信奉者

 2人が次に向かったのは楽屋Cだ。ネームプレートに名前はないが、渕川からもらった見取り図によればここに緒方のマネージャー、西岡がいるはずだ。

 木場が扉をノックすると、愛想のいい男の返事が聞こえた。扉を開けると、パイプ椅子に座っていた男がぱっと立ち上がってこちらに近づいてくるのが見えた。年齢は40代半ばくらいだろうか。ぱりっとしたベージュのジャケットの下に糊のきいた白いシャツを着込み、黒のズボンにはぴんとと折り目が付いている。革靴は今初めて履いたかのようにぴかぴかで、黒々とした頭髪はきちんと櫛で撫でつけられている。目は人当たりの良さを示すように細められ、口元にはにこやかな笑みを浮かべている。腰を屈め、しきりに揉み手をする様は主人の顔色を窺う召使いのようだ。


「どうもどうも、警察の方でいらっしゃいますね? 私、緒方のマネージャーをしておりました西岡泰彦にしおかやすひこと申します。いやはや、この度はうちの緒方のことで大変ご苦労をおかけ致しまして、申し訳ございません」

 

 こちらの自己紹介もしないうちから西岡はべらべらと喋り出した。木場は面食らいながら答えた。


「いえ、それは構いませんけど……あの、確かあなたが死体を発見したんですよね?」


「ええ、左様でございますよ。私もこの仕事は長いものでして、芸能界のありとあらゆる出来事を見てきましたから、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなりましたが、まさか死体の発見者になるとは! あの時はさすがの私も肝を潰すかと思いましたよ」


「……その割には随分と元気そうだな。普通、死体を発見すればもっとショックを受けるものだと思うが? まして死んだのが自分の担当していた役者となれば尚更だ」ガマ警部が胡散臭さそうに西岡を見た。


「ええ、もちろん緒方君の死には心を痛めておりますよ。ですが起こったことをいつまでも嘆いても仕方がないじゃございませんか。ですから私は、事件解決のためにご尽力しようと自分を奮い立たせているわけでして」


 西岡はそう言って胸に手を当てると、沈痛な表情を浮かべてみせたが、芝居がかった言動はかえって胡散臭さを強めただけだった。


「ふん……まぁいい。では、今日1日のあんたの行動について聞かせてもらおうか」


「ええ、仰せのままに。緒方君と一緒に劇場に入ったのが8時20分頃、その後撮影が始まるまでは、彼の身の周りの細々としたお世話をしておりました。9時から撮影が始まりましたので私も立ち会っていました。いや、身内の贔屓目と言われればそれまでですが、彼はやはり天才ですね! あの圧倒的な演技力! 彼を前にしては、他の役者の方々はもはやエキストラにしか見えないほど……」


「感想はいい。1日の行動だけを手短に離せ」


 ガマ警部がぴしゃりと言った。西岡は気を悪くしたように顔をしかめたが、すぐに気を取り直して続けた。


「……緒方君の出番は11時頃に終わりましたので、私も一緒に楽屋に引き上げました。私は彼に何か飲み物でも買ってこようとしたのですが、彼、次の出番が来るまで1人になりたいと言い出しましてね。私に楽屋に立ち入ることを禁じたんですよ。いや、私も多少がっかりしましたがね。でも彼がそれを望むのなら仕方がありません。たまたまこの楽屋が空いていたので、昼食にはここを使わせてもらうことにしました。その後、休憩に入ってからは関係者の方に挨拶をして回っていました。緒方君の邪魔をしてはいけないと思ったものですから、彼の楽屋には一度も行っていません」


「なるほど、その後の行動は?」


「13時から撮影が再開しましたが、緒方君が出ない撮影に立ち会っても仕方がありませんからね。この楽屋に戻って、溜まっていた事務作業をすることにしたんです。緒方君の出番が来たら、私に声をかけるようスタッフに頼んでね。ただ時間が押していたようで、結局休憩に入るまで緒方君の出番はありませんでした。それで15時頃に休憩が入って、ようやく緒方君の出番が来たというので彼を呼びに行ったら……」西岡の顔が見る見る青ざめていった。


「……死体を発見したというわけか。死体に何か変わった点はなかったか?」


「……わかりません。あまりに恐ろしくて、ほとんど直視出来ませんでしたから」


「そうか。警察への通報はあんたが?」


「いえ……。私が悲鳴を上げて楽屋から飛び出してきたのを見てスタッフが駆けつけてきまして、その中の誰かが通報してくれたようです。私がいない間に彼があんなことになってしまうなんて……。こんなことなら、彼に罵られてでも一緒に楽屋にいればよかった」


