第2章 2
2.
この里に帰省してそろそろ一週間を迎えようとしているが、未だにまともに太陽を見ていない。かと言ってずっと家の中にこもっていたわけではない。何分登らないものは見ようもないのだ。
まるで一日中靄がかかったように里の盆地がヤマセの煙に覆われていた。こんなに酷い年も十数年ぶりだと村の人々がため息をついていた。一度山の中腹から里を見下ろしてみたが、まるで里がすっぽりと綿帽子を被っているようで驚いたものだ。山裾から流れ込んだ靄が滝壺のように里に溜まり込んでいるかのようだった。
「こりゃあ、イモチが出はンねばいいげんともな」
一緒に田んぼの草刈りを手伝っていた源三――最初に声を掛けてきた初老の村人が煙草時に真面目な顔でぼやいた。
「イモチ? ヤマセみたいなものですか?」
父から借りた野良着の地下足袋から泥を下ろしながら聞くと、
「違う、稲の病気だ。これが出はると稲の籾コさ実が入んなくなンのっしゃ。田んぼがボヅラボヅラ赤くなるとあっという間に周りに拡がる。そうなるともうお手上げっちゃ」
ぱっと手を広げて見せたところで源三は頭を抱えた。
「去年も一昨年も米が獲れなくて今年もこれでハ、……大変なことになるぞや」
そこへ村道を通りかかる若い娘の姿が目に入った。見ると先日我が家の庭に姿を見せ、父に怒鳴られて逃げて行った少女だった。名前は確か佐保子といったか。
「ヨオ、佐保ちゃん! 庵主さんとこのお使いかい?」
気さくに源三が声を掛けると少女は立ち止まりぺこりと頭を下げる。
ちらりと目が合う。
「コッチャ来て若いあんちゃんと話ス語りしてがねエがや?」
源三が揶揄うと何とも言えない様子で小首を傾げながら立ち去ってしまった。
――あいつは薩長の娘だ
「源三さん。父があの娘のことを薩長だと」
「ああ? ああ、そうか、あンだ家の親爺様は会津っぽだったっけもんなあ」
私が問うと、源三は具合が悪そうに言葉を濁した。この辺りは奥羽越列藩同盟に加わっていた土地だ。御一新からまだ四半世紀と少ししか時を経ていない。未だにわだかまりでも残っているのだとしたら。
「何か村から弾き者にされているわけではないのですね?」
「いや、俺ラ達は気にしねえ。佐保子ちゃんはいい子だよ」
さて、仕事すっぺしと無理に陽気な態で源三は腰を上げた。
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