燻る憎悪
2人が次に向かったのは隣の楽屋Bだ。ドア横のプレートには『
「聞いたことのない名前だな。こいつも有名な俳優なのか?」ガマ警部が大して興味もなさそうに尋ねた。
「そうですね。緒方や麗央奈さんほど有名じゃありませんけどいろいろな作品に出てますし、知ってる人は多いと思いますよ」
木場が答えた。
飯島譲司は今年で23歳になる若手俳優だ。いかつい顔に角刈りがトレードマークで、その強面からチンピラやマフィアの子分などの悪役を演じることが多い。デビューしたのは17歳の頃で、当時は不良少年の役が多かったらしいが、その真に迫る演技が話題となってじわじわと人気が上がり、ドラマの出演のオファーもかかるようになった。いかつい見た目とは裏腹に気遣いの出来る性格らしく、撮影や収録の際は毎回共演者やスタッフ一人一人に挨拶や差し入れをして回っているらしい。そういう律儀な面も相まって関係者からの評判はいいようだ。
「ふん、そうか。まぁ俺にとっちゃどうでもいいことだがな」
自分から訊いておいてガマ警部はそんなことを言う。そのまま無遠慮に扉をノックすると、中から機嫌の悪そうな返事が聞こえた。その声にまたしても木場の心臓が跳ね上がり、麗央奈の時とは違った緊張感が走った。生の飯島譲司、いったいどんな人なのだろう。評判を聞く限り悪い人ではなさそうだが、実物は果たして――。木場は不安を抱えながら警部に続いて中へと入った。
その部屋は麗央奈の楽屋よりも一回り小さく、ソファーの代わりにパイプ椅子が何脚か置かれていた。ランクによって楽屋にも差があるのだろうか。
そのパイプ椅子の1つにもたれかかって2人を待ち構える男。鏡台に片肘を突いて頭を支え、足を組み、不機嫌さを丸出しにした顔で鋭い眼光を飛ばしている。トレードマークの角刈りに、眉尻に剃り込みを入れた細い眉毛、黒のスカジャンにダメージ系のジーンズ。役作りのためもあるのだろうが、その姿はどう見ても本物のチンピラにしか見えない。
「えーと……」
木場が声を発した瞬間、スナイパーが獲物に狙いを定めたように、飯島の眼光が木場を捕らえた。その迫力に木場は竦み上がる。
「あ、あの、自分は警視庁捜査一課の木場という者です。こちらは上司の蒲田警部。あの、お時間取らせてしまってすみませんが、少しお話を……」
木場がしどろもどろになりながら言った。負けてはいけない。自分は刑事であって相手は容疑者なのだ。立場上はこちらが有利なはず。それなのに木場は、まるで自分がチーターの折に放り込まれた鼠のような気がしてならなかった。
「警察?」
飯島が意外そうな声を上げた。まじまじと木場を見つめた後、ばつが悪そうに頭を掻く。そのまま組んだ足を解くと、開いた足の膝頭に両手を乗せる格好で木場達に向かい合った。
「そうか、あんた達警察の人間だったのか。悪ぃな、機嫌悪いまま出迎えちまって。実はさっきマネージャーと喧嘩しちまってよ。そいつが戻ってきたと思ったから、脅しつけて追い返してやろうと思ったんだよ。ビビらしちまってすまねぇな」飯島は深々と頭を下げた。
「い、いえ、構いませんが……」
木場は意外そうに飯島を見つめた。彼が律儀な性格だというのは事実のようだ。
「そのマネージャーというのは? あんたのマネージャーか?」ガマ警部が尋ねた。
「いや、俺にマネージャーはいねぇ。緒方のマネージャーだよ。あいつ15分前くらいに俺の部屋に来て、カメラが1台ないんだけど知らねぇかって聞いてきやがったんだ。そんなもん知るかって怒鳴ってやったらビビってす出て行ったけどよ」
「カメラ? いったい何のことだ?」
「あぁ、どうも緒方の奴が、楽屋で演技の練習してるとこを撮ってたみたいでな。そのカメラがなくなったとか言って騒いでたよ」
「現場からなくなったカメラ……事件と関係あるんでしょうか」木場が首を捻った。
「わからん。後でマネージャーに直接尋ねてみるとするか」
ガマ警部が言った。木場も忘れないようにメモに書きつけた。
「カメラの件はひとまず置いておこう。今はそれよりあんたの話を聞きたい。まず、今日1日のあんたの行動を教えてもらおうか」
「そうだな。スタジオに入ったのが8時10分頃だったと思う。麗央奈さんが先に来てたから挨拶して、それから他のスタッフにも挨拶して、撮影が始まるまでは楽屋で待機してたよ。9時に撮影が始まって昼まで休憩はなし。12時から1時間休憩して、13時からまた撮影に戻ったよ」
