第二章 出稼ぎ聖女は追加報酬の機会を逃さない④


「…………その前に、一つ条件があります」


「何ですか?」

「…………私はヴェールをとるつもりがありません」

「……と、言うと?」


 何か理由があるのでしょう?  と閣下は目線で問う。


「私が身代わりを務めるのは、この馬車の移動を除くと実質的には残り三週間程度です。追加報酬付きで多少の延長に応じるのはやぶさかではありませんが、来月半ば過ぎにはラドフィアの生誕祭という皇国にとって最大の行事がひかえておりますので、それほど長くはおつきあいできません」


 私の告げる言葉に閣下はうなづく。


「――――実際問題としてその身代わり期間中、私はお披露目の夜会だけでずっとお邸に引きこもっていられるわけではありませんよね?」

「ええ。……それでしたら、わざわざ貴女に依頼する意味がない」


 お披露目の夜会だけでいいのであれば、正直私は必要ない。一晩限りの身代わりならばハリボテでも何とかなる。選帝侯家ならば十分用意できるだろう。


「で、あればなおさらです。三週間もの間、ずっと顔をさらせば覚えられてしまいます。これ以後、本物のご令嬢がご領地でずっと引きこもっていられるわけではないですから、いつか 帝都におでになることもあるでしょう?   その時に別人とわかったら困りますよね?」


「それはそうです」


「ご令嬢は並はずれて内気な方なのですよね?   ならば、ヴェールをしていても問題はないと思うのです。……それに、これを機にヴェールをしていることが周囲に受け入れられれば、この先他の人でも身代わりを務めやすいですよね」


「ええ……確かに……」


 閣下が少し考えるような表情をする。この提案が理にかなっていることを理解している顔だ。


「多少噂にはなるかもしれませんが、ご令嬢は良い条件の結婚相手を見つけなければならないわけではないので、顔を隠したところで問題ないと思うのです」

「ええ、その通りです。……わかりました。ドレスに合わせてせんさいなレース織のヴェールを仕立てさせましょう」

「よろしくお願いします」


 私はほっとした。認識がいじゅは後から自分でつければいい。

 仕事とあれば顔を晒すこともあるだろうとは思ってきたけれど、でもやっぱり人前でヴェールを外すのはちょっとていこうがある。


(六億ベセルの追加報酬のためですから、必要とあれば仕方ありませんが…………)


 取らずに済むならそれにこしたことはない。


「あとは何が必要ですか?」

「…………目的地に着くまで、可能な限りご令嬢のことを話してくださいませ」


 やるとなれば完璧に身代わりを務め上げてみせましょう!

 という気分で私はぐっと手を握りしめる。

 あわよくば、ここで『最高の身代わり』っぷりを印象づけ、今後も派遣依頼があるようにしたい。


かねばらいの良いきゃくだいかんげいです!)


 多少のけいくらいは、多額の現金報酬を前にしたら水に流せる。水に流せないような出来事があったとしたら、それはもう何をどうしても許せないからな努力はしないほうがいい。


「話せ、と言われても…………義妹は領地暮らし、私は帝都暮らしなので、実はそれほど多くを知っているわけではないのですよ」


(…………あ、これ、仕事を言い訳に婚約者を放置してるタイプですね)


 そのせいで義妹姫は自棄やけになったのかもしれない。本当のことは本人にしかわからないけれど。


「まずはお名前を教えてください」

「…………義妹のですか?」

「はい」

「リルフィアです。リルフィア・レヴェナ゠ヴィイ゠アルフェリア・フィアリス」

「…………アルフェリア?」


 聞き覚えのある姓に私は軽く首を傾げた。


「義妹の母はアルフェリア選帝侯家からとついだ方だったので――――アルフェリア選帝侯家は、三年前、老候がおくなりになって以降、こうけいしゃがいません。義妹が成人したら、 正式に引き継ぐことになっていて…………どちらにせよ、管理するのは私ですが」


 閣下が親切に説明してくれるけれど、私がひっかかったのはそこではない。


(……アルフェリアって、ビビの実家だ!)


