進展

「警部殿! こちらにいらっしゃいましたか!」


 感動の場面をぶち破る大声が聞こえたのはその時だった。全員で振り返ると、ドアの前に立つ麗央奈の背後から渕川が現れた。背筋をまっすぐに伸ばしてびしりと敬礼をする。


「実はご報告を差し上げたいことが……。ってあれ? どうかなさいましたか?」


 渕川がようやく場の空気に気づいたのか、麗央奈と小幡の間で視線を左右させた。


「いや、構わん。ちょっとしたお涙頂戴物が上演されていただけだ」ガマ警部が何でもないように言った。「それで? 報告したいことと言うのは何だ?」


「はっ! 実は行方不明になっていた凶器なのですが、先ほどようやく発見されました!」


「何!?」ガマ警部が目を剥いた。


「ど……どこに合ったんですかその凶器は!?」木場も身を乗り出して尋ねた。


「はっ! このビルの裏手に廃材置き場があるのですが、そこの焼却炉で発見されました!」


「それで、その凶器というのは何だ?」


「はっ! こちらのスカーフであります!」


 渕川がそう言って1枚の写真を取り出した。半分黒焦げになってしまっているが、それはどうやらスカーフのようだった。赤と黒のペイズリー柄のスカーフ。


「このスカーフはシルク素材のかなり上等なものです。特に目立った汚れもない。そんなものが燃やされているのは不自然だと思い、繊維を被害者の傷跡に残ったものと照合させたのです。そうすると見事に一致しました!」


「そうか、でかしたぞ渕川!」


「はっ!光栄であります!」


 ガマ警部に褒められ、渕川が鼻の穴を膨らませて敬礼をした。ようやくのお手柄。これで彼にも昇進への道が開かれるだろうか。


「でも、何で燃え残ったんでしょうね? 布なんかすぐに燃えちゃいそうですけど」木場が不思議そうに尋ねた。


「シルクは布の中でも燃えにくい素材だ。犯人はそれを知らず、スカーフが燃え尽きるのを見ることなく立ち去ったんだろう。木場、お前も刑事ならそれくらいの知識は身につけておけ」


 ガマ警部がじろりと木場を見やった。木場は叱られた子どものように肩を竦めた。


「え、えーと……このスカーフは被害者のものなんですか?」木場が挽回しようと尋ねた。


「いえ、それが……。マネージャーに確認しましたところ、被害者がこんなスカーフを巻いているのを見たことがないと言うのです」


「え、じゃあ誰のものなんですか?」


「わかりません。現在、鑑識に指紋を調べさせているところです」


「そうか、だが凶器が見つかったことは大きい。このスカーフが被害者のものでないとしたら、犯人が楽屋の外からこいつを持ち込んだことになる。だがこのスカーフ、どこかで見たことがあるような……」


 ガマ警部はそこで不意に何かを思いついた顔になると、写真から視線を外してある人物のほうをまじまじと見つめた。――より正確に言えば、その人物の首に巻かれたスカーフを。


「この写真のスカーフ……あんたが今巻いているものと同じもののようだが?」


 ガマ警部はそう言ってその人物に鋭い視線を寄越した。視線の先の人物ははっとして首元を手で覆う。だがその時にはもう、部屋にいた全員がそのスカーフ――赤と黒のペイズリー柄のスカーフを目撃してしまっていた。


「そ、そんな……! じゃあ麗央奈さんが!?」木場が信じられないように叫んだ。


「違います! あたしじゃありません! あたしは……あたしはあの人を殺してなどいません!」


 麗央奈が悲痛な声を上げて首を横に振った。元々白い顔がさらに蒼白になっている。


「だが見たところ、凶器はあんたが今巻いているものと瓜2つのようだ。これはあんたのものじゃないのかね?」


 ガマ警部に詰め寄られ、麗央奈はルージュを塗った唇をきゅっと引き結んだ。そのまま床に視線を落とす。


「……確かにそれはあたしのものですわ。でも殺したのはあたしじゃありません」麗央奈が渋々認めた。


「なら、これが凶器として使われたことをどう説明する?」


「それは……盗まれたんですわ。ちょうど昼休憩の時です。あたしが留守にしている間にスカーフがなくなっていて……。だから別のスカーフに付け替えたんです」


「ほう、そんなに都合よく替えのスカーフを用意していたのか?」


「あたしは小物にはこだわりがあるんです。万が一染みや汚れがついた場合に、汚れたものをそのまま身につけていたら女が台無しでしょう? だからいつも替えを持ち歩くようにしているんです」


