反証

「……それだけかしら?」


「え?」


 木場が困惑して麗央奈の顔を見返した。麗央奈は尚も従容とした態度を崩さず、微笑みすら浮かべて木場を見つめている。


「あの坊やの証言だけで、あたしを逮捕することが出来るのかしら? 裁判を前にして怖じ気づいて、彼があたしを売った可能性だってあるんじゃないかしら?」


「そ、そんな……! 小幡さんはあなたのために証拠を隠滅して、嘘の証言をして、その上罪を被ろうとしたんですよ!?そんな人があなたを陥れるわけが……!」


「そうかしら。誰だって我が身が一番可愛いものですもの。彼があたしを売っていないという証拠はないんじゃないかしら?」


「それは……」


 木場は言葉に詰まった。そう言われると反論のしようがない。


「おい木場、どうするつもりだ? このままだとあの女に逃げられるぞ」


 ガマ警部が口を挟んだ。顔に珍しく焦りの色がある。


「そう言われても……確かに麗央奈さんの犯行を裏づけるのは小幡さんの証言しかありません。それを否定されてしまってはどうすることも……」


「なら、話はこれで終わりですわね。なかなか面白い推理でしたけれど、その程度のお芝居では視聴率は取れませんわね」

 

 麗央奈は悠然と笑みを浮かべて立ち上がると、優雅にジャケットを翻し、木場に背を向けてヒールの音を立てて歩き始めた。


「ま……待ってください! 自分の推理はまだ……」


「……往生際の悪い坊やね」


 麗央奈が立ち止まって呟いた。今までにないその声の冷ややかさに木場は思わず身を引いた。

 麗央奈は木場に背を向けたまま、尚も冷然とした声で言った。


「最初に申し上げたはずですわ。あたしは昔の痴情で男を殺すような、そんなみっともない女じゃありませんと。あなただって、あたしの名誉を守ると約束してくださったはずです。それがこの仕打ち……。あたしがこの8年間積み上げてきたものを、あなたは台無しにしようというのですね」


「じ、自分は、そんなつもりでは……」


「じゃあどういうつもりですの? 証拠もなく人を犯罪者と決めつけて、こき下ろして……。それでもあなた、あたしのファンですの?」


 木場は言葉に詰まった。確かに自分のしていることは麗央奈を侮辱するも同じだ。でもだからと言って、このまま彼女の罪を見過ごすことは出来ない。


「……麗央奈さん、自分だってあなたを告発するのは辛い。でもだからって……無実の小幡さんが殺人犯になるのを黙って見ているわけにはいかない。

 あなただってそうじゃないんですか。自分の一番のファンが、自分のために罪を被っているのを知って……あなたは本当に平気でいられるんですか!?」


 麗央奈は答えなかった。木場に背を向けたまま、微動だにせずに視線を落としている。だがよく見ると、その肩が小さく震えているのがわかった。


「……だったら、証拠を見せてください」


 麗央奈が絞り出すように言った。さっきまでの冷厳さの欠片もない、弱々しい声。


「あたしが……あたしだけが、あの男を殺害できたという決定的な証拠を……。それがなければ……あたしは……この舞台を終わらせることは出来ませんわ……」


 その声に込められた悲痛な叫びに気づき、木場ははっとして麗央奈を見つめた。麗央奈は言った。小幡の存在があったから、自分は今まで女優を続けることが出来たのだと。そのファンが自分のために処刑台に送られようとしているのだ。罪の意識を感じないはずがない。

 だが罪を告白することは、自らの女優生命に終止符を打つことになる。どちらに転んでも大切なものを失う。彼女はその狭間で苦しんでいるのだ。だったらここは、自分がこの手で幕を下ろすしかない。それは木場が、ファンとして彼女に送ることの出来る唯一の餞別だった。


「くそっ……何かないのか? 麗央奈さんがあいつを殺害した証拠……」木場が頭を抱えて煩悶した。


「……直接的な証拠はおそらくない」ガマ警部が苦々しげに言った。「凶器に付いた指紋も、あのスカーフの持ち主だからということで片づけられてしまう。現場にあった指紋は全てあの若造が拭き取ってしまった。……まったく、あいつも余計なことをしてくれたものだな」


「他にないんでしょうか? 麗央奈さんの犯行を決定づける証拠は」


「考えられるとすれば、あの若造が手出しできなかった物だな。奴が現場で死体を目撃した直後、犯人は何故か現場に戻ってきている。それはつまり、現場に戻るというリスクを冒してでも回収せねばならないものがあったということだ」


