嘲笑

 楽屋Cの前に立つ3人の男。ガマ警部に木場、それに参考人として連れてこられた小幡だ。ガマ警部はその猛禽類のような目をますます鋭くし、木場は緊張を漲らせ、小幡はおどおどと辺りを見回し、それぞれが犯人かもしれない男との対峙を前に士気を高めていた。


 やがて木場が息をつくと、一同を代表して部屋の扉をノックした。中から西岡の愛想のいい返事が聞こえる。扉を開けて3人が中に入ると、ほくほくとした顔をした西岡が、揉み手をしながら足早にこちらに歩いてくるのが見えた。


「いや、これはどうも刑事さん。私に何か御用命でしょうか? 私に出来ることであれば、何なりと協力させて頂きますよ」


 相手に取り入ろうとするかのような笑顔。だがその笑顔の裏に秘められていたかもしれない殺意を思うと、木場はこの男に得体の知れない怖ろしさを感じた。


「そうか。それは手間が省ける。実はあんたに聞きたいことがあってな。……それも折り入って」ガマ警部が静かに言った。


「はて、いったい何のことでございましょう?」


「実は、この坊主が非常に重要な証言をしてくれてな」ガマ警部が小幡を顎でしゃくった。「何でも、撮影が始まったの13時頃に、楽屋でテレビを見ているの被害者の姿を見たと」


「ほう? どなたですかその青年は?」


「小幡進さん。近所の大学に通う大学生で、麗央奈さんの大ファンだそうです」木場が答えた。「今日は麗央奈さんの撮影を見学するためにスタジオに忍び込んだとか」


「忍び込んだ、ねぇ……。そんな人の証言が当てになるんですか?」


 西岡は鼻で笑いながら、ガマ警部の後ろに隠れるようにしている小幡に一瞥をくれた。小幡が小柄な身体をますます窄める。


「まぁ、確かに信憑性の問題はあるが、ひとまずこいつの証言が正しいものとして話を進めたい」ガマ警部が言った。

「13時まで被害者が生きていたとすると、当然、13時からのアリバイがない者が疑わしくなってくる。だが幸か不幸か、13時から死体が発見された15時まではちょうど撮影時間に当たり、ほとんどの人間が撮影に参加していた。……2名を除いてな」


 西岡の顔に張りついた笑みが強張った。それでも何とかひくついた笑顔を保って西岡は言った。


「……まさか、刑事さんは、この私を疑っていらっしゃるのですか? この私が、10年間大切にお守りしてきた俳優を殺害したと?」


「あんたを疑うのはそれだけが理由じゃない。……おい、木場」


ガマ警部が振り返ると、木場が頷いて一歩前に出て、メモ帳を捲りながら言った。


「ここに来る前、飯島さんの楽屋に行って話を聞いてきました。あなたが被害者の楽屋で聞いたという『ぶっ殺してやる!』という発言……飯島さんはそんなことは言っていないとおっしゃってましたよ」


 今度こそ西岡の顔から笑みが消えた。糸のように細められていた目が開かれ、露わになった冷たい眼差しが木場を捉えた。その変貌ぶりに木場はまたぞくりとする。


「……しかし、あの方が緒方君と口論をしていたのは事実でございましょう? 頭に血が上った時に何かを口走ったかなんて普通はいちいち覚えておりません。言っておきながらただ忘れているだけかもしれませんよ。人間は、自分に都合の悪いことは忘れる生き物でございますからね」


「まぁ、それも一理あるが、いずれにしても、あんたの置かれた状況は極めてまずいものになったと言わざるを得ない」


「そう言われましてもね。私は多忙の身でございまして、呑気に撮影を見物している暇などないんでございますよ。それで疑われましてもねぇ」西岡が肩を竦めた。


「でも、よく考えたらそれも変じゃないですか?」


 木場が口を挟んだ。西岡が刃のような視線を木場に向ける。木場はたじろぎながらも続けた。


「いや、その……緒方はあぁいう性格ですから撮影をほっぽりだすのもわかりますけど、マネージャーのあなたまで立ち会わないのはどうなのかなって。今回はたまたま休憩まで出番がありませんでしたけど、もし途中で緒方の出番が回ってきたらどうするつもりだったんですか?」


