第一章 私と幽霊と宰相閣下⑤


 それでどうやって他者を区別しているかというと、その人が持つ『光』だ。

 私の目には、どの人も身体の内側から光って見える。たぶんそれは、魔力の色や生命力のようなものを『光』として見ているのだと思うけれど、一人として同じ色、同じ輝きはない。

 病の老人などの持つ光は弱くか細いし、活力にあふれている子供の持つ光はまぶしい。

 顔の見分けはつかなくても、これまでのところ問題なく過ごせているから大丈夫だと思う。


『…………ねえ、グレスには、どういう風に見えているの?』 


ふと思いついた、というようにビビが私の方を振り向いた。

 私は、ヴェール越しに目をらす。


(…………アオ……)


 彼のりんかくふちるのは、とおった青い光だ――――どこまでもんだ美しい青のしきさいが、その身のうちで揺らめいている。

 見ているととても綺麗で、どこまでもとうてつとしたその青に、み込まれてしまいそうなさっかくを覚える。


(この人の顔の良さは全然わからないけど、この青はすごく綺麗だ…………)


 ずっと見ていたいかもしれないとさえ思う。


『…………グレス?   どうかして?』


 おかしな色なの?   とビビが首を傾げるから、ううん、と私は小さく首を振った。

 それから、綺麗だよ、と音にせず唇だけを動かして付け加えた。


『……オーラが綺麗ってことは、性格は悪くともこんじょうくさってないってわけね』


 私が見ているそれを、ビビは『オーラ』だという。

 その人が持つ『気』とか『力』を、私は光として見ているらしい。


『意地も悪いし、づかいはなってないし、正直、最悪の部類だけど最低ではないわね――――顔がいいから』


 好き放題にビビは言っているけど、私はそれについて何も言わない。

 出会ったしゅんかんから今までのさほど長くない時間の中で、ビビがそう思うだけのこんきょがあると私も認めている。


(でも、やっぱりこの人は、ただの使用人とか従者ってわけじゃなさそう……)


 私がさっきから気にしてすごーく念入りに観察しているのは、そういう疑いがあるせいだ。別に彼個人に特別な感情があるわけじゃない。

 瞳の色もさることながら、私が彼をただ者ではないのでは?  と疑う理由の一つが、この人の着ている服にある。


(昨日までの服装はそんなことなかったんですけど、今日のこの人の服、かなりたくさんの加護がついてるんですよね……たぶん上着に)


 簡素だけど仕立てがとても良いちょうは、深い森の緑色をしている。

 まず、この緑のせんりょうがたぶん特別だ。それ自体に魔法ぼうぎょ効果がある。

 もちろんそれだけじゃない――――おそらくは裏地にいくつもの守護のじゅや陣のい取りがなされている。それらもバラバラに施されたのではなくて、すごくみつに設計されているものだ。

 手に取らなくても何となくわかるのは、私がそういうものにびんかんな体質なのと、魔術と魔法の研究が私の専門分野だからだ。


(たぶん、聖職者の祭服と同じくらい重ねがけされていて……)


 聖職者の身につけているものは、下着に至るまですべてが加護を持つ品だ。それと同等ということはかなりの防御力を持つ。

 単に仕立てが良いだけの服というのなら、不思議には思わなかった。

 加護や付加というのはどんな小さな物でも一つ一つに値段がつく技術だ。そして、そう いうものは個人に合わせたオーダーメイドであることが多い。


(そういうもろもろを考えると、目の前のこの人が《《選帝侯閣下本人》》かもしれない、という事実が浮かび上がるんですよ……あんまりうれしくないことに)

 もしかしたら、フォルリ枢機卿や法皇猊下はわかっていたのかもしれない……と考えたけれど、私はそくにそれを否定した。

 お二人は、私の教団での父や母のようなものだ。そんな彼らが情報を隠して私を危険にさらすはずがない。


(それに、私、とっても稼げるいい子ですからね!)


 高額の派遣料をとれる者の中で私はピカイチ若いのだ。これからの未来に稼ぎ出す金額を考えると、教団の他の人だって私に危険がおよぶようなことはしないだろう。

 だとすれば、目の前のこの人は私達に――――皇国に対して身分をいつわったのだ。


(……それは、文字通り、神をもおそれぬ所業です)


 でも彼は帝国人だから、神をあざむくことに罪の意識を覚えないのかもしれない。

 ラドフィア聖教は大陸で最も信者の多い――――最も信じられている宗教ではあるけれ ど、残念ながら帝国においてはそれほどさかんではない。

 帝国民はその建国の事情もあって、ばんぶつに精霊が宿っていると考える精霊教をしんぽうしている者が多い。帝国民にとって精霊というのはきわめて身近なものなので、その力のおんけいにあずかることも多く、信じられやすいのだ。

 帝都の観光名所にもなっているという精霊教会は、ていじょうをもしのぐと言われるほどのそうれいさを誇る。

 しかも、近年ではその財力と増えつつある信者の力を背景に まつりごとにも大いに圧力をかけているらしい。


(現在の皇帝陛下が皇国と友好条約を結んだのは、精霊教会の力が強くなりすぎたせいもあるだろうと猊下はおっしゃっていましたっけ……)


 そのせいだろうか、帝国がラドフィアの聖堂建立のために寄進したのは、帝都リュトニ アの中心部――――帝城にもほど近い一等地だった。三代前の皇帝がしょうに与えたしきあとの一部で、を願っていた者も多数いたらしい。

