怯えた侵入者
大学生の取り調べは、スタジオ南側にある空いた楽屋で行うことになった。部屋に入ると、北側の楽屋の半分程度の広さしかない部屋の中で、不安げな眼差しできょろきょろと辺りを見回す、見るからに挙動不審な青年の姿が目に入った。大学生ということは20歳前後なのだろうが、整髪料を使わないぺたりとした黒髪や童顔からして、年齢よりもずっと幼く見えた。体格は小柄でひょろっこく、怯えきった顔でこちらの様子を窺う姿は、サバンナで敵から身を隠そうとする小動物のようだ。服装は緑のTシャツにストレートのジーンズ、首からぶら下げた一眼レフカメラをお守りのように両手で抱えている。不健康そうな色白の肌は根っからのインドア派であることを窺わせた。渕川によれば、名前は
「あ、どうも初めまして。自分は警視庁捜査一課の木場と言います。こちらは上司の……」
「ごめんなさい! 許してください!」
小幡はいきなり叫ぶと勢いよく頭を下げた。木場もさすがに面食らう。
「僕、ほんの軽い気持ちでスタジオに入っただけなんです。レオーナに会えるって思ったら、じっとしていられなくなっちゃって……。でも本当にそれだけなんです。まさか殺人事件が起きるなんて……!」
小幡はガタガタ身体を震わせ始めた。ちなみに、レオーナというのはファンの間での麗央奈の愛称だ。
「おいあんた、少しは落ち着け。俺達は何もあんたを留置場にぶち込もうとしてるわけじゃない。ただ話を聞かせてもらいたいだけだ。だからそんなに怯えんでもいい」
ガマ警部が言ったが、その猛禽類のような目に射竦められては説得力はなかったようだ。小幡はいっそう縮み上がり、助けを求めるように木場の方を見た。
「西岡さん、大丈夫ですよ。ガマさんは確かに見た目通りの鬼刑事ですし、自分もしょっちゅう怒られてますけど、やってもいない罪で逮捕することはありませんから安心してください」
木場が笑みを浮かべて言ったが、フォローになっていない発言に小幡はますます萎縮しただけだった。
「えーと、困ったな……。あ、そうだ! 確かあなたは麗央奈さんの大ファンということでしたよね。実は自分、さっき麗央奈さんにお話を聞いてきたところでして……」
「え、レオーナに会ったんですか!?」小幡の表情が急にぱっと明るくなった。
「はい! いやーやっぱり生は違いますね! 34歳とは思えないあの肌の艶! しかも自分、最後には手まで握ってもらっちゃって」
「えーいいな! もしかして刑事さんもレオーナのファンなんですか?」
「そうなんですよ! まぁ、ファンになったのは2年前くらいからなんですけどね。小幡さんはいつからなんですか?」
「僕はデビュー当時からですよ! レオーナが出る舞台は全て観に行って、ドラマに出るようになってからは収録現場にも行って! レオーナの姿をこのカメラに収めてましたよ!」小幡は誇らしげに首から下げたカメラを見下ろした。
「へぇ、それはすごいですね! お気に入りの作品とかありますか? 自分の一推しは『リーガルX』と『ドクターV』で……」
ファン同士のトークに火がつきかけた時、木場の後ろから大きな咳払いが聞こえた。木場がはっとして恐々振り返ると、ガマ警部が無言で睨みを聞かせているのが見えた。ヤクザの親玉として『アウトサイド』に出演していても違和感がないほどの凄みだ。
「す、すみません……つい。小幡さん、麗央奈さんについて語り合いたいのは山々なんですが、今は事件についてお話を聞かせてもらえますか?」木場が気を取り直して尋ねた。
「わ、わかりました……。何から話せばいいでしょうか?」
小幡が怯えた表情に戻りながらも答えた。ファントークを交わしたことで警戒心が解かれたようだ。
「じゃあ、今日1日の行動を聞かせてください。スタジオに来たのは何時頃ですか?」
「11時くらいです。本当はもっと早く来たかったんですけど、大学の講義が重なっちゃって、どうしても抜けられなかったんです。講義が終わったら即スタジオに来ました。スタジオに入ったらまっすぐ撮影現場に向かって、セットの陰からこっそり見学してました」
