第4章 9

9.


 雪原に、真っ赤な花が咲いていた。

 真っ白な襦袢を紅く染め、積もったばかりの新雪を紅く染め、胸に大輪の花を抱いた佐保子が、雪原の上に倒れていた。

 少し離れた所で、未だ硝煙を上げるスペンサー銃――佐保子の両親から奪い、おそらく彼らの命もそれで奪ったであろう銃を抱えたまま、震える源三が蹲っていた。

 もはや歩行の機能を永遠に失った右足を引きずりながら、這うようにして佐保子に歩み寄る。もう何も痛みは感じない。

「佐保子……」

 抱き起こし、呼びかけると、佐保子は薄く目を開けて私を見上げた。

 僅かに、微笑んだように見えた。

 もう助からないのは、一目でわかった。

 それでも、私は佐保子の名を呼んだ。

 何度も、何度も、呼び留めておくように、佐保子の名を呼び続けた。

 やがて、佐保子は辛そうに、囁くように何かを呟いた。

 初めて、佐保子の声を聴いた。

「……よ」

 本当に、擦れるような声だった。

 でも、決して聞き逃さない。

「……ぃよぅ」

 耳元に佐保子の唇を近づける。

 大粒の涙をぽろぽろ零しながら、佐保子は囁いた。


 ──さむいよ。


 そして、佐保子は口を閉ざした。

「……」

 動かなくなった佐保子の身体を、強く抱きしめる。

 まだ、温かい佐保子の胸に顔を埋めると、血の匂いと一緒に、母さんの匂いがした。

 佐保子自身も知らないうちに、彼女の身体には、新しい命が芽生えていたのだ。


 未だ震え続ける源三が、初めて口を開いた。

「その娘、この銃を見た途端、あの夜のことを全部思い出したんだ。俺ラ、恐ろしくて、それで――」

「……やはり、あなたが」

 ふらつきながら、立ち上がる。最後の最後に、右足が自分の役割を思い出してくれたのだろう。

「佐保子の両親を殺したんですね? その銃で」

 佐保子と結ばれた夏の夜。まるで遠い昔のことのようだ。

 この村の風習では、祭りの夜、どんなに身分違いの相手でも、お互いに想い合っていれば一夜を交わすことが許される。

 だが、そんな風習を知らない余所者からすれば場合によっては一方的な夜這いとも受け止められる。佐保子の母親は美しい人だったと聞いた。もし強引な手段で事に及んだところに夫が出くわせばどんな惨事になったことか。

 喋り続ける。動脈が破れてしまったらしく、傷口から血が噴出した。

「十数年前に、この山に迷い込んだ遊女を殺したのも、あなたか」

 あの年は、この冬以上に壮絶な飢饉だった。父が手傷を負ったように、皆が殺気立ち、私を含め何人もの子供が山に送られた。

 それでも、もしやという僅かな希望で、獣を捕らえるための罠を張り、吹雪の夜でさえも、猟銃を手に山へ踏み込んだ。

 そこへ、他所から迷い込んだ一人の女。

 姿が消えたところで、誰もいぶかしむ者などいない。

 不思議ではあった。何故、弔われたはずの女の墓を教えてくれなかったのか。

「あなたは、あの人を──」

 源三は泣き叫んだ。

「言わねエでけろ! あの時は本当に苦しかったんだ。何か月も碌に腹に入れてねえ、気が違いそうなくらいひもじかったんだよぅ!」

 銃を放り出し、顔を覆って泣き崩れた。


 その銃を拾い上げ、私は慟哭する源三に向かって銃口を向けた。

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