 三年前に完成したばかりの真新しい聖堂はさほど大きいものではないが、『治癒術』を求める人達で大いににぎわっていると聞く。また、実利を重んじる富裕な商人などは便利に『転移門』を利用してもいるそうだ。

 過保護な上役であるフォルリ枢機卿と、さらに輪をかけて過保護な法皇猊下は、この仕事が決まってからというもの、何かあったらその聖堂に即座に逃げ込むようにと繰り返し私に言い聞かせた。


(聖堂以外は敵地だと思え、ともおっしゃっていました……)


 戦地に派遣されるわけじゃないのに、と言い返したら、帝城など戦地よりもまだ悪いとも言われたものだ。


(最悪の場合は、力ずくで帰ってきていいという許可までくれたんですけど、どれだけの危険を想定しているんでしょうか?)


 帝国との関係は今でこそ良好と言っていいものだけど、今の皇帝陛下が即位するまではいっしょくそくはつけんえんの仲だったという。なので、一定年齢よりも上の皇国の民は皆、帝国に対するけいかいしんがとても強い。


(猊下は、無理して引き受けることはないと何度も言ってくれたんですよね………だいたいあんもないくせに)


 帝国に身売りをするようなものだ、と嘆いたのはフォルリ枢機卿だった――――たった 一ヶ月の派遣なのに。

 ただ、原因となった借金を作った猊下を思いっきり責め立て、もう二度と借金はしないとのげんをとっていたから、あれは噓泣きだったのかもしれないけれど。


『ねえグレス、あなた、この男がただの「お使い」で来た従者だなんて思っていないわよね?』


 ビビは、ふわふわとまるで泳ぐように浮かびながら、私の瞳を覗き込む。

 すみれいろの瞳が、まっすぐ私をいていた。


(…………思ってないよ)


 私は小さく首を振ってそれを否定した。


『……なら、良いけど』


 ビビは満足そうな表情でうなづいて、宙で足をかかえ込んで何やら考えはじめる。ちょっとおぎょうの悪い姿だけど、彼には見えていないから大丈夫だろう。

 見えていなくて良かったと心底思う。


(ビビったら好き放題しているんだもの……)


 何に興味を持ったのか、ビビは書類から片時も目を離さないその人の顔をまじまじと覗き込んだ――――今にも口づけてしまいそうな至近距離なので、見えていないとわかっていても何だかあせった気分になる。


『だいたい、この男気遣いが足らなすぎるのよ! 年頃の令嬢と一つ馬車に乗り込むだけでも言語道断だっていうのに、付き添いもつけないでもう四日目よ !?  ありえないわ !!   グレスが貴族の令嬢だったら、絶対に傷ものだって言われる案件よ!』


 呆れ気味の溜め息混じりでビビが言う。

 どういうこと? というように私は軽く首を傾げた。

 もちろん、ビビの声は私にしか聞こえていない。


『あのね、グレス。聖堂育ちのあなたにはピンとこないのでしょうけど、普通はね、洗礼後のみょうれいの女性が、家族ではない成人男性と密室で二人きりでこんなにも長時間過ごしていたら、あやまちを犯したと見なされるの。あなたのていせつが疑われちゃうのよ!』


 私からすると、車内には私と彼――――フィアリス選帝侯家の使いだという目の前の男性とビビの三人で旅しているのだが、ビビの姿が見えない私以外の人にとっては私と彼の二人きりで旅をしているということになる。

 選帝侯家のご令嬢だったビビからすると、それなりの年頃の男女が二人きりで馬車に乗っているという今の状態は、とても外聞が悪いものらしい。


(まあ、別に私にはげんぞくの予定もこんいんの予定もないから問題はないけど…………)


 というか、私の身持ちが疑われるのは不本意だけど、男性の方だって貞節や理性や良識を疑われるわけだから、かなり不本意だろうに…………そこで、ふむ、と私は考えた。


(――――でもこれって、契約外報酬がとれるネタなのでは?)


 ビビがこんなにもプリプリおこっているし、これが傷ものだなんて言われるようなことなのならば、当然、私の不利益になる。

 不利益にはじゅうぶんむくいてもらわねばならない。


(…………あとでしっかりと記録しておこう)


 まとめて契約外報酬をせいきゅうする時のことを考えたら何だか嬉しくなってしまって、私はにんまりと笑った。


『…………ちょっと待ってグレス、そのみは何?  なんかあなたすごく不適切な表情をしているけど?』


 臨時ボーナスが入りそうなので嬉しくなってしまったから笑っただけで、別に不適切ではないと思う。

 私が無言のまま笑みを重ねると、ビビは何をさとったのか軽くかたすくめ、すーっと姿を消した。たぶんこれ以上み込むのはおたがいの精神衛生上あんまりよくないと思ったのだろう。

 もちろんそれだけじゃなくて、ビビがずっと姿を現していると私のろうはんないことになる。だから、ビビが起きていられるのは最大でも五時間――――どちらにしても、そろそろ時間切れなのだ。

 たぶん私とビビが約束を交 か わした時から、ビビは私の生命力というか……私が人を区別する時の光のようなものを、自身を保つ力として用いているのだと思う。


(――――おやすみなさい、ビビ)


 頭のかたすみで、『おやすみ』というビビの声が聞こえたような気がした。

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