第4章 2

2.


「おもさげねえ。もう、食えるモンが、なにもないのっしゃ」

 托鉢に訪れた庵主を戸口で迎えたおかみさんがそう言って頭を下げた。

 頭を下げたまま、ぽろぽろ涙を溢し、やがて顔を覆って啜り泣きを漏らした。

「何もない、もう何もないのよう……」

 庵主は、懐から竹の皮で包んだ掌ほどの包みをおかみさんの手に握らせた。

「寺で仕込んだ味噌です。どうぞ、足しにしてください」

 縋りつかんばかりに手を合わせ礼を言うおかみさんと別れた蓮華は、編笠を上げ暫く采女取山をじっと睨みつけたまま立ち尽くしていたが、やがて踵を返すと、破れ寺の方へと戻っていった。

 その様子を遠くから偶然見ていた私は、蓮華の寺へと向かうことにした。



 本堂を覗くと、袈裟に着替えた庵主が壁に向かって座禅を組んでいた。

「……蓮華さん?」

 呼びかけるも、庵主は無言で壁に向かったまま。

 やがてぽつりと、

「ごめんよ」

 誰にともなく呟くと、立ち上がってこちらに笑いかけた。それはあの盆祭りの夜が遠い昔に見た夢か幻のように思えるような笑いだった。

「ここは寒い。方丈に行こうか?」


 方丈へ行くと、蓮華が茶を出してくれた。

「春の内に摘んで乾かしていたドクダミの茶だ。匂いはきついけど滋養になる」

 温かいものを口にするのは久しぶりだ。有難く頂いた。

「……静かだろう?」

 蓮華が口を開いた。

「子供たちはどうしたんですか?」

「もう寺には来ない。どの家にも、寺に子供を預ける余裕はなくなった。この寺にも、子供たちの面倒を見るだけの余裕はもうない」

 悲しそうに茶碗に目を落とす。

「ついさっき、この寺の最後の食物を村に施した。あるのは、そう、この茶くらいなもンさ。 ……ところで」

 庵主が顔を上げて鋭い双眸を私に向ける。

「アタシは忠告したはずだ。長居するなと」

 いつになく厳しい面持ちだった。思わず居住いを正すが、すぐに蓮華の表情は優しいものになる。

「……佐保子ちゃんかい?」

 頷くと、庵主は困ったように頭を掻きながら立ち上がる。

「あンだけ言っておいたのにねえ。まあ、アタシも焚きつけちゃったから、君ばかりも責められンわさ。まあ、どのみちもう遅いかもね。ほら」

 障子を開けて見せる。

 はらはらと白いものが舞い落ちていた。


 ……采女取の里に、冬が訪れた。


「一つだけ、これだけは忠告しておくよ」

 外を見つめたまま、庵主が言った。


「――冬の采女取山に近づいちゃいけない。嫌なものをみることになる」


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