「ふん、今となっては何とでも言えるな。だがあんたの持ち物が凶器として使われたことは見逃せん事実だ」


「で、でもガマさん! 緒方は13時までは生きていたんですよ!? 緒方が楽屋でテレビを見てたところを小幡さんが見てるんです! 13時から撮影に参加していた麗央奈さんに犯行は不可能です!」木場が必死になって麗央奈を庇った。


「あぁ……そう言えばそうだったな」


 ガマ警部が不服そうに唸り声を上げた。危ない危ない、またしても麗央奈に疑いの目が向くところだった。彼女から疑いを晴らせたことで木場は安堵の息をついた。


○凶器

 麗央奈のスカーフ。昼休憩の間に何者かに盗まれた。犯行後、ビルの裏手にある焼却炉で燃え残りが発見された。指紋を鑑定中。


「犯人は麗央奈さんの楽屋からこのスカーフを盗み出し、これを使って緒方を絞殺したってことですね。麗央奈さん、楽屋に鍵はかけていなかったんですか?」木場が尋ねた。


「ええ、留守にしていたといってもほんの数分のことですから……。いちいち鍵をかけようとまでは思いませんでした」


「それならせめてマネージャーを残しておくべきだったんじゃないか? あんたは有名な女優なんだろう。行き過ぎたファンが楽屋に忍び込み、あんたの物を盗み出す可能性だってある。不用心だとは思わなかったのか?」


 ガマ警部が言い、ちらりと小幡の方を見やった。彼ならやりかねないと考えているようだ。


「あたしのファンにはそんな野卑な真似をする方はいません。それに、あたしにはマネージャーがおりませんのよ」


「え、そうなんですか? 麗央奈さんくらい有名や人なら、当然マネージャーが付いてるものと思ってましたけど」木場が意外そうに言った。


「通常はそうかもしれませんね。でもあたし、人にスケジュールを管理されるのが好きじゃありませんのよ。自分のことくらい自分で管理したいんです」


「はぁ、そういうものですか……」


「では、入ろうと思えば誰でもあんたの楽屋に入ることは出来たということか?」ガマ警部が尋ねた。


「そうですわね。あたしの部屋は廊下の端、スタジオの出入口近くにありましたから、人目につかずに忍び込むことは簡単だったんじゃないかしら」


 ガマ警部が再び唸った。麗央奈の部屋に侵入するチャンスは誰にでもあった。つまり、誰でも凶器を盗み出すことは出来たというわけだ。


 木場は頭を抱えた。凶器が発見されたはいいものの、今の状況では犯人を絞り込むことは出来そうにない。西岡か、小幡か。あるいは外部の人間がスタジオに侵入した可能性だって否定できない。事実、小幡はトイレの窓から侵入を果たしたのだ。ここに来て捜査はいよいよ行き詰まってきた。何かないのか、犯人を特定できる決定的な証拠は――。


 その時、沈黙の漂う部屋の中に、その場の空気にふさわしくないポップなメロディーが流れ始めた。テレビや店でもよく聞く明るい調子の曲。確か最近デビューしたアイドルの曲だったような気がする。その場にいた全員が奇妙な顔をして発信源を探し始めた。


「あ、すみません! 私の携帯です!マナーモードにするのを忘れていまして……!」


 渕川が言い訳がましく言うと、あたふたとジャケットのポケットを弄った。そのまま携帯を耳に当てて楽屋から離れていく。なるほど、渕川にはそういう趣味があったのか。木場が横に視線をやると、ガマ警部が額を押さえてため息をついているのが見えた。これでまた昇進の道が遠のいたかもしれない。


