第二章 出稼ぎ聖女は追加報酬の機会を逃さない④
「…………その前に、一つ条件があります」
「何ですか?」
「…………私はヴェールをとるつもりがありません」
「……と、言うと?」
何か理由があるのでしょう? と閣下は目線で問う。
「私が身代わりを務めるのは、この馬車の移動を除くと実質的には残り三週間程度です。追加報酬付きで多少の延長に応じるのは
私の告げる言葉に閣下はうなづく。
「――――実際問題としてその身代わり期間中、私はお披露目の夜会だけでずっとお邸に引きこもっていられるわけではありませんよね?」
「ええ。……それでしたら、わざわざ貴女に依頼する意味がない」
お披露目の夜会だけでいいのであれば、正直私は必要ない。一晩限りの身代わりならばハリボテでも何とかなる。選帝侯家ならば十分用意できるだろう。
「で、あれば
「それはそうです」
「ご令嬢は並はずれて内気な方なのですよね? ならば、ヴェールをしていても問題はないと思うのです。……それに、これを機にヴェールをしていることが周囲に受け入れられれば、この先他の人でも身代わりを務めやすいですよね」
「ええ……確かに……」
閣下が少し考えるような表情をする。この提案が理にかなっていることを理解している顔だ。
「多少噂にはなるかもしれませんが、ご令嬢は良い条件の結婚相手を見つけなければならないわけではないので、顔を隠したところで問題ないと思うのです」
「ええ、その通りです。……わかりました。ドレスに合わせて
「よろしくお願いします」
私はほっとした。認識
仕事とあれば顔を晒すこともあるだろうとは思ってきたけれど、でもやっぱり人前でヴェールを外すのはちょっと
(六億ベセルの追加報酬のためですから、必要とあれば仕方ありませんが…………)
取らずに済むならそれにこしたことはない。
「あとは何が必要ですか?」
「…………目的地に着くまで、可能な限りご令嬢のことを話してくださいませ」
やるとなれば完璧に身代わりを務め上げてみせましょう!
という気分で私はぐっと手を握りしめる。
あわよくば、ここで『最高の身代わり』っぷりを印象づけ、今後も派遣依頼があるようにしたい。
(
多少の
「話せ、と言われても…………義妹は領地暮らし、私は帝都暮らしなので、実はそれほど多くを知っているわけではないのですよ」
(…………あ、これ、仕事を言い訳に婚約者を放置してるタイプですね)
そのせいで義妹姫は
「まずはお名前を教えてください」
「…………義妹のですか?」
「はい」
「リルフィアです。リルフィア・レヴェナ゠ヴィイ゠アルフェリア・フィアリス」
「…………アルフェリア?」
聞き覚えのある姓に私は軽く首を傾げた。
「義妹の母はアルフェリア選帝侯家から
閣下が親切に説明してくれるけれど、私がひっかかったのはそこではない。
(……アルフェリアって、ビビの実家だ!)
