第一章 私と幽霊と宰相閣下④
私とビビは、いわば運命共同体だ。
十年前、まだ幼児だった私は、ラドフィア神聖皇国とヴォリュート帝国の国境沿いのパスパという都市で
ヴォリュート帝国の
私は、その行方不明者の一人だ。
ここにいるんだから行方不明ではないのでは?
と思うかもしれないが、私はあの騒乱の夜の
洗礼前だったから無理もないけれど、そのせいで帰る家がわからない。自分の名前もわからない――――当然、家族のことも何もわからないという、わからないことづくしの
ぼんやりと何か思い出せそうなことがあったり、あ、これ知ってるって思うこともあったりするけれど、
当時の推定年齢は、五歳。
その時に私はビビと契約を結んだのだという。
ビビに助けられた幼い私は、ラドフィア神聖皇国の大聖堂付きの孤児院に入った。
以来、生者と死者の境を
ビビ
国境沿いで皇国に行くことを選んだのはビビで、契約の代償に魔力を引き出したせいで、高熱を発して意識を失った私の
後に知ったことだけど、皇国と帝国では孤児への支援の手厚さがまるで違う。しかも、 その後の選択肢の自由度も
その後、私は最低年齢である七歳の時に修道の
聖職者にとって最も大切なのは、修道の誓いを立てる際の導師だ。導師は、教団における父であり母となる――――その
私の導師は、当時まだ大司教だった法皇猊下だ。
これは、私が
幼い私は、今に至るまでどれだけビビに助けられたかわからない。
ビビは帝国最高レベルの……選帝侯家のご令嬢の持つ教養や知識を私に惜しみなく与え くれたし、幽霊である身を活用していろいろな情報を収集してくれ、私はそれを
結果、私はやっと十五歳になったばかりだけど、複数の能力や
この時点ですでに私はとても運が良かったと思うし、今の私の階位を考えたら帝国ではなく皇国を選んだ
(なのに、なぜかビビは私に罪悪感を覚えているみたいなんですよね…………)
私は、頑張ってなった今の自分にとっても満足しているのに、ビビは私の祭服姿を見るたびに
(でもあの夜、ビビと出会わなければ、私は今の私になっていなかった………)
というか、生命があったかどうかも怪しい。
だから、あの運命の夜にビビと出会えたことを私は心の底から感謝している。
『善きものを与えられたら、それに見合う善きものを返しなさい』とは、ラドフィア聖教の基本
それは、ビビに言わせると『ギブアンドテイクってことね』ということらしい。
私はビビからたくさんのものをもらった――――だから、ビビに恩返しがしたい。いつかビビの願いが叶うように、できる限りの助力をしたいと思っている。
もちろんそれだけじゃなくて、聖職者としてもビビのような迷える魂を天の国へと導くのが、お役目のうちだと思っている。
『この男、フィアリス選帝侯の代理人だって言ってたっけ?』
ビビは、書類に
そうだよ、と
ちょっとドキッとする光景ではあるけれど、幽霊であるビビの姿は彼には見えていない。
『代理人が、あのバカみたいに高額な追加報酬の支払いを
何だか怪しい〜と、ビビが目を細めた。
すでに単独派遣に対する追加報酬として、一億ベセルが計上されている。
『あっちの派遣条件って何だったっけ?』
(
『何? それ、おそろしく厳しい条件ね』
(うん。私もそう思った。これ、あんまりにも具体的すぎるんだよね)
『具体的すぎるってどういうこと?』
(明確な人物像があるっていうこと。…………誰かを捜しているのか、あるいは誰かの身代わりにさせようとしているのかなって…………)
『いいわ。……あっちに着いたら調べてあげる』
(ありがと。でも、無理しないでね)
『
ビビはそう言って、晴れやかに笑った。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、私はきっちりとした座り姿勢を崩さない。
本当はクッションに寄りかかったり、あるいは眠ってしまえばもっと身体が楽なことはわかっているけれど、仕事相手の前でそういう気を抜いた姿を見せたくない。
(ただでさえ、私が
(たぶん、そのせいもあるんですよね…………この人に相手にされていないのって)
私はちらりと目の前で書類に没頭している人に視線を向ける。
『……ねえ、そんなにこの男を気にしてるなんて……もしかして、こういうのがグレスの好みだったりするの?』
絶対違うから !! というように私は少し力をこめて首を横に振った。
別に見つめてないし見惚れてもいない。ただ、観察していただけなのだ。
(どっちかというと敵を見定めているようなものだから!)
