第三章 幽霊令嬢と皇帝陛下と私①



 ていリュトニアにあるというフィアリスせんていこうのおしきが見えてきた時には、もうだいぶ日も暮れていた。

 あと何分もたずに屋敷にとうちゃくしてしまうというのに、馬車の中の私達は少々めていた。

「私を義妹いもうとひめの身代わりにするおつもりだったのなら、えも用意しておくべきだったのでは?」

 帝都の水源たるティセリア湖のほとりにあるそのお屋敷は、それほど大きくはないそうだけど、当主がこんやくしゃである義妹を連れてのかんともなれば、屋敷中の使用人三十人余りがせいぞろいしてむかえるという。

 彼らの前に、私がこのまま姿を現すのはまずいということに気がついてしまったのだ。

「ええ。確かに…………というか、正直こんなにすんなりと協力してもらえるとは思っていなかったというか…………」

 かっは言葉をにごしているけれど、そこまで考えていなかっただけだと思う。

「…………こういうの、別料金ですからね」

 身代わりの仕事はもうはじまっている。

 その第一段階として、私はリルフィア姫としてお屋敷に到着しなければならない────。

「ええ、もちろんです。…………何とかなりますか?」

 どうしたらいいのか? と必死で考える私を見ながら、閣下がどこか楽しげに笑う。

「…………別料金って言われてうれしいですか?」

「いえ、そうではなくて、何も知らなかったはずの貴女あなたが協力的なのがおもしろいな、と思ってしまいまして……」

「破格のほうしゅうをいただくのですから、できる限りの協力はいたします。さしあたっては……コレをどうにかしないといけないわけで…………」

 私はこうたくのある黒い天鵞絨ビロードがいとうすそまみあげる。

 金糸で複雑なもんようていねいられたもので、表だけでなく裏地にもほうじんが仕込まれた特別な品だ。

 私にとってほこりでありささやかなまんであり、そして、身にんだ防具でもある。が、これを着ている限り、私はラドフィアの聖職者以外の何者でもないので、身代わりのしょうとしてはとってもそぐわない。

「……閣下は、外套か何か……上に羽織るものを持っていらっしゃいますか?」

「ああ、これで良ければ…………」

 かざのない灰色の外套をわたされた私は、自分の上に重ねてそれを羽織った。

 それでも私にはぶかぶかで、ちょこんと指先だけがかろうじて出る程度。とても人前に出る格好ではない。

「一応はかくれますね。…………では、馬車を降りる時に、私をげていただく、というのはいかがでしょうか? おさま

 あえてお義兄様と呼んでみた。

「は?」

 閣下は、何を言われたのかわからない、という顔をした。

「馬車の中でねむってしまった義妹を運ぶだけ、という設定でお屋敷に入るのです。……それならば、私がお義兄様の外套にくるまれていてもおかしくないでしょう? しかも、仲良し義兄妹きょうだいアピールもできますので一石二鳥です」

「…………それは、必要なことですか?」

「はい」

「…………どうしても?」

「別に冷え込む季節でも何でもないのに、お義兄様のぶかぶかな外套を着た私が馬車から降りてきたのを見たら、使用人達はおかしく思いませんか?」

「たぶん、思うでしょうね。────下手をしたら誤解を招きます」

 閣下はそれはめんどうくさいな、という表情をした。

「誤解? ────であれば、この祭服のまま降りた方がいですか? ここはていこくですし、ラドフィアの聖職者の祭服を知らない人も多いかもしれませんが……でも、やはり万が一の用心は必要だと思うのですが?」

「もちろんそうです。…………ええ、わかりました」

 苦虫をつぶしたような顔で、何かを決心したように閣下は小さくいきをついた。

 わりと名案だと思うのに、なぜここまで渋られるのだろうか? と私は不思議に思う。

「聖女……いえ、リルフィア。……世間というのは、とかく火のないところにけむりを立てたがるものです。…………私に抱き上げられて貴女が降りてきたら、車内でいかがわしいことをしていたとうわさする者がいるかもしれません」

「いかがわしいこと? ……ああ、そういえば帝国貴族のご令嬢の基準だと、成人した男性と二人きりで馬車に乗っただけでていそうを疑われるそうですね。……でも、そういう意味ではもういまさらでは?」

 すでに五日も二人きりで馬車に乗っているのだ。

 それを私がさらりとてきすると、閣下の顔色が目に見えて青白くなった。

「……その……そんな風に言われるのは大変かんな話なのですが、そうとられかねないことは確かです」

 もしかして、今までまったく気付いていなかったのだろうか?

 ここで、来たー! と思ってしまうのは、ビビの教育の成果だ。

 ビビは私のすべてを報酬にかえていく主義にあまりいい顔はしないのだけれど、機会を無駄にせず最大限に活用するようにと教えてくれた。

「…………私としては大変なめい、になりますね」

 私は傷ついたようなそぶりでそっと目をせる。

「申し訳ありません。はいりょに欠けていました」

「いえ、それについては閣下の誠意を、追加報酬として反映していただけると嬉しいです」

 私は小さく首をって、ひかえめに希望を述べた。

「…………それで良いのですか? 貴女のめいが傷つけられたというのに金で補いをつけるなんて」

 閣下は私の代替案に何やらいきどおりを覚えたらしい。

「私は別にえんだんがあるとかそういう身の上ではないですし…………」

 帝国とちがい、皇国では絶対にそんなことを疑われたりはしない。

 つまり、この場合疑われるのは閣下とリルフィア姫であって、私個人にはまったく問題がないのだ。

 そのことに閣下は気付いていないようなので黙っておくことにした。

「それに、閣下とリルフィア姫のあいだがらでしたら、万が一そうなったとしても問題はないのでは? 婚約者同士ですよね?」

「いや、しゅくじょとしてのリルフィアの名誉に傷がつきます」

「……お言葉を返すようですが、そもそも、そんな風に誤解する使用人達であることが問題ですし、それが外にれるというのならば使用人のしつけがなっていないのでは?」

「おっしゃる通りではあるのですが…………」

「……ああ、では、私の具合が悪くなったことにしましょうか? それなら、さほど噂にはならないのでは?」

 リルフィア姫は身体からだが弱いのだから、多少びょうを使ったところで問題はない。

「……なるほど、そうですね。それがいい」

 閣下はようやく安心したように、何度もうなづいた。


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