自信ないけど」

「ならやっぱ、そいつただの人間なんじゃないか? そもそも都市伝説が現実化してうろつき回るなんて、いくらおまえでも超えられない一線だろ?」


 オレはできるだけ軽く言う。もし人間ならそれはそれで不気味だけど、そのことはなるべく考えないようにする。とにかく今は宮華を安心させるのが先だ。


 宮華は残りのコーヒー牛乳を飲み干すと空になったペットボトルをタン! とテーブルに置いた。


「確かに。私としたことがどうかしてた。そう。あれは人間。他の可能性なんてない」

「そうそう」

「作戦を続行しながら、見つけ次第あの不審者を捕まえましょう」

「そうそ──は?」

「放火犯かもしれないし、そうでなくても不審者が校内を歩き回ってるなんて見過ごせない。一度新聞に載ってみたかったの。“お手柄女子高生、不審者を捕まえる”って」


 いやいや、めっちゃ怒られるだろ普通。危ないことするなって。それに今どき“お手柄女子高生”て。そんな見出し見たことない。あとその場合、オレの活躍はどこ行ったんだ。そもそも──。


「おまえ、人見知りだろ? 相手は人間だぞ。実体化した都市伝説じゃないんだぞ」


 人間より都市伝説の怪物の方が大丈夫そうって色々おかしい気がするけど、宮華の場合はこれで正解だ。


「なにもフリートークをするわけじゃないんだから平気。私だってコンビニでおにぎり温めるか聞かれて断るくらいできるし」


 それは何の意味もないんだけど、宮華は自信たっぷりに眼鏡をクイっとしてみせた。


「いやけど、先生に報告して任せた方が……」

「こういうとき、教師は何もしてくれないのがセオリーじゃない」


 宮華の大真面目な顔を見てなければ、なんの冗談かと思うところだ。新聞のことといい、コイツ頭はいいのかもしれないけど、社会常識が大きな穴だらけだ。ああ、これが残念美人か。なるほどな……。


「そもそも一対一で相手が武装してなければ、体格差があろうと負ける気はしない。安心して」


 そういう心配はしてないんだが……。まあいいか。不審者が短期間でそう何度も侵入するとは思えない。

 それに、今の宮華は見るからにヤル気に満ちてる。ビビらされた怒りをエネルギーに変えてるんだろう。そんな宮華を説得しようとしても、どうせ論破されるのがオチだ。


 だからこれは仕方のないことであって、流されてるわけじゃない。


「それとイチロ。帯洲先生から下校時間延長の許可をもらって。活動時間を遅めにシフトさせましょう。大丈夫。たぶんあっさり許可してくれるはず」


 そんなわけでオレたちはなぜかヒキコサンの格好で校内を巡回し、不審者を捕まえることになった。

 まず変装しないで不審者を捕まえ、それからヒキコサンとしての活動をした方が楽なんじゃないかと思うけど、両方同時にやる。理由は宮華にしか解らない。


 オレはあえてそのことを指摘しなかった。なぜならどれほど非効率だろうと、そのせいでこの身が砕けようとも、宮華を肩車することで感じられる諸々にはそれだけの価値があるのだから。

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