 西岡は肩を落として大きくため息をついた。それが心からのものなのかそれとも演技なのか、今ひとつ判断のつきにくい男だ。


「じゃあ、今度は被害者との関係についてお聞きしますね。西岡さんが緒方さんのマネージャーになったのはいつからなんですか?」木場がガマ警部に代わって尋ねた。


「彼と知り合ったのは……もう10年ほど前になります。私、元々はしがないサラリーマンだったんですが、転職を考えていたところ知り合いにこの仕事を紹介されましてね。まさか私のような者が受かるわけもないと思いながらもダメ元で受けてみましたところ、何と採用されてしまいましてね。しかも担当するのがあの緒方勇吾だというじゃありませんか。まぁ、当時の彼は今ほど有名じゃありませんでしたが、それでも私は嬉しかったですよ。私のようなちっぽけな人間が、華やかな世界で有名人を間近に見ながら仕事が出来るなんて、あの時はまさに天にも登る心地でしたね」西岡が夢見るように言った。


「10年とはなかなか長いな。だが被害者は、なかなか手のかかる男だったようだが?」


 ガマ警部が尋ねた。緒方の女性関係のことを言っているのだろう。西岡の顔がぴくりと動いたが、すぐに目を細めて表情を取り繕った。


「……まぁ、確かに緒方君は手のかかるタイプではありました。彼は仕事熱心なあまり、頼まれた仕事を全部引き受けてしまうところがあったんです。ダブルブッキングどころか、トリプルブッキングくらいは日常茶飯事でしてね。おかげで私は毎日頭を下げて回っていました。あぁでも、それが私の仕事なわけですから、苦痛に思ったことは一度もありませんよ」


 西岡は弁解するように言ったが、笑顔が若干引き攣っているところを見ると、彼が緒方に相当振り回されていたことは間違いないようだ。


「そう言えば、例の宮川とかいう女優とのスキャンダル、あれもあんたが対応したのか?」ガマ警部が尋ねた。


「あぁ、5年前のアレですか。全く、あの女優も迷惑なことをしてくれました。せっかく俳優として脂が乗っているところにスキャンダルなんて、マネージャーとしては何としてでも避けなければなりません。あの時はなかなか大変でしたよ。原稿を考え、想定問答を考え、表情からお辞儀の確度までチェックしてボロが出ないようにして……。何とか無事にすり抜けられた時は生き返った心地がしましたね」


 西岡が心から安堵したように言った。飯島がこの発言を聞いていたら、睨みを効かすだけでは済まなかっただろう。


「でも、そんなに苦労されてたのによく10年も続けられましたね。自分なら3日で逃げ出しちゃいそうですけど」木場が言った。


「まぁ、確かに彼には少し傍若無人なところはありましたが、その分いい仕事をしてくれたことも事実です。彼は何と言ってもスターですからね。彼と一緒に仕事をする中で、私はたくさん夢を見させてもらってきた。自分1人では決して経験出来なかった世界です。私はそんな世界を見せてくれた彼に感謝しているんです。そう考えたら、彼のために泥を被るくらいどうってことありません」


 西岡は胸を張って言った。緒方のカリスマ性に心酔しきっている顔だ。




○西岡泰彦 当日の行動

8時20分 被害者と劇場に入る。

9時     撮影に立ち会う。

11時~13時 被害者の楽屋を追い出され、楽屋Cへ。昼食後に挨拶回り。

13時~15時 楽屋Cで事務作業。

15時     被害者を楽屋に呼びに行き、死体を発見する。


○被害者との関係

 10年前からマネージャーを勤めている。被害者の自分勝手な言動に振り回されていたが、恨んではおらずむしろ感謝している。




「そう言えば、被害者の楽屋にあったカメラが紛失したって話を飯島さんから聞いたんですけど、今も見つかっていないんですか?」木場が切り出した。


「あぁ……それがお恥ずかしい話ですが、ここにありましたよ」


 西岡はそう言うと、鞄を探って2台のビデオカメラを取り出した。ボディは白と黒、いずれもハンディサイズだ。


「私、彼が楽屋に戻った時にカメラを2台とも貸していたんですが、事件が起こったことで動転して、返してもらったことをすっかり忘れていたんです。それでてっきり緒方君の部屋から盗まれたんじゃないかと思って、慌てて探して。大変ご迷惑をおかけしました」西岡がしおらしく頭を下げた。


「このカメラには何が映っているんですか?」


「白い方は午前中の収録を私が撮影したものです。黒い方が、緒方君が楽屋で自分の演技を撮影したものですね」


「そうなんですか。でも、何でわざわざ2台も用意を?」


「彼は勉強熱心でしてね。収録中の映像を見て自分の演技を見直しては、その様子をまた別の1台でまた撮影しているんです。ほら、いちいち再生モードから撮影モードに切り替えるのも面倒ですから」


「何ですかそれ、ただのわがままじゃないですか。マネージャーってただでさえもいろいろ用意しなきゃいけないのに」木場が呆れて眉を下げた。


「いえいえ、私は彼のために尽くす身ですから。荷物がちょっと重くなるくらいどうってことはありません」西岡があくまで朗らかに言った。


「それで、被害者がカメラを返しに来たのは何時頃のことだ?」ガマ警部が割り込んだ。


「昼休憩が終わる直前でしたから、確か12時50分頃だったと思います。私がトイレから戻ってきたら、楽屋Cのドアの下にカメラが2台とも置いてあったんですよ。私、部屋を出る時は少しの時間でも鍵をかけるようにしていますから、緒方君がカメラを返しに来たものの私が不在にしていたので、ドアの前に置いていったんだろうと思いました」


