第三章 幽霊令嬢と皇帝陛下と私④
(…………
帝城のシャンデリアは、灯火なくして
昔から伝わる縁起が良いとか幸運を運ぶなどと言われている紋様や意匠というのは、精霊達の気を惹くものだ。その結果としてちょっとした加護だったり、それに類するものを得ることができる。
(それをもっと複雑化すると、魔法陣とか魔方陣になるんですよね)
ここのお城は私の知らない吉祥紋様や意匠の宝庫だ。それを覚えることができれば、きっと面白い陣を
(リルフィア姫でいる間に、ここにはまた来る機会がありますよね、きっと!)
「…………ここまででございます」
マラガ夫人は私がそんなことを考えているとは
身分によって皇帝陛下に近づける距離が決まっている。謁見の間ではそれを
そして、柱の間には正式な謁見に必ず従うことになっている大臣職にある男性が全部で五人立っていた。
大臣だとわかったのは、彼らが大臣職に在る者しか身につけられない
大臣の席は十一あるが、すべての椅子が
(さすが筆頭選帝侯家のお姫様です…………ここまで
フィアリス選帝侯家の格式の高さに少し感心しながら、床の上を
そして、ドレスのスカートを軽く持ち上げて
(…………腹筋が!!)
「フィアリス選帝侯家が娘、リルフィア・レヴェナ゠ヴィイ゠アルフェリア・フィアリスでございます。
か細く聞こえるように、
(内気なお姫様は、決して説法をするように声に力を乗せてはいけません)
頭の
内気で虚弱で引きこもりであるリルフィア姫は、どう考えても私とは真逆なお姫様だけど、演じることは可能だ。
声の出し方やしぐさ、歩き方…………そのあたりに気を配れば、そういう印象をつくることは難しくない。
「余が、レクター・ラディールである」
それは、力ある声だった。
決して張り上げているわけではないのに、しっかりと耳に届く声────その強い響きには、
そんな風に聞こえるのは、聖堂でも使っている建築技法で声を
(────それがわかっているのに、どうしようもなく
その声に従いたい、と自然と思えてしまう。
意志の弱い者であれば、この声に強く命じられたら逆らうことができないだろう。
(だってこれは、王者の声だ)
「…………
私はゆっくりと顔をあげ────そして、五段ほど高くなった位置に
ヴォリュート帝国第八十三代皇帝レクター・ラディール゠ヴィイ゠フェイエール・ヴォリュート陛下。
帝国の帝位選定選の慣例に従い、決闘により力ずくでその帝位を得た方だ。しかもこの方は決闘に代理人を立てず、ご自分で闘って勝利をもぎ取ったという帝国最強の武人であるという。
(この方がどんな格好をしていたって、私はもう絶対に
それほど彼の光は
「その美しい
どこか面白がるような表情で玉座から私を見下ろした皇帝陛下は、とってもありがたいことを言ってくれた。
(素晴らしい根回しです、お義兄様!)
「…………お
弱々しさの中にほんのわずかな
「いや、礼には
玉座から立ち上がった皇帝陛下の、その燃えさかる焰のような赤い髪がさらりと
「…………はい」
彼が何を言い出したのかわからないまま、私はただ小さくうなづいた。
(…………え? この方、今、〝俺〟って言いませんでした?)
立ち上がった皇帝陛下は、キビキビとした身のこなしで段上から降りてくる。
(え? え? ちょっと待ってください。何でこっちに近づいて来るんです?)
本心を言えば、即座に逃げ出したかったけれど、今の私はリルフィア姫の身代わりなので滅多なことができない。
「お待ちくだされ、陛下っ」
大臣の
「陛下、フィアリスの姫君は
(え? 何をしようとしてるの?)
私は思わず顔をあげた。
ニヤリと笑った皇帝陛下の顔を驚くほどの至近距離で見てしまう。
(…………ああ、これ、魔力が多すぎて燃えてるように見えるんですね)
ぼんやりとそんなことを考えてしまう。
「姫君、俺は宰相に用がある。……姫君も宰相の元に向かうのだろう? 俺が連れていってやろう」
「…………え?」
一瞬、反応が遅れたのはしょうがないと思う。
(…………陛下って女性に気安い人でしたっけ?)