「だからその時は、私に声をかけるようスタッフに言いつけておいたと……」


「そこなんですよ。あなたは被害者の出番を知らせるのにわざわざスタッフを使おうとした。でも担当する役者の出演時間を管理するのもあなたの仕事ですよね? それをスタッフに押しつけて、自分は楽屋にこもって事務作業をするなんて不自然な気がするんですか……」


「……何が言いたいんです?」


 西岡が刺すような視線を木場にくれた。木場は大きく息を吐き出して自分を落ち着かせると、表情を引き締め、一気に言った。


「あなたは最初から知ってたんじゃないですか? 被害者の出番が何時になろうが、その後の撮影は中止になることを。スタッフに直接被害者を呼びに行かせるのではなく、先に自分のところに来るように指示したのは、自分が被害者を殺害している場面を見られないようにするためだった。スタッフがあなたを呼びに行った時に楽屋にいなかっただけなら、トイレに行っていたとでも言い訳できますからね。

 そして15時から休憩に入った後、あなたは堂々と被害者を呼びに行き、そこで初めて死体を発見した振りをした……。違いますか!?」


 木場はそう言ってびしりと人差し指を西岡に突きつけた。あぁ、確か『リーガルX』のエツコもこんな風に犯人を追い詰めていたな――。自分が法廷ドラマの主人公になったように思えて木場は気分が高潮してきた。この後、証人席に座った犯人はうなだれ、小刻みに肩を震わせ、『すみません、私がやりました……!』と涙ながらに自白する。だから西岡もきっと――。


「……全く、黙って聞いてれば、戯言を長々と……。そんな子ども騙しの推理で私を追い詰めたつもりですか?」


「え?」


 木場は困惑して西岡の顔を見返した。西岡は腰に片手を当て、傲然と顎を持ち上げ、見下すような視線を木場に向けている。追い詰めていたはずの相手に冷や水を浴びせられ、勢いよく突きつけていた木場の指が力なく下がっていった。


「あなた方はどうあっても私を犯人にしたいようですが……考えてみてもください。もし私が本当に犯人なら、どうしてわざわざ自分が疑われる時間に犯行をする必要があるんです? 人目の多いスタジオ内で、それもドラマの撮影中に殺人を犯すなんて正気の沙汰じゃありません。もし本当に彼を殺すつもりだったのなら、もっと目立たない場所で、それも殺人とはわからない方法でやっていましたよ。何せ私は彼とは10年来の付き合いですからね。彼の行動は手に取るようにわかる。その気になれば、事故に見せかけて彼を殺すくらいのことは朝飯前でしたでしょうよ」


 顔色一つ変えずにそう言ってのける西岡を、木場はぞっとする思いで見つめた。これがこの男の本性なのか。人当たりの良さそうな笑みの裏に隠された残忍な素顔。それだけを見れば、この男が被害者を殺害してもおかしくないように思える。しかし――。


「確かに計画的な犯罪であればそうだろう。だがあんたも人間だ。被害者と口論になり、かっとなって殺害した可能性もあるんじゃないかね? あんたの言う10年来の付き合いの中で、被害者との確執が蓄積されていた可能性は否定出来んだろう」


 ガマ警部が口を挟んだが、西岡はこれも鼻であしらっただけだった。


「確執、ねぇ。まぁ、確かに彼との関係はいつも円滑だったわけではありません。彼は言わば王様でしたから、物事が何でも自分の思い通りにならないと気が済まなかったんです。でも逆に言えば、私は彼がいつでもご機嫌でいられるよう計らってやりさえすればよかった。そうすれば彼は私に金を運んできてくれる。そう考えれば、彼のわがままを許してやるくらい造作もないことです。子どもをあやすようなものですよ。彼は私にとっては言わば金の成る木、そんな男を殺す理由がどこにあります?」


