第0の不思議︰はじめに幼なじみありき-03

 古文担当の帯洲先生おびすせんせい。本名、帯洲沙絵おびすさえ。31歳独身、恋人なし。入学式のとき胸元と腰から下が異様にパツンパツンのパンツスーツを着てきて、男子生徒の注目を集めた先生だ。


 普段もそんな格好だから普通なら男子生徒の人気を集めてもよさそうだし、実際に最初の一週間くらいはそうだった。けど、今はもう違う。夢と希望ではちきれんばかりのパンツスーツの下には、ある秘密があったのだ。


 それを教えてくれたのは同じ中学出身にして現クラスメート。野球バカというよりバカが野球やってるような遠藤・ジョン・宏。

 テキサス人の父と日本人の母を持つ、将来ケツアゴの約束されたナイスガイとオレはわりと仲がいいのだ。ちなみに遠藤は野球が忙しくて、外国に行ったことはない。


「なあナゴヤ。帯洲先生っているだろ?」

「おう」

「あの先生、キックボクシングの女子学生チャンピオンだったらしいんだ。いまもトレーニングしてて、時々試合に出てるらしい。つまり、あのパツパツのスーツの下にあるのは……ガチガチの筋肉だ。たぶんキャッチャーみたいな。俺より上の……」


 そう言って自分の太ももを撫でたときの遠藤の顔は今も覚えてる。ひとつの淡い恋が終わった瞬間だった。


「マジかー。って、なんでおまえが知ってるんだ?」

「誰かが先生のフェイスブック見つけてな。鍵、かかってないんだ。俺も見た」

「マジか!? え、ちょっ、どっから出てくんの?」


 いそいそとスマホを取り出すオレ。残りの時間は男二人身を寄せ合って、31歳独身女性の生態を学んで過ごした。というかそのへんのプロフィールもそのとき知った。


 そんなわけで筋肉の修羅だってことが明らかになり、おまけに性格もややクズ寄りのダメ人間だってことが判明して、帯洲先生は人気教師の座から外れたのだった。


「帯洲先生か……」

「実際にはほとんど関わることなんてないはず」

「あの先生、熱心に顧問やるとも思えないしな。それで、話は通してあるのか?」

「どうやって?」


 ある、ない以前の問題だった。


「大丈夫だって。設立趣旨のとこ見せて、ほとんど手がかからないって言えば」


 それくらいのことがなんで自分でできないんだ。


「あの先生がそんなあっさり引き受けてくれるのか? 自分のためにならないことは絶対しないタイプだぞ」

「だからこそ。まあ言われたとおりにしてみなさい。それと、部員名簿も忘れずに見せてね。それで絶対のはずだから」


 部員名簿? 見てみるとそこには当然ながら宮華の名前しかない。オレの名前も書けってことだろう。


「って、やるって決めたわけじゃないぞ」

「いまさら何を言ってるわけ?」

「そりゃまあ、ここまでやる前提な感じで話はしてたけど」

「でしょう?」

「そうだよなぁ……。じゃなくて! しっかりしろ、オレ!」


 いかんいかん。神野宮華の巧みな話術に危うく流されるところだった。


 ここは一つ、話題を変えるためにもいよいよ本題に入ろう。


「そもそも学校七不思議を作るって、どういうことだ?」

「言葉どおりよ。七不思議はオリジナルでも定番でも、とにかく誰かが最初に言いだしたはずでしょう? そしてうちは新設校、七不思議は一つもない。だから私が、その作者になろうってこと」


 手を腰の後ろで組んで、少しだけ胸をそらす宮華。輪に結った髪が得意げに揺れる。


「つまり、捏造するのか?」

「捏造? それじゃあなたは七不思議が基本的に事実だとでも思ってるわけ?」

「いや、そうじゃないけど、もっとこう、自然発生的なものだろ」

「それにしても、その話を最初に口にした誰かがいるはずでしょ」


 それは、そうか。あるとき共通知識として生徒たちの脳に直接刷り込まれるわけじゃないんだから。


「それに今は七不思議作りを始めるのに絶好のチャンスだから」

「チャンス? そりゃ、やるなら何もない今が一番だろうけど」

「それもあるけど、違う。放火があったから」


 それはつまりアレだろうか。反逆の狼煙的な?