「だが入口には警備員がいたはずだ。よく咎められずに中に入れたな?」ガマ警部が口を挟んだ。
「このスタジオ、1階の男子トイレの窓の鍵が壊れてるんです。僕、身体が小さいからそこを通り抜けることが出来て、今までも何度かそこから入ったことがあるんです」
小幡があっさりと答えた。ガマ警部が苦虫を噛み潰したような顔になった。後で警備会社が大目玉を喰らうことは間違いないだろう。
「でも昼休憩の時は? 人の出入りがあったはずですけど、見つからなかったんですか?」木場が尋ねた。
「はい、廊下の奥まったところに倉庫があったので、ずっとそこに隠れてました」
「倉庫と言うと……被害者の楽屋の隣の部屋ですね。そこで何か見たり聞いたりしませんでしたか?」
「そう言えば……倉庫に隠れてすぐ、隣の部屋から喧嘩みたいな声が聞こえてきました。何を言ってるかまでは聞き取れませんでしたけど、かなり激しく言い争ってたみたいです」
小幡が言っているのは、おそらく飯島と緒方の口論のことだろう。時間も一致する。
「他に何か気づいたことはありませんか? どんなに些細なことでもいいんです」
木場が尋ねた。小幡は腕組みをすると、難しい顔をして頭を巡らせ始めた。
「……昼休憩の間は、他には何もなかったと思います。僕も楽屋の扉を見張ってたわけじゃないから、はっきりとは言えませんけど」
「そうですか……。じゃあ、午後からの撮影が始まってからは?」
「もちろん撮影を見学してましたよ! 生のレオーナを間近で見れて幸せだったなぁ」小幡がうっとりして言った。
「その後はどうしました?」
「15時になって休憩に入ったので、僕もそこで帰ることにしました。本当はもうちょっと見学したかったんですけど、あんまり長くいると勝手に入ったことがバレちゃうかもしれませんからね。でもビルを出て10分くらい歩いたところで、ポケットに入れてた学生証がないことに気づいてたんです。スタジオの中に落としたのかと思って慌てて引き返して、中で探してたら警備員さんに捕まっちゃって……」小幡が肩を窄め、小柄な身体がますます小さくなった。
「じゃああんたは、たまたま事件が起こった時刻に現場に居合わせただけで、事件とは何の関係もないというのか?」ガマ警部が疑わしげに尋ねた。
「そりゃそうですよ! 僕はただレオーナに会いに来ただけなんです」
「ちなみ、小幡さんは緒方のことは知っていたんですか?」木場が尋ねた。
「まぁ、名前くらいは知ってましたよ。散々テレビに出てましたからね。でもそれだけです。僕が興味があるのはレオーナのことだけですから」小幡がきっぱりと言った。
「でも、緒方は昔麗央奈さんと付き合ってたんですよね? しかも麗央奈さんは一方的に振られている。ファンのあなたにとっては許せないことだったんじゃないんですか?」
「そりゃ、当時は緒方の事務所に殴り込んでやろうかとも思いましたけど、もう6年も前のことですよ? 今さらどうだっていいです」
小幡が頬を膨らませて言った。そうしているとハムスターそっくりだ。
○小幡進 当日の行動
11時 スタジオに侵入し、撮影を見学する。
12時 倉庫に隠れる。被害者と誰かが口論する声を聞く。
13時 撮影の見学に戻る。
15時過ぎ スタジオを出ようとしたところを警備員に捕まる。
「でも困りましたね。小幡さんも何も見ていないとなると、緒方の死亡推定時刻がわからない。これじゃ容疑者が絞れませんよ」
「そうだな……。三木か飯島が疑わしいことには変わりないが、あの2人のどちらかが犯人だという決定的な証拠はない。被害者が最後に姿を見られたのは、飯島が12時に部屋を訪れた時だ。それから15時までの間、被害者は1人で楽屋にいた。奴を殺害するチャンスは他の人間にもあったはずだ。飯島以外にも被害者の姿を見た奴がいればいいんだが……」
声を潜めて話し合う2人を小幡は不安げに見つめていたが、やがて遠慮がちに口を挟んだ。
「あの……すみません。実は僕、見たんです。あいつが楽屋でテレビを見てるところ……」
