第1章 3

 3.


 父は竹細工を主な生業としていた。材となる篠竹は家の裏手に自生しているものを用い、孟宗竹のような大きな竹は私が道中越えてきた山の中へ分け入って採りに行く。初冬になると家の周囲は狩り集めてきた竹材の束でぐるりと囲まれ、それらは一冬掛けて乾燥させ、籠や漁具、篠笛などに加工し、時には行商から注文を受けて街に卸したりもしていたらしい。それ以外は他所の田植えや草刈り、稲刈りなどを手伝い生計を立てる、典型的な水呑百姓だった。

 短い序ノ口を登り玄関の前に立ち、ふと納屋の方を見ると山のように竹の束が積まれているのがちらりと見えた。刈り取ってからずっと放置しているものと見えすっかり茶色く変色し、もう細工の材としては使い物にならないだろう。

 傍らで庵主が開け放たれた玄関の三和土の向こうに声を掛けると、やがて左足を引きずりながらのっそりと大柄な父の姿が現れた。

「父さん」

 ……面影が、蘇った。

「ご無沙汰しております。只今帰りました」

 図らずも、言葉の最後が喉に詰まった。あとは言葉にならなかった。

 父が何かを言いかけて言葉を詰まらせる気配が聞こえた。

「……なンたら、すっかり都会の言葉喋るようンなって」

 後ろで庵主がスンと鼻を啜った。

 父が立ち上がる。

「庵主様もわざわざ息子を送ってくださって、おもさげねェ。どうぞ、お茶ッコ上がってってけらィ」

「いや、アタシはこれ以上邪魔しちゃ悪いよ。積もる話もあるだろうしさ。あ……」

 慌ててぶんぶんと手を振っていた庵主が思い出したようにシュンとした。

「そうだ、今日はご長男の月命日だ。邪魔して悪いけど経だけ上げさせてもらうよ」



 兄のことはよく覚えていない。出航前に軍艦の前で撮影したと思しき集合写真に写る水兵服の青年たちは皆一様に見え、これが兄だと写真の一人を指さされてもぼんやりと記憶の焦点が定まらない。

 入れ違いのように志願兵として村を出たため庵主も兄とは面識がないらしい。袈裟も纏わぬ見苦しい形で申し訳ないと詫び、手拭いを解くと尼削ぎの短髪がはらりと舞った。

 本当に尼さんらしく、位牌が置かれただけの簡素な仏壇に向かい無心に経を読む庵主を残して仏間を後にする。

 


 記憶の中で、母は泣いてばかりいる人だった。

 決して父が粗暴だった訳ではない。ただ、父は母が私を抱きしめ泣いているとき、その背中を見下ろしながらじっと何かに耐えるように、同じように悲しそうな顔で私たちを見下ろしているのだった。

 ――ごめんね。ごめんね

 そう泣きながら母は私を抱きしめ泣いているのだった。

 なぜ私に謝るのか。なぜそんなに悲しそうに泣いているのか。結局その理由はわからないまま私は故郷を離れたが、今の母はもう泣くことも悲しむこともなくなった。

 笑うこともなくなった。

「母さん、母さん」

 呼びかけても、母は床に就いたまま虚ろな目で天井を見やるばかりでまるで反応をする素振りも見せない。兄の葬儀を終えた年の冬に卒中にあたり、それ以来ずっと床に就いたままなのだという。

「それでも、嬉しそうだぞ」

 父は涙ぐみながら言った。

「こンなに立派におがって帰ってきたって、母ちゃん、嬉しそうだぞ」

「母さん」

 ……どうして、あの時謝っていたの?

 どうして、私を村から遠ざけたの?

 ……あの夜、何があったの?

「――あのさ、」

 振り返ると、申し訳なさそうな顔をした庵主が佇んでいた。

「供養終わったからアタシ帰るけど……ごめん邪魔しちゃったかな?」

 頬を掻く庵主に父は礼を言いながら包みを渡そうとするが、

「いや、お布施は良いよ。ちゃんとした格好してきたわけじゃないしアタシがしたくてお経読ンだだけだからサ」

 恐縮気に首を振る庵主の後ろの庭にふと人影が見えることに気づいた。

 ……女の子?

 絣の夏衣を着た流し髪の少女が、心細げにこちらを伺っている。他の村人たちとは違い随分色が白い。

 目が合う。はっとした少女の表情

「失せろ!」

 突如父が大声で怒鳴りつける。

 途端に飛び上がるように少女は紫陽花の植え込みの影を抜けて走り去ってしまった。

「怒鳴りつけることはないでしょう!」

 父に抗議するが、

「……あいつは薩長の娘だ」

 父は吐き捨てるように呟き背を向けて足を引きずりながら奥へ行ってしまった。

「あの子は佐保子ちゃんっていうンだ」

 父が去った後、少女がいた辺りに視線を向けた庵主が呟いた。

「気の毒な娘さ」

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