「は、はい。私です。あぁ、先ほどのアレの件ですね。それではい、指紋が検出されたと……。して、その指紋は……え、えぇ!? 本当ですか!?」


 廊下の向こうで渕川が素っ頓狂な声を上げ、その場にいた全員が驚いて彼の方を見た。渕川は通話を終えると、首を捻りながら木場達のところへ戻ってきた。


「どうした、渕川? 何かわかったのか?」ガマ警部が一同を代表して尋ねた。


「は、はい……。実は先ほどのスカーフの鑑定結果が出たようでして」渕川がしきりに黒縁眼鏡のフレームをいじりながら答えた。


「ほう? 確か指紋が検出されたと言っていたな。誰の指紋だ?」


「はい……。指紋は3種類ありました。1つ目は被害者のもの。これはおそらく、首を絞められた際にスカーフを掴んで付いたものでしょう。2つ目が三木麗央奈のもの。これはスカーフの持ち主ですから当然ですね。そして、問題の3つ目なのでありますが……」渕川が何故かそこで言い淀んだ。


「勿体ぶらずにさっさと言え。関係者の指紋だったのか?」ガマ警部が苛立ったように言った。


「は、はい……。この指紋の持ち主は……」


 渕川はまだ困惑した表情を浮かべながら、部屋のある一点をすっと指し示した。彼の指先にいる1人の人物。恐怖に引きつったその童顔は――。


「小幡進……。そこにいる大学生のものです」






 渕川がその名前を口にした瞬間、木場は何かに思いっきり体当たりを食らってその場に倒れ込んだ。痛みに顔をしかめ、それでも顔を上げて前方を見ると、小幡が転げるようにして廊下を駆け抜けていくのが見えた。


「奴を捕まえろ!」


 ガマ警部の一言で、渕川が弾かれたように小幡の後を追った。周辺の部屋からも騒ぎを聞きつけた警官がどやどやと出てくる。木場も慌てて身体を起こすと彼らの後を追った。


 小幡の逃げ足はかなり早かったが、それでもエレベーターに着くまでに警官達に挟み撃ちにされ、あえなく身柄を確保された。小幡は何とか警官達の手から逃れようともがいていたが、すぐに太刀打ち出来ないと悟ったのか、観念したようにだらりと手を下ろした。そこにガマ警部がずんずんと歩いていく。


「小幡進……どうやらあんたには、署で詳しい話を聞かせてもらう必要があるようだな。緒方勇吾殺害の重要参考人としてな……」


 ガマ警部が凄みを聞かせて小幡を睨みつけた。小幡は敵将の前に差し出された捕虜のようにうなだれている。彼を取り囲んだ警官達の後方で、木場は呆然としてその様子を見つめていた。


 小幡はそのまま警官達に連行され、エレベーターに乗せられようとした。その時、木場の後ろからカツカツというヒールの音が聞こえてきた。振り返ると、麗央奈が血相を変えてこちらに走ってくるのが見えた。


「待ってください!」


 麗央奈の声に、警官達がエレベーターに乗り込もうとするのを止めて一斉に振り返った。小幡も顔を上げて彼女の方を見た。その目からは、さっき麗央奈と言葉を交わした時の輝きはすでに失われている。


「あなた、どうして……?」


 麗央奈が声を震わせながら尋ねた。警官に取り囲まれた小幡を痛ましそうに見つめている。

 小幡は生気のない目で彼女を見つめていたが、やがて力のない笑みを浮かべると、静かに言った。


「あなたのためですよ……レオーナ。僕はあなたのためなら何だってする。そのために……僕は今日まで生きてきたんですから」


 麗央奈がはっと息を呑むのが聞こえた。小幡は永遠の別離をするかのように麗央奈をじっと見つめていたが、やがてそっと視線を外した。それが合図となったかのように警官達は小幡をエレベーターの中へと連れ込み、そのまま扉が閉まって小幡の姿は見えなくなった。

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