 西岡は平然と言ってのけた。西岡はただ被害者に振り回されていただけではなく、自分に見返りがあったから進んで泥を被っていたということか――。次々と露わになるこの男の本性を前に、人間はこうまでも豹変するものなのかと木場は空恐ろしくなってきた。


「それよりも……私はさっきから奇妙でならないんですよ。刑事さんは、13時からの撮影に参加していなかったのは私と緒方君だけだとおっしゃいましたね。ですが、刑事さんはもう1人の存在を忘れておられるようだ」西岡がねっとりとした声で言った。


「何? 誰のことだ?」ガマ警部が眉根を寄せた。


「決まっているでしょう。あなた方の後ろにいる、その情けない顔をした青年ですよ」


「小幡さん?」


 木場が思わず振り返った。小幡が縮こまってガマ警部の広い背中の後ろに隠れる。


「どうしてあなた方がそのことを指摘なさらないのか、私は不思議で仕方がないんですがね。彼は13時に緒方君の姿を見たと言った。つまり……その時に緒方君を殺害することも出来たわけですよね」


「あ……」


 木場が声を漏らした。確かにその可能性は気づかなかった。


「彼は部外者だ。当然撮影にも参加していない。そもそも、彼が緒方君の楽屋に行ったのは何のためだったんでしょうねぇ?」


「そ、それは……あいつの楽屋から音が聞こえたから、気になって……」小幡が消え入りそうな声で言った。


「本当にそれだけですか? あなたは三木麗央奈の大ファンだ。当然、緒方君が過去に彼女と交際していたことも知っていたんでしょう。彼女を手酷く振った男を前にして、殺意が湧いたとしても不思議じゃないと思いますがねぇ」


「ち、違います! 僕はそんな、殺人なんて……!」


 小幡がガマ警部の背中から飛び出してきたかと思うと、ぶんぶんと身体の前で両手を振った。


「それにね、刑事さん。私は見たんですよ。13時頃、彼が緒方君の楽屋の方から血相を変えて走ってくるところを……」西岡が耳打ちするように言った。


「何? あんた、さっきはそんなこと一言も言っとらんかったじゃないか」ガマ警部が西岡に詰め寄った。


「たまたま忘れていたんですよ。緒方君の楽屋の方には倉庫がありましたから、スタッフの誰かが小道具でも取りに来たのかと思って気に留めていなかったんです。でも今はっきり思い出しましたよ。その緑のTシャツにジーンズ……間違いなくあなたでしたよ」


 西岡が意地の悪い笑みを浮かべて言った。小幡は怯えきった表情で視線を右往左往させている。


「私は自分の楽屋の前から彼の姿を目撃しました。彼は私がいたのとは反対側、すなわち東側の出入り口の方に走って行きましたよ。大方そのまま逃げ帰ったんじゃないでしょうか? 自分がしでかしたことの恐ろしさに耐えきれずにね……」


「で、でも、小幡さんは15時まで撮影を見学してたって……」木場がうろたえながら言った。


「それを裏づける証拠があるんですか?」


「それは……」


「カメラだな」


 ガマ警部が口を挟んだ。途端に小幡がびくりと肩を上げる。ガマ警部は小幡の方に向き直ると、彼が首からぶら下げているカメラをむんずと掴んだ。


「あんたはこのカメラを持ってスタジオに侵入した。当然、あの女優の写真を撮っていたはずだ。その時刻を調べれば、あんたがいつまでこのスタジオにいたかがはっきりする」


「そ、そんな……。止めてください!」小幡が悲痛な声を上げた。「レオーナの写真を人に見られるなんて……! これは僕だけの宝物なんです!」


「そんなこと抜かしてる場合か! 事は殺人事件なんだぞ!」


 ガマ警部が怒鳴り、その迫力に小幡は竦み上がった。しばらくうなだれた後、観念したようにカメラを首から外すと、自らの魂を売り渡すような顔をしてガマ警部に差し出した。

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