「何!?」
ガマ警部が勢いよく振り返った。その鬼のような形相を前に、小幡はびくりと肩を上げて泣きそうな顔になる。
「お前、さっきはそんなこと一言も言っとらんかったじゃないか。え? 何故黙っていた!?」ガマ警部がつかつかと小幡に詰め寄った。
「す、すみません! 大事なことだと思わなかったもので……」
小幡がぶるぶる震えながら答えた。まるでカツアゲに遭った中学生みたいだ。
「まぁまぁガマさん、いいじゃないですか。それで? 小幡さん、緒方の姿を見たのは何時頃だったんですか?」木場が警部を窘めながら尋ねた。
「……確か、13時頃だったと思います。辺りが静かになって、そろそろ撮影が始まる時間だと思って倉庫から出たら、隣の部屋から大きな声が聞こえてきたんです」
「隣の部屋というのは、被害者の楽屋ですね?」
「はい。僕、てっきりあいつも撮影に行ってると思ったから、何だろうと思って、こっそりあいつの楽屋のドアを開けて覗いてみたんです。そしたら、あいつがソファーに座って、大音量でテレビを見てるのが見えました」
「それは確かか?」ガマ警部が鋭く尋ねた。
「は、はい……。背中を向けてたから顔はわかりませんでしたけど、背が高かったし、本人だったことは間違いないと思います」小幡がおどおどと答えた。
「13時と言うと、ちょうど撮影が再開された時間ですよね。その時間まで緒方が生きてたってことは……」
「被害者が殺害されたのはそれ以降、つまり13時過ぎから15時までの間ということになる。だがそうなると、自ずと容疑者は絞られてくる……」
ガマ警部は顎に手を当て、難しい顔をして考え始めた。木場もメモを捲りながら必死に頭を絞らせ始めた。
「渕川さんの話では、役者、スタッフ、マネージャーはみんな午後からの撮影に参加していた。その後15時まで休憩はなかった。つまり、撮影に参加していた人には緒方を殺害するチャンスはなかったということになります。となると……麗央奈さんにも飯島さんにも、緒方を殺害することは不可能です!」
木場が叫んだ。有力な容疑者2人の消滅。ここに来て捜査は思いがけない展開を見せ始めた。
「でも、そうなると誰が犯人なんでしょう? 緒方以外に撮影に参加してなかった人間なんていましたっけ?」木場が困惑して尋ねた。
「いや……よく思い出せ。1人だけいるだろうが」
ガマ警部に言われ、木場は再びあたふたと手帳を捲ったが、そこである記述に目が止まった。その発言を聞いた時のことを思い出す。
『13時から撮影が再開しましたが、緒方君が出ない撮影に立ち会っても仕方がありませんからね。この楽屋に戻って、溜まっていた事務作業をすることにしたんです』
揉み手をし、柔和な笑みを浮かべながらそう話していた男。その顔を思いだした瞬間、木場は背筋にぞっとしたものが走るのを感じた。
「まさか……西岡さんが? あんな人畜無害そうな人が?」
「いや、奴にはどうにも底の知れないところがある。如才なく振る舞ってはいたが、何せ被害者とは10年もの付き合いだ。俺達の知らん確執があったとしても不思議じゃない」
「それは……そうですけど」
「それに、奴が聞いたという被害者と飯島との間の口論の内容も怪しいものだ。奴は飯島の『ぶっ殺してやる!』という言葉を聞いたと言ったが、それが飯島に疑いを向けさせるための嘘だったとしたら?」
「そんな、まさか……」
緒方に心酔しきっているような言動を繰り返していた西岡。自分に夢を見せてくれた緒方に感謝していると言った西岡。あれが全て演技だったというのか。10年にわたる付き合いの中で増幅された狂気を内に秘め、人の良さそうなマネージャーの皮を被っていたのか――。
「いずれにしても、奴からは詳しく話を効かねばならんだろう」ガマ警部が渋面をますます険しくした。「あのえびす顔の裏にどんな本性を隠しているのか……すぐに化けの皮を剥がしてやる」
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