いや、そんなことあるはずがないと
レクター・ラディール陛下は、女性を
ほどほどの色を好むけれど溺れることがない、というのは王者の大事な資質だと誰かが言っていたような気がする。
そして陛下のお相手について最も大事なこと────この方は
ヴェールの中を覗き込むような至近距離に、底に金を帯びた緋色の
「…………あ…………」
目が合った
(…………誰? あなた? 私? ビビ! ビビ、助けてっ!)
何かが…………己の中の閉ざした扉をこじ開けようとしている、私の奥底で何かの存在がうごめいた。
それに
遠くでゆらりと揺れる気配────だが近くにはいないのだと理解した。
(…………どうすればいい?)
こんな時、どう行動するかなんて誰からも教わっていない。だから、自身で考えて対処しなければならない。
(わ、私…………)
「陛下っ! ご無体は! どうかご無体はおやめくだされ!」
大臣の誰かだろう。老人が必死に皇帝陛下を止めているようだった。
でも、私の
(ばか! もっとちゃんと止めて〜)
老人の悲鳴にも聞こえるような声音とついでに私の心の声を、当の皇帝陛下は
「ははははははっ。……ノーレルは何をそれほど心配しているのだ。俺がエリアスの義妹に無体など働くはずがなかろう!」
ものすごく間近で大音量の
耳が痛いのと何が起こっているのかわからないのとで、頭の中が真っ白になった。
「安心するがいい、ここは俺の城だ。姫君の
ははははは、と明るい笑い声が天井にまで響いて聞こえるけれど、私にはまったく意味がわからなかった。
自分を落ち着かせ、置かれている状況を
(…………これは、十分無体なのでは?)
それとも、帝国ではこれは許されることなのだろうか?
問いただしたくとも、教えてくれるだろうビビはここにいない。
「陛下っっ!! その御方は、宰相閣下の
(もっと言って! これを止ーめーてー!!)
わりと雑に
「…………ははははは、姫君、そう硬くならずとも大丈夫だ。姫君は驚くほど軽いからな。俺はこんなにも軽い姫君を落とすほどひ弱ではない」
何を言っているのだ、と思った。
(違うっ! 私が軽かろうが重かろうが、落とさないなんてのは当然のことなんだから!)
持ち前の利かん気が首を持ち上げた。
(…………よく考えなさい、私。どう対処するのが正解なの?)
皇帝陛下を
(ビビ〜〜〜!)
心の中で半べそになりながらその名を呼ぶ。
『…………いきなり何なのよ!
たぶん私があんまりにも必死で呼んだから、強制的に引っ張られたのだろう。目の前にビビが現れた。
「たーすーけーてー」
私はふわふわと浮いているビビに手を伸ばす。
『あなたねぇ、何やってんの? この男、何なの? もしかして、
(わかんないの。謁見のご挨拶をしたら、なぜかこんなことになってて…………ビビ?)
私を抱えている陛下の顔を見たビビが、
『…………ディール?』
ビビの
(何なんですか!! これ! ビビ! ビビってば!!)
ビビの気まぐれはいつものことだけど、その
(……ディール? ええっと、陛下のラディールの
私の言葉が聞こえているのかいないのか、ビビは返事をしない。
(確か、ビビは私が生まれた年に死んだのだと言っていたから、生きていれば三十を
「陛下、失礼いたします」
何やら動きが止まったので、その腕の中から
「……っぐっ」
成人したばかりのか弱い少女は、倍くらいの
(…………くるし…………)
「ぎゃああああああああっ、陛下、姫君をお離しくだされっ、御身の力で抱きしめたら死んでしまいますっ!」
「姫君っ、意識をしっかり!」
「陛下、その手をお離しなされよっ」
遠ざかる意識の向こうで
身代わり聖女は、皇帝陛下の求婚にうなづかない 汐邑雛/ビーズログ文庫 @bslog
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