「つまり、それが決定的な証拠ってことですか?」


「おそらくな。それが何であるかがわかれば、あの女の首根っこを捕まえることも出来るんだろうが……」


 ガマ警部が唸り声を上げた。木場は腕組みをして必死に頭を巡らせた。小幡が手出しできなかったもの。事件の後、楽屋からなくなっていたもの。これでもかというくらいに眉間に皺を寄せて考え込んだ時、不意に1つの考えが閃光のように頭を駆け抜けた。


「あ……!」


 思わず大声が出て顔を上げる。そうだ、あるではないか。凶器の他に、現場からなくなっていたものが。


「麗央奈さん……わかりましたよ。あなたの犯行を立証する方法が」


 木場がゆっくりと言った。麗央奈が顔をちらりと木場の方に向けた。哀願するような、救いを求めるような瞳。


「あなたはおそらく、12時半頃に被害者の楽屋に行って彼を殺害した。そこで一旦楽屋から立ち去りましたが、何故かその直後に現場に戻ってきている。それは、どうしても現場から回収しなければならないものがあったからです」


「……何ですの? それは」


「カメラですよ。緒方は西岡さんのカメラで撮った映像をテレビで見る一方で、別のカメラで自分の演技を撮影することもしていました。実際、飯島さんが楽屋に行った時、緒方はカメラの前で演技の練習をしていたそうです。

 もし……もしもですよ。麗央奈さんが楽屋に行った時にまだカメラが回っていて、犯行の様子を撮影していたとしたら?」


「……まさか」


 西岡が青ざめた顔で呟いた。足元の黒い鞄に視線を落とす。例の2台のカメラがその中に眠っているのだろう。


「当然、麗央奈さんはカメラを回収しなければならなかった。何たって自分の犯行が映っているわけですからね。だから誰かに見られる危険を冒してでも楽屋に戻らなければならなかった。2台とも持ち去ったのは、どちらに映像が入っているかわからなかったからでしょう。だから小幡さんがテーブルの下から出てきた時には、すでにテレビの映像も消えていた」


「じゃあこいつのカメラには、犯行の一部始終が映ってるってのか?」


 飯島が信じられない顔をして西岡の方を見た。その場にいた全員の視線が西岡に注がれる。西岡は悪霊でも振り払うかのように小刻みに首を横に振った。


「でも刑事さん、それはおかしいんじゃないかしら?」麗央奈が身体ごと振り返って尋ねた。「もしあたしが本当にカメラを持ち去ったのなら、当然、自分に不利になるような映像は消しているはずでしょう? それとも、そのカメラにはあたしの犯行の映像が残っているのかしら?」


「……確かに、カメラに映っていたのは午前中の撮影風景だけだ」ガマ警部が渋々認めた。「どちらのカメラも調べてみたが、楽屋の様子を撮影した映像は残っていなかった」


「そうでしょう。それじゃああたしの犯行を立証することにはならないわ」麗央奈が残念そうに首を振った。


「いいえ……問題なのは、映像が残っているかどうかじゃないんです」


 木場が静かに言った。麗央奈の顔にかすかに動揺が浮かぶ。


「あなたは現場から2台のカメラを持ち去った。そしておそらく、自分の楽屋かどこかでその映像を消したのでしょう。でもカメラをそのままにしておくわけにはいかない。自分の楽屋からカメラが発見されたら、緒方の部屋に入ったことを認めることになってしまいますからね。だからあなたは、西岡さんが楽屋を空けたタイミングでカメラを返しておいたのです。

 でも、あなたは相当焦っていたはずだ。被害者の楽屋に戻った時点で時刻はすでに12時40分を回っていた。カメラの映像を消し、それを隠すことだけで頭がいっぱいだったはずです。だから他の小細工をする余裕はなかった。例えば……カメラについた自分の指紋を拭き取るとか」


 麗央奈の表情が一瞬にして凍りついた。木場は大きく息を吸い込むと、一気に畳みかけた。


「あのカメラが緒方の元に会ったのは11時から12時50分までの間。でも11時から12時まではあなたは撮影で、カメラに近づくことも出来なかった。

 また、12時から12時20分の間は飯島さんが楽屋にいました。そして、小幡さんが楽屋に入った12時40分頃に、何者かが楽屋に入ってカメラを回収した。その後、12時50分頃にカメラは西岡さんの元に戻っていた。つまり、あなたがカメラに触ることが出来たのは、12時20分から12時50分の間しかない。

 でも、そうなると状況は大きく変わってくる。飯島さんが部屋を出た12時20分の時点ではまだ緒方は生きていていました。しかし、小幡さんが12時40分に楽屋に入った時には緒方はすでに死んでいた……。あなたがカメラに触れることが出来た時間に緒方は死んでいたのです。そのカメラからあなたの指紋が検出されたら……あなたはどう説明をつけますか?」

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