「じゃあ、被害者はその時間まで生きてたってことでしょうか?」木場がガマ警部に尋ねた。


「いや、西岡も被害者の姿を直接見たわけじゃない。断定はできんな」


「そうですか。うーん、なかなか死亡推定時刻が絞り込めませんね」木場がボールペンでこめかみを掻いた。


「被害者は昼休憩の間、そのカメラを使って自分の演技の様子を撮影していたと飯島が言っていた。犯人の手がかりが何か映っているかもしれん。映像を見せてもらうことは出来るか?」ガマ警部が尋ねた。


「ええ、もちろん。何ならもう1台のカメラの映像もご覧になりますか? 緒方勇吾の圧巻の演技が詰まっておりますから、ぜひご一緒にお楽しみ頂ければと」


「いや、俺達はそこまでは……」


「え、自分、収録を撮った方の映像も見てみたいです!」木場がぱっと顔を明るくして叫んだ。


「どうぞどうぞ。せっかくならテレビでご覧になったらいかがですか?緒方君の楽屋にテレビがあったと思いますから、彼になった気持ちでご堪能ください」


「いや、殺人現場でそんなものを見ても……」


「いいじゃないですかガマさん。ドラマの収録映像を見られるなんて滅多にあることじゃありませんよ!」


「……木場、何度も言うようだが、俺達は遊びに来ているわけじゃ……」


「わかってます。昼休憩の間、緒方の楽屋で変わったことがなかったかを探すんですよね!」

 木場が元気よく言った。本当にわかっているのか怪しいものだー、ガマ警部の眉間に浮き出た皺がますます深くなっていった。




〇西岡のカメラ

 西岡が午前中の収録風景を撮影したものと、緒方が楽屋で撮影したものの2台がある。11時から2台とも緒方に貸し出し、12時50分頃に楽屋Cのドアの前に置かれていた。




「……ところで、つかぬことをお伺いしますが、犯人の目星はもうついているのでしょうか?」西岡が急に真顔になって尋ねてきた。


「いや、まだだ。死亡推定時刻も絞り込めていない現状では容疑者が多すぎる。内部の者だけではなく、外部から侵入した者の犯行の可能性もゼロとは言えんからな」


「そうですか……。じゃあ私が聞いたアレも、ただの勘違いだったのでしょうか……」西岡が独り言のように呟いた。


「アレ? いったい何のことだ?」


 ガマ警部がすかさず尋ねた。西岡ははっとした顔になると、慌てて身体の前で両手を振った。


「あ、いえいえ、大したことではございません。どうか忘れてください」


「そうはいかん。これは殺人事件の捜査だ。何か目撃したのなら正直に話した方が身のためだぞ」


 ガマ警部に凄まれて西岡は一歩身を引いたが、すぐに遠慮がちに話し始めた。


「……わかりました。実は私、休憩中に聞いてしまったのです。その、緒方君の楽屋で誰かが口論しているのを……」


 木場は思わずガマ警部と顔を見合わせた。


「それは何時頃のことだ?」


「……確か、12時15分頃だったと思います。彼の部屋の前を通りがかった時に中から怒鳴り声が聞こえてきまして。さすがに気になって様子を見に行こうとしたのですが、その時に……」西岡がぶるっと身体を震わせた。


「何だ、どうした?」


「いえ、あの、その時に……部屋の中からこんな言葉が聞こえたのです。『この野郎……ぶっ殺してやる!』と。私、怖ろしくなってそのまま逃げ帰ってしまって……。今思えばあの時に……」西岡はさも恐ろしそうに肩を震わせた。 


「その声は緒方さんのものではなかったんですか?」


「違ったと思いますよ。私は彼とは10年の付き合いですから、さすがに聞き間違えることはないと思います」


 なるほど、確かにそうかもしれない。だがそうなると、その声の主は――。


「12時15分と言えば、ちょうど飯島さんが緒方の楽屋に行っていた時間ですね」木場が手帳を確認しながら言った。「飯島さんは何もせずに帰ったと言っていましたけど、まさか、本当に……?」


「わからん。気の短そうなあの男のことだ。勢いで口から出ただけの可能性もあるが……。後でもう一度話を聞く必要がありそうだな」


 木場とガマ警部が小声で話し合った。その様子を西岡が不安そうに見つめている。


「西岡さん、貴重なお話ありがとうございました!」木場が振り返って頭を下げた。「自分達はこれから現場に行って、そのカメラの映像を調べてみようと思います」


「えぇ、構いませんよ。緒方君のためですからね。どうか早く犯人を見つけてくださいね。殺人犯が野放しになってると考えると、私、怖ろしくて夜も眠れませんから」


 西岡が神頼みをするように何度も手を擦り合わせた。いちいち言動が芝居がかった男だ。ひょっとしたらマネージャーよりも役者の方が向いているんじゃないだろか。

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