第三章 幽霊令嬢と皇帝陛下と私②

『…………ふ〜ん、やっぱりただ者じゃなかったわけだ』

 仮病を使ったおかげで使用人全員の前であいさつをしなくて済んだのは、とっても助かった。あと、閣下がうまくしてくれたおかげでそのまましんだいもぐり込めたのも。

「ところでビビは、どこかで閣下を見た覚えとかなかったの?」

 選帝侯家のご令嬢だったビビだ。同じ選帝侯家の子供である閣下とどこかしらで面識があってもおかしくはないはずだ。

『彼はフィアリス選帝侯家の正統ちゃくりゅうじゃないのよ。しょうさいはわからないけれど、たぶんぼうけいね。私が生きている時はフィアリス選帝侯家はだいわりしたばかりの当主夫妻がいただけよ…………子供ができたとかできないとかそういう話はあったような気がするけど、貴族の家の子供って洗礼を受けるまでは数のうちに入らないから、正式な記録にはないわ。ただ、むすめが一人いたことがわかっていて……たぶんそれが、あなたが身代わりを務めるリルフィア姫ね』

 ビビのこわには面白がっているひびきがふくまれている。

「ふ〜ん」

 寝台のとばりにそって防音のじゅをかけ、久しぶりにビビとつうにおしゃべりする。

 同年代の友達が一人もいない私にはとても楽しいひとときだ────ここが、他国で心底安心できない場所であったとしても。

『……それにしても身代わりねぇ……いったい全体、なんでそんなかいなことになっちゃったの?』

 ふわふわといているビビが笑う。

「んー、まあ、たんてきに言うと全部、大聖堂のためなんだけど…………」

『待って。もしかしてまたお金を積まれたわね? もう〜、グレス、あなたお金に弱すぎよ! いくら積まれたの? 自分を安売りしちゃダメよ?』

「お金にはちょっと弱いけど、安売りなんてしていませんよ」

 私は心外だ、という顔で言った。

「だってビビ。最低でも七億ベセルの追加報酬なんですよ! らしくありませんか?」

『七億ベセルの追加報酬ってことは、大聖堂問題がゆうで解決するってことね』

「はい! …………もちろん、無事、身代わりをやりとげれば!! なので、てっていてきがんりたいと…………何、笑ってるんです? ビビ」

 何がおかしいのか、ビビが笑いをこらえる表情でおなかのあたりを押さえている。

『……いえ、何でもないのよ、気にしないで』

「もちろん、ビビも協力してくれますよね?」

『ええ、いいわ。じゃあ、まずはおに入るわよ』

「え? お風呂?」

 後でこっそり使おうとは思っていたけれど、今はまだビビとおしゃべりしていたい気分だったりもするのに。

『そうよ。だってグレス、今のうちに一人で入っておかないとじょ達が手伝いにやってくるわよ』

「え……帝国のお姫様って、一人じゃお風呂に入れないものなの?」

『そうよ。いろんなお手入れとかもあるから……。でも、あなたはまず、それを見られたら困るでしょう?』

 それ、とビビが指し示したのは私のむなもとだ。私の左胸からおなかの方にかけての左半身には、せいこんと呼ばれるラドフィアの聖職者のあかしが刻まれている。

「確かに。……見られたら一発で身代わりだとバレますね」

 何も知らない人には花の形のあざのように見えるだろう。

 本物のリルフィア姫にそんなものがないことは明らかなので、見られたら言い訳のしようがない。

『とりあえずお風呂には自分で入って、下着を身につけた状態で侍女を出迎えるくらいにしておかないとね』

「はぁーい」

 正体がバレないようにする努力は何にも増して優先しなければならない。

(七億ベセルですからね!)

 気のく閣下は、ちゃんと私のトランクもいっしょに部屋に運び込んでくれたので、新しい下着はある。

 私は寝台から起き上がるとわきの背に外したヴェールをかけ、サイドボードに外したぶくろを置き、ワンピースやペチコートなどをいで椅子の上にかけてゆく。

 身軽な下着姿のままで寝台から降りると、ベッドサイドにそろえてあった室内きに足を入れた。空色のシルクサテンに白い小花のしゅうがされた室内履きはものすごく可愛かわいくて、いているだけで気分が浮き立つ。

(……これ、いんの手仕事にいいのでは?)

