第1の不思議︰ヒキコサンvsひきこさん-05

 家に帰ると宮璃がいた。当然のように両親はまだ帰ってない。


「遅い!」


 オレを見ると宮璃は不機嫌そうに言った。


「おまえこそ、なんでこんな時間までいるんだ? そろそろ夕飯の時間だろ?」

「イチニィたちの帰りが遅いから心配して見に来たんだよ」

「あれ? 宮華、連絡してなかったか?」

「連絡あったよ。だから様子見に来たんじゃん」

「??」


 どういう連絡をすればそんなことになるんだろうか?


「ちょっと宮華が体調崩してな。少し休んでたんだ」

「ふぅん……」


 宮璃が目を細める。その仕草は姉に似ていた。


「な、なんだよ」


 オレは身構える。すると宮璃が寄ってきて、すんすん鼻を鳴らした。


「お姉ちゃんの匂いがする……」


 動揺を表に出さなかったオレは偉かったと思う。


「肩を貸してやったからな」

「へぇ。肩を、ねぇ」

「なんだよ。疑うのか?」


 宮璃はそれには答えず、オレから離れた。


「私はね。イチニィとお姉ちゃんが仲良くするのはいいことだって思ってるんだけど……」

「けど?」

「そのせいで自分が仲間外れみたいに感じたくはないのです」


 それは軽い口調だったけど、もっともな話で……。


「二人がもう少し仲良くなったら、たまには休みにでも三人でどっか行こうね」

「あ、ああ」

「約束だよ」


 何かはぐらかされたような気もするけれど、とにかくオレの返事に宮璃は人懐っこい笑みを浮かべた。



 宮璃はそれからすぐに帰って行った。その翌日。オレはさっそく帯州先生のところへ。宮華はあっさり下校時間延長の許可が下りるようなこと言ってたけどそんなことはなく、オレは苦しい嘘をいくつも並べることになった。

 それでも許可自体はもらえたので、オレたちは閉門時間の少し前から活動を始めることにした。おかげで準備時間が増え、宮華はこれまで以上に入念なメイクができるようになった。


 ヒキコサンの顔はある程度出来上がったグロテスクなシリコンマスクを貼り付け、顔とマスクの境目を隠すようにメイクすることで時短としていた。

 それが今や近くでよく見ないと境目も判らないくらいで、さらにマスクの上からもメイクを施すことでより自然に、より不気味に見える。これがあの宮華だとは誰も思わないだろう。


「まずまずね。本当は最初からこれぐらいやりたかったんだけど」


 宮華は鏡を見ながら言う。


「おまえ、凄いな。今さらだけど」

「私はね、大学出たら叔父の手伝いがしたいの。それでゆくゆくは自分の工房を持ちたい」

「え? そうなのか? てっきり留学でもして、外資系なんかで働くんだと思ってた。それか検察とか弁護士とか、医者とか」


 オレの言葉を宮華は鼻で笑った。


「そんなの、私には退屈でしかない。そもそも人見知りがあるから、普通の仕事は無理だと思う」

「それはそう、か」


 それを言うなら特殊メイクなんかも人とは関わるだろうから無理そうな気がする……。

 そもそもコイツの人見知りは保育園のころからだからそういうもんだと思ってたけど、あのころはここまでヒドくなかった。


「さあ、そろそろ行きましょう」


 宮華が立ち上がり、オレもリュックを背負う。今日向かうのは4号校舎。前回、ひきこさんと遭遇した校舎だ。

 ちなみにオレたちが出会った方は宮華が“区別のため”とか言ってひらがな表記することになった。


 校舎間の移動には各校舎の5階を結ぶ空中渡り廊下、通称“スカイデッキ”を使う。各校舎ごとの生徒の自由な交流を促し云々ってのが学校サイトの施設紹介にあった。


 4号校舎に着くとオレたちは部室のない2階の空き教室へ。宮華がかつらをセットし、ワンピースに着替える。その間、オレは廊下で見張りだ。

 宮華の準備ができたらオレも位置につく。長いスカートの後ろから、中へ潜り込むのだ。

 さすがにもう何度もやってることなので最初のドキドキ感と新鮮さはもうない、なんてことはなくて、今でもまるで初めてみたいな気分でオレは後ろから宮華の股のあいだに頭をインサート。フトモモをホールドすると慎重に立ち上がる。


 こうしてオレたちは新たな犠牲者を求めてヨタヨタ校舎内をウロついたわけだけど……。


「マズい……」

「そうだな」


 階を移動するときはさすがに一度、肩車を解除する。5階から2階へ行く途中、宮華がつぶやいた。


 遅い時間なのに、なんだか生徒の数がいつもより多い。しかもみんな、スマホ片手に周囲をうかがってる。たぶんヒキコサンを一目見ようとしてるんだろう。


 オレたちは撮影されるのを警戒して、なかなかコトに及べなかった。結局、閉門時間ギリギリに一人で歩いてた生徒を脅かすことができたけど、途中で何度かスマホ持った生徒から撮影されそうになった。