 いつだったかビビからは断絶してしまったとだけ聞いていたのだけれど、なるほど、この方の義妹姫とビビはけつえん関係にあるのか……と思ったら、何だか親近感が湧いた。具体的に言うならば、やや積極的に協力してあげてもいいかなという気になったのだ。


(でも、話に聞いているだけだと、閣下の義妹姫ってビビと血縁関係にあるとは思えないご令嬢だな……)


 私は頭の中で知っているはんの系図を思い描いてみる。

 閣下と義妹姫は、確か本来だと従兄妹いとこ同士になるのだ。

 義妹姫の父親のていが閣下のお父上で、義妹姫が幼い時にご両親が亡くなったために彼女を次の選帝侯として健 すこ やかに養育することを条件に、なかぎの選帝侯として後を継いだ。

 で、年齢的に考えると義妹姫の母親の妹、あるいは母親の兄弟の娘がビビなのだと思う。

 私と出会った時、ビビはまだ幽霊になってそれほどっていないと聞いた覚えがあるから。


(細かいところがわからないけど…………ビビが義妹姫の従姉妹いとこだったら、結構、血縁が近いな)


 ビビは、自分のことを『完璧な淑女』と言って高笑いする幽霊令嬢なのだけど、完璧としょうするだけのことはある。

 普通の令嬢的な知識や教養はもちろんのこと、帝国のみならず周辺諸国の政治経済から産業構造に至るまでの広範囲な知識を持つだけでなく、それらをかすこともできるのだ。


 たぶんビビは、あとぎかそれに類する立場として育てられていたのだろう。

 ここ数年の皇国における改革のうちの幾つかは私とビビの共同作業の結果で、私はその広い知識と深い見識に何度も助けられた。

 ヴォリュート帝国は、女性であっても候位やしゃくを継げるし、ていにも就ける実力主義の国だ。

 ビビがもし生きていたら、きっと素晴らしい選帝侯になっただろう――――その導きで、彼女の何分の一かの知識と見識を自分のものにしている私にはそれがわかる。


(…………もったいないなぁ)


 いつもビビと一緒で……だからこそたくさん助けてもらっているくせに、こうして折あるごとにビビが死者であることを残念に思ってしまう。

 私は、少ししんみりした気分になってしまったのを振り払うように小さくかぶりを振り、気分をえてあえて明るい声で閣下にたずねた。


「……閣下は、義妹姫のことを何と呼んでらっしゃるんですか?」

「それは…………」


 口を開きかけた閣下は答えようとして、はた、と動きを止めた。


(あ、これ、心当たりがないっていう顔ですね)


 らいを踏んでしまったことに気付いて、溜め息を一つつく。


「…………閣下?」


 しばらくの沈黙に耐えかねて、私は回答をうながした。


「…………あいしょうを呼んでいます。レヴェナからとって、レナと」


 そのやや苦しげな表情で内情がたやすくうかがい知れる。


(あんまり呼んでいないか……もしくはほとんど呼ぶ機会がないのか……)