 孤児院では、男女ともに器用な者はほうせい技術も刺繡技術も身につけている。

 私はじゅつ方面に特化して自分をきたえたので職人になれるほどではないけれど、それなりの技術は身につけているから、これがそれほど技術を必要とする刺繡ではないことがわかる。

(ちょっとしたきっしょう模様なんかを刺繡した小物類とか…………さりげなく魔術効果のある紋様とかだったら、下町でも人気出そう…………)

『ちょっと、グレス。また何かあやしいこと考えてるでしょう?』

「え? 怪しくなんかありませんよ。ただ、孤児院の手仕事について考えていただけで」

かねもうけのことからはなれなさい。……じゃないと、せっかくの高額報酬をのがすわよ』

 ビビの言葉に私ははっとした。

「そうでした。最優先は、リルフィア姫の身代わりをきっちり務めることです。そのためにはまず、明日の皇帝陛下との対面をかんぺきにこなさなければ!」

『そういうこと。……対面の挨拶の文句や礼は覚えている?』

「だいたい覚えています。あとでちょっと帝国式の女性立礼のしぐさをかくにんしてもらえますか? あとビビ、衣装部屋ってどっちです?」

 か部屋着がしい。

 ここがリルフィア姫の私室ならば、もちろん用意があるだろう。

 右か左かを問うとビビは首を横に振った。

『わからないわ。水回りは寄せて作るのが基本だから、すうしつなら左側だしぐうすうしつなら右側なんだけど……。その逆側が衣装部屋なことが多いわね。改装とかしているとその限りじゃないわ』

「なら、かたぱしから開ければいいってことですね!」

 それはそれでちょっと楽しい。

 私は加護の刺繡が山ほどされている下着姿のまま、衣装部屋を探して片っ端からとびらを開けていく。

 一つ目の扉は専用の居間へと続いていて、二つ目は奥にバスタブのあるしょうしつ。なので、反対側の三つ目の扉を衣装部屋だと思って開けたけれど、そこは小さなしょさいで、四つ目の扉こそが衣装部屋へと通じていた。

「おー、ありました」

 あわいペパーミントグリーンのしっくいかべと春の野を基調としたそうしょくでまとめられた衣装部屋には、びっくりするくらいごうなドレスがたくさんハンガーにられている。

「うわ、明日登城する時にはこういうの着るんですかね?」

『そうよ〜。初登城なら一級礼装だけど、昼間ってこととリルフィア姫の身分を考えると、今回は略礼装かしらね』

「…………ねえ、ビビ。皇帝陛下ってどんな人なのかしら?」

 以前にも聞いたことを、あえて私は問うた。ビビが何かを隠しているような気がしていたからだ。

「…………さあ。またその話? この間も話したけれど、今の皇帝陛下のことは本当に知らないのよ。それより、敵地に乗り込むんですから、じゅうぶんぼうぎょの準備は整えておきなさいね。…………言っておくけど、『お義兄様』はアテにしちゃだめよ』

「はーい」

 誤魔化された、と思った。でも、聞いてはいけないような気もしていた。

 もしかしたら、ビビにも良くわかっていないのかもしれない。

『いい、選帝侯家の血筋っていうのはね、どれ一つとっても一筋縄なんかじゃいかないの。帝国はうばせいふくすることで千年帝国を築いた…………皇国の永久中立なんていう理念はね、ただのごとなのよ』

「寝言とは言い得てみょうですね。眠れるラドフィアの寝言を理念とする国、ってちょっとうまいこと言ったみたいです」

『ごめん……皇国ジョークってよくわからないわ』

「まあ、ビビは帝国人ですからね!」

 私は、一番簡素で一人でも着ることができそうな白い寝間着を選び、それからバスローブとバスタオルを発見して気分があがった。どっちもせんが全然へたっていないフカフカのものなのだ。手にしているだけで肌触りの良さがわかる。

 選帝侯家のお姫様専用バスルームは、一人で入るのになんでこんなに広いんだ、と思ったけれど、何もかもが海のモチーフで作られていてとっても可愛かった。しかも、ほんのちょっとお願いするだけでせいれい達がお湯をめてくれるし、かみを洗うのも手伝ってくれたし、かわかしてもくれた。

 それから、寝台でまたビビとおしゃべりしながら改めて明日の登城の作法の確認をしていたけれど、つかれが溜まっていたためかすぐに寝入ってしまった。

 その後で侍女と一緒に閣下が訪ねて来たらしいけれど、私はまったく目覚めることなく朝をむかえることとなる。

 たぶん閣下は、私が身代わりをちゃんと務められるのか相当気を揉んでいたと思うけど、私の方はそんなこととは露知らず、夢も見ずに眠っていたのだった。

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