どういう風に切り込むのがいいのか
この人にすごーく苦手意識はあるけれど、そこから逃げていたら話にならない。
車内の空気が少し揺れたことを
眼鏡のレンズ越しに、
角度的に今は見えないけれど、彼の瞳の色は薄い金――――聖堂でつくっている
実は金の瞳というのはかなり珍しい色だ。
(…………少なくとも、私は猊下以外にこの色の瞳を持つ人を知らない)
ラドフィア神聖皇国は、移民の割合が多い他民族国家だ。
髪の色も
(ただ、
じゃなければ、ビビに眼鏡のレンズにくっつきそうな至近距離にまで
法皇猊下の精霊眼は遺伝だけど、猊下は親族すべてを戦乱で失っているので、目の前の彼が猊下の親族である可能性は低い。
(かといって、帝国に精霊眼の血筋があるとは聞いたことがないんですが……)
でも、いてもおかしくはない――――というか、あまりにも当然すぎて口にするまでもないのかもしれない。
なぜなら、ヴォリュート帝国というのは、人間が、精霊王に
かつて不毛と言われていた地を精霊の力を借りて人の住む大地へと変え、そこに移り住んだ人々が建国したのが、ヴォリュート帝国だ。
皇帝を生み出す選帝侯家は、各々が精霊王の血をひく
つまり、ごく当たり前に精霊眼を持っている人がいる可能性がある。
建国当初の定数に欠ける選帝侯家は、すでにその血を
(…………精霊眼に見えるほどの色を持つということは、それなりの血をひくのでは?)
彼は代理人だと名乗った――――選帝侯家に仕える身だと。
本当にそうだろうか?
(代理人なのは本当かもしれないけれど、選帝侯家の血をひいている可能性があります)
だとすれば、依頼通りの仕事のはずがない。
(考えすぎでしょうか…………?)
もしかしたら、帝国では金色の
そしてこの
(でも、聖堂の情報収集能力を
私は、目の前の人をまじまじと見つめる。
自分で切ったのか、
ても、本人も貴族ではあるのだろう。
(……あ……)
その耳元に揺れる蒼い石のピアスが目に入る。
私の首飾りの宝石と似ているな……と思ってそっと胸元を押さえた。
この世界では、髪の長さというのは当人の魔力の
(昨日まではしてなかったような……?)
髪が長くないから耳元は隠れない。でも、今日まで全然気がつかなかった。
貴族が短い髪をしている場合というのは、生来の魔力が少なくてよく媒体として使うために
長く伸ばしている人ほど位が高いというのが一般的だし、手入れが行き届いている人ほど魔力が
(本当に選帝侯家の使用人だというのなら、貴族といってもそれほど高位ではないからこの長さでも不思議はない。ないんだけど……でも、たぶんこの人、本当はもっと髪が長かったと思う)
時々、不自然な手の動きをするから気になっていた。
昨日の夜、やっとそれが髪をかきあげるしぐさだということに気がついた。長かった髪がある前提で髪をかきあげるから何だか不自然になっていたのだ。
私は、魔力の使いすぎで記憶をとばしてしまった過去があるので、そういう時に使えるように髪は大事に伸ばしている。
今では結んでいても
『いーい、気を許したらだめよ、グレス。綺麗な顔をしてるけど……確かに顔はいいけど、でも、この顔は絶対に性格悪いわよ。あと、眼鏡のせいで格好いいし頭良さそうに見えるけど、これ、度が入ってない魔法具だから! 眼鏡はただのポーズだから! 下手にこの顔に見惚れてぽーっとなったりすると、すぐにつけ込んであれやこれや押しつけてくるタイプだから!』
ビビは彼に指をつきつけて熱弁をふるう。
(ビビが幽霊じゃなかったら、きっと眼鏡のレンズに
顔がいいを何度も連呼しているから、顔だけはビビの
でも、他は結構さんざんな言い草だ。
(ふ〜ん、こういうのを顔がいいって言うのか……)
実のところ、『格好いい』とか『顔がいい』というのが、私にはよくわからない。
髪の色や目の色の違いなどはわかるけれど、その造形が良いか悪いかというのがまったくわからない――――目と鼻と口があることはわかる。でも、その配置が多少ズレていたところで何が問題なのかよくわからない。
つまるところ、私には人の顔の判別がつかないのだ。
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