いつだったかビビからは断絶してしまったとだけ聞いていたのだけれど、なるほど、この方の義妹姫とビビは
(でも、話に聞いているだけだと、閣下の義妹姫ってビビと血縁関係にあるとは思えないご令嬢だな……)
私は頭の中で知っている
閣下と義妹姫は、確か本来だと
義妹姫の父親の
で、年齢的に考えると義妹姫の母親の妹、あるいは母親の兄弟の娘がビビなのだと思う。
私と出会った時、ビビはまだ幽霊になってそれほど
(細かいところがわからないけど…………ビビが義妹姫の
ビビは、自分のことを『完璧な淑女』と言って高笑いする幽霊令嬢なのだけど、完璧と
普通の令嬢的な知識や教養はもちろんのこと、帝国のみならず周辺諸国の政治経済から産業構造に至るまでの広範囲な知識を持つだけでなく、それらを
たぶんビビは、
ここ数年の皇国における改革のうちの幾つかは私とビビの共同作業の結果で、私はその広い知識と深い見識に何度も助けられた。
ヴォリュート帝国は、女性であっても候位や
ビビがもし生きていたら、きっと素晴らしい選帝侯になっただろう――――その導きで、彼女の何分の一かの知識と見識を自分のものにしている私にはそれがわかる。
(…………もったいないなぁ)
いつもビビと一緒で……だからこそたくさん助けてもらっているくせに、こうして折あるごとにビビが死者であることを残念に思ってしまう。
私は、少ししんみりした気分になってしまったのを振り払うように小さく
「……閣下は、義妹姫のことを何と呼んでらっしゃるんですか?」
「それは…………」
口を開きかけた閣下は答えようとして、はた、と動きを止めた。
(あ、これ、心当たりがないっていう顔ですね)
「…………閣下?」
しばらくの沈黙に耐えかねて、私は回答を
「…………
そのやや苦しげな表情で内情がたやすくうかがい知れる。
(あんまり呼んでいないか……もしくはほとんど呼ぶ機会がないのか……)
「…………普通は、リルフィアからとりませんか?」
「そうなのですが、彼女がレナという呼び方に
「…………そうですか」
何とも言えない
「では、本物の義妹姫と間違えぬように、私のことはリルと呼んでください。私は閣下のことを『お
「わかりました」
閣下は
「あとは…………」
それから、二人で必要と思われることを一つ一つ
こうして認識をすりあわせることはとても大事だ。こういう細かな事前準備こそが
「……ああ、大事なことをおうかがいするのを忘れていました。……私が身代わりだとご存じなのは、あとどなたですか?」
「私と、今この馬車の
私は馬車の乗り降りのたびに手を貸してくれ、他国の聖職者であろうとも丁寧に
四十前後と思われる中年の男性は、元はおそらく軍人と思われるキビキビとした身のこなしでとても
「そうではなくて、他にもいますよね?」
私の
「いいえ。私達の秘密を知る者は少なければ少ないほど良いですから…………あとは、義妹本人と彼女の
とりあえず今はまだ貴女の存在ごと知りませんね、と閣下は言う。どうやら余計なことは知らせない方針らしい。
(そりゃあ、そうですよね…………)
義妹姫にしてみれば、自分以外が自分の名を名乗っていれば、身代わりだと思うのは当然だ。
(それとも、私を
でも、共有が本人と乳母だけ、というのは随分と少ないな、と思う。義妹姫の周囲の人間は気付かないものなのだろうか?
(…………ほぼ
限られた人間にしか会わせないようにしていれば、そうできるのかもしれない。
(その場合は、義妹姫の家出が別の意味を持つような…………?)
いや、そのへんを突っ込むのはやめよう、と私は心の中で決めた。
「違います。私が言っているのはそうではなくて…………もっと、他の人です。……そう、この計画をあなたと一緒にたてた誰か――――あなたが、自分と同一視するような…………『私達』とあなたが言う相手のことです…………」
私はにっこりと、彼には見えていない笑みを浮かべる。
閣下は
強い意志を感じさせるその笑みは、一周回っていっそ
「本当に貴女は素晴らしい…………ええ、そうです。この秘密を知っている方が、もう一 人」
どこか歌うような口調のまま、とても楽しそうに彼は私に尋ねた。
「――――察しの良い貴女なら、もうわかっているのでは?」
「推測はしています。……でも、確証はない。私がそう思っただけでただの勘にすぎません。だから、教えてください」
これ、とっても大事なことなんですから、と私は付け加える。
「我が国の
レクター・ラディール゠ヴィイ゠フェイエール・ヴォリュート――――帝国の南方を治めるフェイエール選帝侯家から出た、
その名前に、ドクンと
(――――あ…………)
くすぐったいような
「…………どうしましたか? 聖女様」
私の方を不思議そうに見る
「いいえ、何でもありません」
自分の中にまるで
けれど、どこか生々しく、
(…………ああ、そうか)
私は、あの運命の夜のビビとの約束を果たす日が、ついにやってきたことを
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