第4章 6
6.
夢を見た。
死んだ、兄の夢だった。
セーラーの水兵服を着て、身体を機関のオイルで濡らし、半身を炎で焼かれながら、私の肩を掴んで揺さぶっていた。
酷く、恐ろしい形相だった。
──馬鹿野郎!
そう、怒鳴っているのが聞こえる。
まるで遠くから聞こえてくるような声だが、必死の形相で私の肩を揺さぶっている。
ぼんやりと、兄の顔を見つめる。
成程、兄はこんな顔をしていたのか。お母さん似だったんだな。
──馬鹿野郎!
もう一度、兄は私を怒鳴りつける。今度はさっきより近くに聞こえた。
(兄さん、日清戦争で死んだんじゃなかったっけ?)
──馬鹿野郎、起きろっ!
今度はすぐ耳元ではっきりと聞こえた。
──死ぬぞ!
息苦しさに噎せ返り、飛び起きた。
悪夢の続きかと思った。
襖が、天井が、障子が真っ赤な炎を上げていた。身体に掛けていた布団の端には、既に炎が燃え移っている。
悲鳴を上げて、部屋から飛び出した。
家中が、火の海だった。
紅くちらつく炎の他は、真っ黒な煙に遮られ、何も見えない。
炎の勢いは物凄い。まるで炎すらも猛烈な飢えに喘いでいたかのように貪欲な紅い舌を覗かせて家を喰らい尽くしていった。
目が痛い。とても開けていられない。
剥き出しの顔面が、熱気に焙られる身体中が痛い。
僅かでも火勢から逃れるため、身体を庇い蹲る。
死にたくなかった。
恐怖に後押しされるように、這い進む。
その腕を、誰かに力強く掴まれた。
猛烈な勢いで引きずられ、嘘のような冷たい大気──家の外へ放り出される。
飛び立つように高熱の圧迫感が消えた。
夢から覚めたような静寂と凍えるような空気が肺に入り、かえって私は噎せ返った。
涙を流しながら痛む目を無理矢理開けると、血走った目で見下ろす父の大きな影が浮かんでいた。
荒い息を白く凍てつかせ、僅かに安堵の色を浮かべる父の顔の半分が火傷のためか、焼けた煤がこびり付いたのか、真っ黒に焼け爛れていた。
父の背後では、私たちの小さな家が炎を上げていた。
夜空を炙るように、火勢は高く、闇を紅く染めていた。
はっとして、父に問うた。
「──母さんは?」
父は目を見開いた。
母の名を叫んで、止める間もなく、父は再び燃え盛る炎の中へ飛び込むように消えていった。
……直後、火の粉を飛ばし、家は音を立てて崩れ落ちた。
助けを呼ぼうと、当てもなく村道を駆け出した私は、幾らも進まぬうちに、立ち尽くした。
村の彼方此方で、炎が上がっていた。
方々で村人たちの怒号や悲鳴が聞こえる。
(そんな……一体何が?)
「──とうとう業が村を飲み込んでしまったンだよ」
呆然と立ち尽くす私の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、袈裟姿の蓮華が立っていた。
「蓮華さん?」
その背後には、平太や破れ寺で一緒に遊んだ子供たち、見たことのない子供たちが大勢見えた。
……既に皆この世のものでないことは知れた。
「アタシはこの子たちを連れていく。今度は途中で迷子にならないよう、置いてけぼりにしないよう、しっかりアタシが面倒見るつもりさ」
そう言って、蓮華はにっこりと微笑んだ。
「ありがとう。君に逢えてよかったよ。君がこの村に来てくれなければ、アタシは最後まで雪女郎のままだったかもしれない。どうか佐保子ちゃんと末永くお幸せにね」
「蓮華さん、……待って!」
数多の子供たちを連れて、蓮華は夜の闇の中に消えていった。
破れ寺の石段を駆け上がると、本堂も方丈も、炎に包まれ近づくこともできなかった。
石燈籠の傍らに、ずたずたに引き裂かれた庵主の亡骸が横たわっていた。
(……酷い。いったい誰がこんなことを?)
乱暴にはだけられた蓮華の装束を整えてやり、亡骸に手を合わせる。
まさか村のあちこちでこんなことが起こっているのか?
「佐保子……佐保子は?」
蓮華の履いていた雪駄を借り踵を返すと、焼け落ちる破れ寺を背に石段を一目散に掛け降りた。
佐保子は、佐保子は無事か。
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