「ではあんたも、昼休憩の時以外は撮影に参加していたということか?」
「そうだな。ほとんど出ずっぱりだったよ」
「では昼休憩の間は?」
「ずっと楽屋にいた……と言いたいとこだけど、あいにく俺はあいつに会いに行ったんだ。あの緒方勇吾にな」
「何?」ガマ警部が目を剥いた。
「それってやっぱり、緒方さんに挨拶に行ったってことですか?」木場が口を挟んだ。
「いや、そんな穏やかなもんじゃねぇ。奴とは話をつけに行ったのさ。俺と奴には、ちょっとした因縁があるもんでね」
「聞き捨てならんな。因縁とはどういうことだ?」ガマ警部が眼光を鋭くした。
「……どうせバレることだから白状しとくか。あいつはな、春菜を破滅させたんだ。俺はその落とし前をつけさせに行ったんだ」
「春菜って、もしかして
木場は当時の彼女の姿を思い浮かべた。茶髪のボブにくりくりとした大きな目をした可愛らしい少女。一時期はよくテレビで姿を見かけたものだが、最近はめっきり見なくなってしまった。
「そうだ。刑事さん、よく知ってるじゃねぇか。俺達が付き合ってたのは今から5年前、俺がちょっとずつ売れ出してた時のことだ。当時の春菜はまだデビューしたてで、芸能界のことなんか何にもわかっちゃいなかった。自分が立ってる足場がどれくらい頼りなくて、たった一度の失敗ですぐに転落するってことを知らなかったんだな。
そんな春菜が番組で緒方と共演することになった。緒方がどんな奴かは知ってるんだろ?」
木場は頷いた。話の結末が見えた気がした。
「緒方は案の定、春菜に手を出した。デビューしたての清純派女優なんて格好の餌食だったんだろうな。緒方の甘い言葉に春菜はあっさり参っちまって、何度も逢い引きを重ねるようになった。俺があいつとは会うなって言ってもあいつは全く聞かなかった。でもそのうちにマスコミに嗅ぎつけられてな、2人でいる現場を押さえられちまったんだよ。
緒方の事務所の対応は早かったぜ。記事が表に出るより早く会見を開いて、誤解を招くような事態を起こしてしまって申し訳ないと謝罪したんだ。あくまで関係を持ってたことは否定したわけだな。一時期はかなり叩かれたけど、それでも下手に言い訳をしないところが好感を持たれたらしい。当時はまだ、緒方の悪評が今ほどひどくなかったこともあって、奴へのバッシングはそのうち収まっていった。
それよりひどかったのは春菜の方さ。当時、俺と付き合ってたことはマスコミにも知られてたから、春菜は二股をかけたふしだらな女としてマスコミに叩かれることになった。清純派で売ってたイメージが台無しになったわけだ。
俺は春菜を守ってやりたかったけど、事務所に止められた。下手に口出しすると今度は俺のイメージが悪くなるって言われたら、まだ売り出し中の俺としちゃあどうしようもない。俺は事務所の意見に従うしかなくて、春菜の件については静観した。そしたらそのうち春菜と連絡が取れなくなって、間もなくあいつは芸能界を去っていった。その後春菜がどうしてるかは知らねぇよ」
「そんな……」
スキャンダル。それが芸能人にとって致命的な事態であることはよくわかる。まして春菜のようにデビューしたてで、事務所の加護もない者にとってはなおのことだ。だがそれにしても、いたいけな女優の芽を潰しておきながら反省もせず、今もなお女遊びを続けているとは、緒方はなんと破廉恥な男なのだろう。
「俺はあの時から、いつか必ず緒方に落とし前をつけさせてやろうと思っていた。そして今回の共演で、ようやくそのチャンスが巡ってきたってわけさ」
「……で、あんたがその落とし前をつけに言ったのは何時頃のことだ?」ガマ警部が低い声で尋ねた。
「昼休憩に入ってすぐの時だ。俺が楽屋に行ったらあいつ、さっき言ったカメラで演技を撮影してる最中でさ。俺が入ってきたことには気づいてたはずなのに見向きもしなかった。そのことにまた腹が立って、俺は言ったんだ。『お前と春菜のことをマスコミにバラす。春菜はお前に遊ばれたんだ』ってな。
そしたらあいつ、何て言ったと思う? ゆっくり俺の方を振り返って、ニヤっと笑って言ったんだ。『あいつのことはもう時効だ。あんな三流女優のことなんかもう誰も覚えちゃいない』って……」
「……ひどい」木場が思わず漏らした。
