第1の不思議︰ヒキコサンvsひきこさん-09

 なんとなくそれぞれドリンクバーに行ったり運ばれてきたもの食べたりで会話が途切れる。


「ところで」


 メロンソーダをすすりながら、日下さんが言う。どうも日下さんはストロー使わない派らしい。


「私のことは……」

「黙っておいて。でしょ? それは別に構わないよ。私たちがあの格好することも、もうないだろうし」

「そう、なの?」

「ええ。ギャラリー増えすぎたから。閉門時間を割るバカも出てきてるし、このままじゃ誰かに捕まって正体がバレるのも時間の問題。そうなれば全部がだいなしだから」


 そこで宮華は日下さんに向かって少し身を乗り出した。


「それで日下さん。私たちからもお願い、というよりも相談があるのだけど」

「なに?」


 日下さんは警戒するように少しだけ目を細めると、宮華から視線を外さずにメロンソーダをすすった。


「特別なこだわりがないのなら髪をバッサリ切って、その白いワンピース、というよりもワンピース全般着るの、やめてもらえない?」


 それは“タチの悪いオレ様系彼氏”か“古風で性格の腐ったお嬢様”くらいしか言わないようなセリフだった。少なくともほぼ初対面の相手に頼むようなことじゃない。


 日下さんは不安そうに、長い黒髪へ指を滑らせた。


「今のあなたが目撃されると、ヒキコサンの話に現実的なオチがついちゃうから。星高のヒキコサンはあなたを見た誰かが話を盛ってただけだったって。するともう、ヒキコサンは語り継がれなくなってしまう。幽霊の正体見たりってヤツ」


 日下さんは答えない。そりゃそうだろう。宮華の言ってることは身勝手でしかない。怒りださないだけでも驚きだ。


「無理に頼めることじゃないのは解ってる。もちろん美容室の代金や服代は領収書持ってきてくれれば払う。払える額に限度はあるけど。そう……。5万円くらいまでなら」


 宮華の家は金持ちなんかじゃない。たぶん貯金を切り崩すとか、そういうことだろう。そこまで身銭を切る覚悟はすごいと思うけど、ちょっと理解はできない。


「どうして、そこまで?」

「それだけ本気だから」


 言い切る宮華に迷いはなかった。


「あんたもそう?」


 日下さんはオレを見た。


「な、わけないか」

「勝手に決めるなよ」

「そう? 5万払う?」

「いや、お金とか、そういうことじゃないだろ」


 日下さんはオレに冷たい目を向けると、宮華に尋ねた。


「こいつなんでいるの?」

「私が誘ったから。あと、本人なりには一生懸命なんだと思う。それにそもそも、私と同じくらい情熱を持つのは難しいでしょ。たとえばあなたには私のヤル気、理解できる?」

「……なるほど。無理」


 いちおう宮華はオレをフォローしてくれてる、のか?


「とにかく5万までの領収書は受け入れる覚悟だから、考えてみて」

「でも……」


 日下さんはオレたちから目をそらすと、軽くうつむいた。長い髪がカーテンみたいに顔にかかる。宮華はそんな日下さんを読み解くようにじっと見つめ、告げた。


「それにそうした方が、今より遥かに目立たなくなると思うけど」


 日下さんが顔を上げた。宮華はうなずいてみせる。そんな二人をボサっと見てるオレ。


「イチロもそう思うでしょ?」

「え? ああ、もちろん」


 たしかに日下さんの、ひきこさんめいた格好はかなり目立つ。さっきからドリンクバーへ行く人たちもチラチラこっち見てるし。


 オレたちから言われて急に恥ずかしくなってきたのか、日下さんはソワソワしだした。うつむいて顔を隠そうとしたり、かと思うとキョロキョロ周りに目を向けたり。背中は丸まってるし、肩も縮こまってる。さっきまでの態度とは大違いだ。冷静になってきて、素に戻ったんだろうか。日下さんが普段どんな感じか知らないけど。


「けっこう長いこと、鏡でまともに自分のこと見てないでしょ? それになるべく下向いて、髪で視界狭くして、周りも見ないようにしてるでしょ」


 宮華は急に言うと、スマホを手に取り日下さんを撮った。


「ほら、これ」


 日下さんは差し出されたスマホを受け取り、そこに写る自分の姿を見て固まった。それからしばらくして口を2、3回パクパクさせると真っ赤になって、スマホを宮華に返した。


「そんなになるほどか?」


 オレは宮華のスマホを覗き込む。するとそこに写ってたのは──。


「雑コラ……」


 いや、たしかに表示されてるのは日下さんを写した無加工の写真だ。けど日下さんの姿があまりにも周囲から浮いてて、おまけにスマホで見る画像だからか、雑コラみたいに見えるのだ。


「日下さんのためを思って言うけど……。イチロにしては的確な表現じゃない、って、日下さん、大丈夫?」


 どう見ても大丈夫そうじゃなかった。ちょっと目を離したスキに、日下さんは賭け狂うマンガなんかで負けてすべて失った強キャラみたいな顔になってた。


「ねぇ! ほら、あれ! イチロが言葉の暴力振るうから」

「は? オレじゃないだろ。急にお前が写真なんか撮ったのが……」


 責任を押し付け合うオレたち。


「あ、私なら大丈夫。うん。あの、うん。うんうんうん、あれ? おっかしぃなあ。なんかゴメンね。イヤほんと、大丈夫だからね。うんうん。……あ、大丈夫大丈夫。うん。けどまた、こんどね。うん、あ、いいからいいから」


 日下さんは突然ものすごい早口で謎な発言をしながら立ち上がると、なぜか手を立ててオレたちを制止しながらヨロヨロと歩き去っていった。彼女が店から出ていくのを呆然と見送るオレと宮華。


「ねえ。もし。もしも、さ? これっきり日下さん学校に来なくなったらどうする?」

「お前が写真撮って晒し者にしてたって言う」

「は!? なにそれ、私一人に罪を被せようって──」

「自分にも罪があるって認めるんだな?」

「ちがっ、そういう意味じゃなくて」

「あの、お客様。他のお客様のご迷惑に……」


 やってきた店員さんに注意され、オレたちは黙る。


「とりあえず、出るか」

「そうね」

「日下さんあれ、払ってないよな?」

「……そうね」


 宮華は力なく応えると、やれやれといった様子で伝票を取って立ち上がった。しかし当然のように日下さんの分は割り勘で、宮華が一人で払う、なんてことはなかった。

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