「次からはもっと下校限界ギリギリを狙わないと」

「やめるって選択はないのか……」


 オレたちが肩車の上下でそんな話をしながら歩いてると、トイレからそいつが出てきた。ひきこさんだ。

 静止して見つめ合うオレたち。というか宮華とひきこさん。


 少し離れたところでまばらな蛍光灯の光を浴びて立つひきこさんは、たしかに2メートルくらいあるように見えた。少なくとも190は超えてる。

 あんまり手入れのされてなさそうな、腰まで届くほどのパサついた長い黒髪。あちこちシワの寄ったヨレヨレの白いワンピース。体つきはスレンダーで、むき出しの腕や首周りの感じは女っぽい印象を受ける。光の加減を差し引いても、その肌はやけに青白い。

 けれど腕に傷はないし、もちろん鎖なんてもってないし、前髪に隠れててよく見えないけど……。


 ──ひょっとして、けっこう美人なんじゃ?


 なおも見つめ合うオレたち。先に動いたのはひきこさんの方だった。

 ひきこさんは歯を食いしばると前髪の隙間から見える目を怒りに歪め、こちらへ向かってダッシュしてきた。髪が肩から後ろに流れる。


 薄暗い学校の廊下を、髪振り乱した190超える女がダッシュで向かってくる。思わずオレが逃げ出そうとしたのも無理はないだろう。


「イチロ!」


 上から宮華の声が飛ぶ。フトモモから伝わってくるのは闘志。殺る気だ。

 ひきこさんに背中を向けようとしかけてたオレは落ち着きを取り戻す。右足を後ろに引き、重心をややそちらへ。そして気持ち腰を落として下半身を安定させる。


 あらわになったひきこさんの顔は憤怒に塗りつぶされてるけど、やっぱそれなりに美人そうだった。走るフォームはダイナミックで、長い腕と脚が力強く前後してる。


「はっ!」


 短い気合とともに宮華の体が揺れた。捕まえようとしたんだろう。しかし──かわされた。

 覗き穴の狭い視界から外れながら、上体を前に倒していくひきこさんの姿がちらりと見えた。


「ふざけんな!」


 剥き出しの憎悪と共に肩へ衝撃。体当りされた。乱れた足音がすぐに立て直されながら遠ざかっていく。


「イチロ!」


 叱咤の声。だが、無理だった。オレはバランスを崩す。


「がっ!」


 尾てい骨をぶつけ、折れたんじゃないかってくらいの痛みが走る。その腹の上に前回同様、宮華が尻から着地した。

 酸っぱいものがこみ上げるのを、オレは必死で押し戻した。



 痛みがマシになって動けるようになるまでしばらくかかった。オレたちは無言で部室へ戻る。


「大丈夫?」

「まだ痛い。折れちゃいないみたいだけど」


 オレはなるべく元気そうに答えた。


「明日も雨みたいだけど、どうする? 休む?」


 宮華からこんなふうに優しくされるのは初めてだ。


「おまえはそれでいいのか?」

「うん。少しやりたいことがあるから。だから、イチロが休みでもいいなら助かる」

「オレに無理させないためにそんなこと……」

「え? いやそうじゃなくて本当にやりたいことがあるの。それにイチロ、このあいだから思ってたんだけど湿布臭いよ。全身筋肉痛なんでしょう? 熱心なのはいいけど、あまり無茶されたらこっちが落ち着かない」


 そりゃ確かに筋肉痛で湿布貼りまくってるけど、臭いって……。


「それで、ひきこさんのことどう思った?」

「どうって、怒ってたよな」


 すれ違いざま、ひきこさんの放った言葉が蘇る。あれほどの憎しみを真っ直ぐぶつけられたのなんて初めてかもしれない。


「それにあの言葉……」

「“ふざけるな”。普通はバカにされたと思ったときに言うよね」


 あの状況で、バカにされたと思うなら何か。


「自分にそっくりだったから、か?」

「おそらく。向こうからすれば私たちは彼女のマネをしてるように見えたはずだもの」

「でも、なんでだ? 普通、自分にそっくりな格好したヤツがいたら、いきなり怒りだすよりまず疑問に思うだろ」

「それについてはだいたい想像できるけど……。とにかく、ヒキコサン狙いの生徒も増えてきてるし、そろそろ潮時。次に会ったときこそ、あいつを捕まえる」

「策はあるんだろうな」

「ええ。そのためにしばらく休むの。変装を改良するために」


 なんで変装した状態で捕まえるって発想から離れられないんだろうか、コイツは。


「改良ってまさか、武器とかじゃないだろうな」

「まさか。そんな馬鹿げたものじゃないって。言うなれば──強化外骨格」


 そっちの方がバカげてるんじゃないかと思ったけど宮華の口調があまりに当然のことみたいだったから、オレは何も言わなかった。

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