「…………普通は、リルフィアからとりませんか?」

「そうなのですが、彼女がレナという呼び方にんでいるので、そう呼ばないと返事を忘れるんです」

「…………そうですか」


 何とも言えないみょうな回答だった。どう返せばいいのかわからなかったので、さっと流して話を先に進める。


「では、本物の義妹姫と間違えぬように、私のことはリルと呼んでください。私は閣下のことを『お義兄にいさま』とお呼びしますので」

「わかりました」


 閣下はなおにうなづく。たぶん、閣下としてもこの話は長く続けたいものではないのだろう。


「あとは…………」


 それから、二人で必要と思われることを一つ一つかくにんしあった。

 こうして認識をすりあわせることはとても大事だ。こういう細かな事前準備こそがとどこおりなく仕事を終わらせる原動力となる。


「……ああ、大事なことをおうかがいするのを忘れていました。……私が身代わりだとご存じなのは、あとどなたですか?」

「私と、今この馬車のぎょしゃを務めているクラウスだけです。クラウスの口の堅さに関しては問題ありません。私の護衛をねた従者で……忠義に厚い男です」


 私は馬車の乗り降りのたびに手を貸してくれ、他国の聖職者であろうとも丁寧にづかってくれた御者をのうに思い浮かべる。

 四十前後と思われる中年の男性は、元はおそらく軍人と思われるキビキビとした身のこなしでとてももくだ。閣下の護衛ということは、元ではなくげんえきの軍人なのかもしれない。 正直なところ、閣下よりよほど好感を持っている人だ。


「そうではなくて、他にもいますよね?」


 私のついきゅうに、閣下がいぶかしげにまゆひそめる。


「いいえ。私達の秘密を知る者は少なければ少ないほど良いですから…………あとは、義妹本人と彼女のは、貴女と会えば貴女が身代わりだとわかるかもしれませんが …………」


 とりあえず今はまだ貴女の存在ごと知りませんね、と閣下は言う。どうやら余計なことは知らせない方針らしい。


(そりゃあ、そうですよね…………)


 義妹姫にしてみれば、自分以外が自分の名を名乗っていれば、身代わりだと思うのは当然だ。


(それとも、私をにせものって言うかしら?)


 でも、共有が本人と乳母だけ、というのは随分と少ないな、と思う。義妹姫の周囲の人間は気付かないものなのだろうか?


(…………ほぼなんきん状態とか、そういうことなのかしら?)


 限られた人間にしか会わせないようにしていれば、そうできるのかもしれない。


(その場合は、義妹姫の家出が別の意味を持つような…………?)


 いや、そのへんを突っ込むのはやめよう、と私は心の中で決めた。

 やぶをつついてへびが出てきてしまったら困る。それより今は――――。


「違います。私が言っているのはそうではなくて…………もっと、他の人です。……そう、この計画をあなたと一緒にたてた誰か――――あなたが、自分と同一視するような…………『私達』とあなたが言う相手のことです…………」


 私はにっこりと、彼には見えていない笑みを浮かべる。


 閣下はきょうがくの表情で私を見て、それから、静かに笑った。

 強い意志を感じさせるその笑みは、一周回っていっそじゃにも見える不思議な明るさを感じさせた。


「本当に貴女は素晴らしい…………ええ、そうです。この秘密を知っている方が、もう一 人」


 どこか歌うような口調のまま、とても楽しそうに彼は私に尋ねた。


「――――察しの良い貴女なら、もうわかっているのでは?」


「推測はしています。……でも、確証はない。私がそう思っただけでただの勘にすぎません。だから、教えてください」


 これ、とっても大事なことなんですから、と私は付け加える。


「我が国のこうてい陛下――――現帝レクター ・ ラディール陛下が、ご存じです」


 レクター・ラディール゠ヴィイ゠フェイエール・ヴォリュート――――帝国の南方を治めるフェイエール選帝侯家から出た、ほのおの精霊王の申し子と言われる現在の皇帝陛下。


 その名前に、ドクンとどうが一度大きくねた。


(――――あ…………)


 くすぐったいようなしびれが全身に広がって、指先がムズムズするようなかんしょくがある。


「…………どうしましたか?  聖女様」


 私の方を不思議そうに見るまなしの前で首を横に振る。


「いいえ、何でもありません」


 自分の中にまるでけるように広がったこの強いよろこびの感情は、私のものではなかった。

 けれど、どこか生々しく、さっかくを起こしてしまいそうにもなる。


(…………ああ、そうか)


 私は、あの運命の夜のビビとの約束を果たす日が、ついにやってきたことをさとった。


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