「とある学者が言っていたんだけど七不思議を含む学校の怪談は、学校を通じて社会と接したり、成長して変わっていく児童の不安心理の投影なんだって」

「なんか、もっともらしいな」

「でしょう?」

「けど、児童ってことはそれ、小学生のことじゃないか? 学校の怪談ってのも小学生臭いし」

「なっ!? イチロ本当にどうでもいいことにはよく気がつくんだから。確かにメインは小学生だけれど、私たち高校生だって卒業後は大学、専門、就職に浪人と進路が別れて、大人になっていくでしょ。つまり大きな節目の時期じゃない。そうした変化への不安やは思春期と合わさって、七不思議とはバツグンの相性なんだから」

「おまえさ。そういう観念的な話は得意なんだな」


 素直に感心して言ったのに、宮華は顔を真っ赤にして怒った。


「バカなの!? まったく、なんで宮璃みやりはあんたみたいなの──」

「おっと、義妹いもうとの悪口はそこまでだ」


 オレは話を遮る。宮華は複雑そうな顔をして黙った。


「それはいいとして、放火の話はどこ行ったんだ?」

「放火なんて事件が起きて、犯人は捕まってない。つまり私たちはいま、自覚していなくても強い不安にさらされている。それは不安心理の投影である七不思議が受け入れられ、流布していくのにうってつけの環境ということ」


 いちおう、反論しにくい難しげな理屈があることは解った。


「んじゃ、最後の質問だ。どうして七不思議なんて作ろうと思ったんだ?」

「決まってるでしょ。難しくて面白そうだから。もし成功すれば何十年経っても、ここにその話が残る。これってすごいことでしょう?」


 いつの間にか日が暮れかかってた。窓から射し込む赤すぎる夕日に顔の片方を照らされ、もう片方は夕闇に沈めながら、宮華は笑った。

 さんざん残念なところを見てきて、わりと本気で女は顔じゃないと思ってるオレでも、やっぱりその姿は美しくて一瞬見惚れた。


 それが命取りだった。


 宮華が何か言った。


「え? ああ、うん」


 釣られてつい返事をする。


「じゃあこれ、お願い」


 宮華が書類を差し出してくる。


「ほら、どうしたの? 部長引き受けてくれる? って聞いたら、うんって言ったじゃない」

「ごめん。ちゃんと話聞いてなかった」

「それでも同意したんだから。あれこれ言い逃れするんなら……」


 宮華はスッと目を細める。


「可愛い“あなたの”義妹いもうとに言うけど? イチロと久しぶりに話してみたけど、言い訳ばっかりする嘘つきになってたって」


 “あなたの”をやたら強調する宮華。その声にはトゲがあり、言ってて不愉快なのが丸わかりだ。

 これが宮華の捨て身の切り札。まさかここで使ってくるとは。というか、もしかしてオレを誘ったのって義妹の件で……。いや、考えすぎか。そんなことする理由なんてないもんな。

 

 とはいえ、義妹のことを出されたらしかたがない。オレは強引に押し付けられた書類を受け取ってしまう。


 ま、ヒマなのは確かだし、さっきコイツの話聞いてちょっと面白そうだって思ってしまったのも事実だし。それに久しぶりで話してみて思ったけど、コイツ一人で放っておくと何しでかすか解ったもんじゃない。

 宮華だけが自滅するのは構わないけど、宮璃にまで何か悪評が及ぶかもしれない。義兄あにとしてそれは避けたいところだ。


 オレたちは連絡先を交換する。こいつのLINEのIDとか、手に入るなら人殺しも厭わないヤツいるんだろうなあ。


「さっそく帰りに職員室に寄って先生のサインもらってね」

「いきなり人使い荒いな」

「善は急げ、でしょ」


 オレは教室を出ようとして振り返った。宮華はまだそこにいて、オレのことを見てる。ただ立ってるだけなのに、コイツの場合は佇んでるって言ったほうがしっくりくる。


「なあ。七不思議作る理由、楽しそうだからって言ったろ? あれ、本当は別の理由があったりするんじゃないか?」

「たとえば?」

「余命があと四年くらいで、生きた証を残したい、とか」

「ハッ」


 鼻で笑われた。まあ、我ながらしょもないとは思う。

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