第2章 6
6.
「……佐保子ちゃんの御父上は、下手渡出身の下級官吏だったンだ。御母上は筑後の柳川藩士の出らしい。当時の政府から仕事を受けて、まだ小さかった佐保子ちゃんを連れてこの里に越してきたそうだよ」
あくる日の夕刻、破れ寺を訪れ、佐保子のことを改まって問うと、本堂から少し離れた蓮華の方丈に通された。昨日とは打って変わり、どんよりと曇った灰色の空が村を覆っていた。
「ここの村人の半分は、戊辰の戦で官軍と戦って負けて、色んな事情で故国にも戻れず、他の仲間たちと一緒に蝦夷地にも渡らなかった落ち武者達なンだ。庄内、会津、仙台、盛岡、米沢……幕府方に組した敗残兵が傷を負い、様々な業を抱えて彷徨った挙句辿り着いたのがこの里なのさ。君にもいつか話しただろう? この村には、君みたいな都会者を歓迎する人とそうでない人がいるって。その連中の目には白河の関を越えてくる奴ァ、どいつもこいつも皆憎き官軍に見えちまうのサ。そして、下手渡藩は、幕府側――特に会津、仙台の兵隊さんたちには官軍に内通していた裏切り者だった」
――あいつは、薩長の娘だ。
父の言葉がふと蘇る。
「ご両親の風当たりは強かったようだよ。ただし、御父上は官軍方の藩兵として実際に銃を執って戦ったこともある隆々とした偉丈夫で、御母上も武家の娘だけあってとても凛として品のある綺麗な人だったらしくて、誰も表立ってイチャモンつけるような手合いはいなかったらしいけどね。それに御父上の仕事ってのがこの里から街へ抜ける街道を作るための下準備だってんだから、元々この里に住んでいた官軍云々なんぞどうでもいい村人からすれば御父上様々の大喜びなわけさね。そんな村人たちの温度差がいつの間にか村を割る事態にまで発展してしまったンだ。やれ町人が水を勝手に引いただの、やれ賊軍の連中に田の代に穴を開けられただの、そんなツマンないいざこざがどんどん大きくなって、あやわ一触即発というところにまでなって――ご両親が殺された。それも、多分佐保子ちゃんの目の前で」
「……殺された?」
「誰かが佐保子ちゃん達の家に火をつけたンだ。皆で必死に火を消しに掛かったけど、家は一晩中燃え続けた。焼け跡から、ご両親が黒焦げになって見つかった。それも調べてみたら、殺された後で火を付けられたらしい。……街から巡査さんが大勢来て調べていったけど、結局犯人は判らず仕舞いだったって」
「佐保子さんは無事だったんですか?」
「佐保子ちゃんは無事だった。納屋に隠れているのを助けられたンだけど、それはそれは尋常じゃないほどの怯えようだった。口も利けないくらいの怯えようで、それきり、二度と口が利けなくなった。口の利き方を忘れてしまったみたいに」
昨日の佐保子の顔がふと目に浮かぶ。
風邪を引かないうちに上がって着替えていかないかと言うと、佐保子は真っ赤になってぶんぶんと首を振り、何かパクパクと口を動かした。
(……「ヘイタヲ」?)
それでは通じぬと思ったか、唐突に私の掌を取ると、人差し指でなにやらさらさらとなぞり出した。擽ったい。
「……「たすけてくれてありがたう」?」
顔を上げると、佐保子はぎこちなく笑顔を作って頷いた。
「……それからこの村の人間の態度は面白い構図になった。相変わらず薩長許すまじって佐保ちゃん相手にも意気込む連中と、昨日の平太の親爺さんみたいに後ろめたさを感じて尻込みする連中、源三さんみたいに最初から何の偏見も持っていない連中は不憫がって佐保ちゃんに家を貸してあげたり仕事を頼んで駄賃をくれてやったり色々気を使ってあげてる。いずれにせよ一度表に出ちまったお互いのわだかまりはもう引っ込まなくなっちまってる。……前にも言ったけど、メンドくさい村なンだよ、ここは」
そう言ってヨイショと蓮華は立ち上がると、私の傍らを過ぎてスッと方丈の障子をあけ放った。途端にそれまでの静寂を破るような蛙の大合唱が聞こえてくる。
「……すっかり夜が更けちゃったけどさ。もう遅いからここに泊まってくかい?」
いつの間にか曇天は晴れ、空には煌々と月が上っている。確かに少し長居し過ぎた。
「どうする? もちろん布団は一つしかないけど、やる? ――嗚呼っ! 久しぶりだ」
蓮華が両肩を掻き抱くように身を震わせながら肩越しに潤んだ視線をこちらに流しかける。ちろりと紅い舌が蓮華の艶やかな唇の間を這う。
「ねえ」
「すいませんもうお暇します」
庵主から提灯を借りて本堂の前まで見送ってもらう。
「……ところで、先ほどの話ですが」
一つだけ聞き忘れていたことがあった。
「佐保子さんのご両親の件……やはり官軍を憎む村人の仕業と見ますか?」
「いや、それはないと思うよ? 火事の騒ぎの時、その連中も残らず集まって火消しに掛かったっていうしね。この村じゃあ、どんなにいけ好かない相手でも火事と葬式は皆が総出で助け合うンだけど、いくら何でも自分で付けた火を消しに掛る馬鹿はいないだろう?」
成程。頷いて蓮華に別れを告げようとすると、「あのさ」と呼び止められた。
「これも前に言ったけど、君はこの村に長居しない方がいい」
振り返ると、背後の夜空に浮かんだ月の明かりがぼんやりと蓮華の影形だけを照らし、その表情は伺い知ることは出来なかったが、
「この村は、君が思っているより業が深い」
真っ暗な闇に沈んだ彼女の表情の中で、鋭い双眸だけが冷たい光を浮かべているように見えた。
「佐保ちゃんのことだけじゃない。采女取の山から降りてくるのはヤマセだけじゃない。人の業さえ、あの峰から転げ降りてこの里にいつまでも淀み続けているンだ」
しかしそれは私を威圧するでもなく、警告を発するでもなく、何か只ならぬものを秘めた懇願にも似た忠告として聞こえた。
「――雪が降る前に帰りなさい。君の身にこの里の業が降りかかる前に」
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