「そう、あいつは最低な奴だ。俺も頭に血が上ってよ。思いつく限りの言葉であいつを罵倒してやったんだが、あいつはニヤニヤして俺を眺めるだけだった。
で、俺が疲れたタイミングを見計らってこう言ったんだ。『おしめが取れてから出直してきな……ボクちゃん』ってな。それでまた何もなかったみたいに演技の練習を始めた。あの野郎、人のことコケにしやがって……!」
思い出してまた腹が立ったのか、飯島がテーブルに拳を打ちつけた。
「それで? あんたはその後どうしたんだ? 被害者にコケにされたまま、何の応酬もせずにすごすごと帰って来たのか?」
ガマ警部が注意深く尋ねた。飯島が怒ったように口を開いたが、すぐに思い直したように口を噤み、少し考えてから答えた。
「……あぁ、残念なことにな。でもこんなことになるなら、いっそあの時奴を殺しておきゃあよかったかもな。そうすりゃ春菜の無念もちったぁ晴らせただろうに」
「つまり、殺したいほど憎んではいたが、殺してはいないと?」
「当たり前だ。何であんな屑野郎のために俺の人生を棒に振らなきゃいけない? そりゃ春菜のことで奴を恨んではいたさ。でも殺そうとまでは思わねぇ。奴にはそこまでする価値もねぇよ」
「ふん、どうだかな……。それで、部屋を出たのは何時頃だ?」
「そんなに長い間話してたわけじゃねぇし、12時20分くらいじゃねぇかな」
「その後は楽屋に戻ったのか?」
「あぁ、撮影が始まるまで大人しくしてたよ。午後イチの撮影にあいつが参加しないのが幸いだったな。奴とまた顔を合わせてたらぶん殴ってたかもしれねぇ」
飯島が鼻息荒く言った。木場は今聞いた一連の内容をメモに書きつけた。
○飯島譲司 当日の行動
8時10分 スタジオ到着
9時~12時 撮影
12時 緒方の部屋に行き、口論になる。
12時20分 自分の楽屋に戻る。
13時~15時 撮影
○被害者との関係
5年前に交際していた恋人、宮川春菜を破滅させたことで緒方を恨んでいた。
「なるほど、興味深い話だった。今はこんなところでいいだろう。協力に感謝する」
「いえいえ、いいってことよ。まぁ俺としちゃあ、緒方を殺してくれた犯人には感謝しかないがね」
「……あまりそういう発言をしない方がいい。自分の疑いを濃くすることになるぞ」
「それはどうも、ご忠告、痛み入りますよ」
飯島が肩を竦めた。被害者への憎悪を隠す気はさらさらないようだ。
「ところで、飯島さんは麗央奈さんとは面識はあったんですか?」木場が尋ねた。
「いや、あの人とは今回が初めての共演だ。名前は知ってたけどな」
「じゃあ、麗央奈さんが緒方と付き合っていたことは?」
「いや、それも初耳だ。何だ、あの人も緒方と関係があったのか?」
「そのようです。何て言うか……緒方勇吾は本当にひどい男だったんですね。女性の気持ちを散々踏みにじって……。飯島さんは自分の大切な女性を守れなくて、せめてもの報復をしようとしたのにそれも出来なくて……。その時のやるせない気持ち、自分にはわかるような気がします」
大切な人を助けたいという思いはあるのに、どうすることも出来ない無力感――。それは木場にも覚えのある感情だった。
「へぇ、刑事さんもわかってくれるのかい。俺、警察なんて人種は事件の解決にしか興味がなくて、関係者の気持ちなんて知ったこっちゃないんだと思ってたけど」
「普通はな。事件が起こるたびにいちいち感情移入してたらこっちの身が持たん。こいつは経験が浅いからそれがわからんのだ」ガマ警部が憮然として鼻を鳴らした。
「ふうん。でも俺はあんたみたいな刑事がいてもいいと思うけどね。特に俺みたいな人間は見た目で判断されやすいから、緒方を憎んでるとなんて言ったらすぐに犯人だって思われちまう。でもあんたはそんな俺の気持ちをわかってくれた。嬉しかったよ、刑事さん」
飯島がいつかい顔を緩めて言った。その表情に木場は救われた気持ちになる。
「……一つの意見として受け取っておこう。行くぞ、木場」
ガマ警部に促され、木場は慌てて入口の方へと向かった。去り際に振り返ると、飯島は椅子に背中を持たせて天井を見つめていた。宮川春菜のことを思い出しているのかもしれない。木場は軽く頭を下げてから部屋の扉を閉めた。
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