遺恨の真相

 誰も、何も言わなかった。息もつかせぬ怒涛の展開、ドラマのクライマックスさながらのその光景に、誰もが驚愕を浮かべてそこに立つ役者の顔を見つめた。蒼白の顔に吃驚を浮かべた麗央奈と、彼女と相対する、主役を張るにはいささか頼りない、童顔の若い刑事の姿を。


 そうしてどれくらい沈黙が続いただろう。不意に渇いた拍手の音が聞こえた。関係者は金縛りから解かれたようにはっとしてその音の方に顔を向けた。穏やかな笑みを浮かべた麗央奈が、木場に向かって手を叩いているのが見えた。


「……さすがね、刑事さん」麗央奈が拍手を止め、ぽつりと言った。


「まさかあなたに引導を渡されることになるとは思っていなかったわ……。あなたは単純で、人をすぐ信用するように見えた。だからちょっと弱い顔を見せれば、すぐにあたしを容疑者から外して、あたしを守ってくださると思っていたのに……。無害な坊やのような顔をして、あなたもとんだ役者だったようね」

 

 麗央奈はそう言ってふっと息を漏らした。口調とは裏腹に、どこか吹っ切れたような顔をしている。


「あなたが殺したんですね? 緒方勇吾を……」木場が静かに尋ねた。


「ええ、そうよ。あいつを殺したのはこのあたし。まさか、ドラマの外でもあいつを殺すことになるとは思わなかったけれど……」


「でも、どうしてですか? あなたはあいつのことは何とも思っていないと言った。今は女優として大成して、仕事が一番大事だって……。だから自分もあなたを信じたかった。女優として頑張っていくあなたを、ずっと応援していきたいと思っていたのに……」


 麗央奈を見つめる木場の視界が次第に滲んでく。デビューしてまだたったの8年。女優として、彼女はこれからいくらでも輝くことが出来たはずだ。それなのに、どうしてあんなろくでもない男のために未来を捨てることになってしまったのか、納得がいかなかった。


「……ファンの方々には申し訳なかったと思うわ。でも、仕方がなかったのよ。あたしにはどうしても守らなくてはいけないものがあった。そのためには……あいつを生かしておくわけにはいかなかったの」


「何ですか。その、守らなくてはいけないものって……」


 木場が鼻を啜りながら尋ねた。麗央奈はジャケットのポケットから1枚の写真を取り出して木場に差し出した。木場がそれを受け取って見ると、そこには小さな男の子が写っていた。まだ5歳くらいだろうか。公園で遊んでいるらしく、鼻の頭に泥をつけて満面の笑みを浮かべている姿が何とも愛らしい。


「これは……」


「あたしの子どもよ。緒方はこの子をネタにあたしを揺すっていたの」


「え、麗央奈さん、子どもがいたんですか!?」


 木場が仰天して叫んだ。その場にいた誰も知らなかったようで、皆が驚愕を顔に浮かべて麗央奈を見つめている。


「公式には知られていないわ。その子はね、マネージャーとの間に出来た子なの」


「マネージャー? でも、麗央奈さんにはマネージャーはいないはずじゃ……」


「昔はいたのよ。ちょうど緒方と別れた直後だったから、デビューして3年目くらいだったかしら。

 その方は年上の男性で、緒方に捨てられて傷心していたあたしを優しく慰めてくれたの。彼は緒方とは全然違った……。温厚で、包容力があって……。あたしはすぐに彼に惹かれたわ。でも、彼はすでに妻子持ちの身だったから、あたしも我慢しようとしたわ。新人女優がマネージャーと不倫だなんて、マスコミに餌を提供するようなものですもの。

 でも……彼と長い時間を過ごすうちに、あたしは自分の気持ちを抑えることが出来なくなっていった。だから、彼と2人きりになった時に打ち明けることにしたのよ。そうしたら、彼も同じ気持ちだと言ってくれて……。あの時ほど嬉しい気持ちになったことはなかったわ……」

 

 大切な思い出を慈しむかのように、麗央奈はそっと目を細めた。


「でも、そのことを緒方に気づかれてしまった……?」


 木場がおずおずと尋ねた。幸福そうだった麗央奈の顔に瞬く間に影が差す。


「……ええ、そうよ。彼と関係を持つようになって半年くらい経った時だったかしら。プライベートで彼と一緒にいるところをマスコミに撮られてしまったの。事務所が何とか手を回してくれて、写真が出回る前に差し止めたのだけれど、彼はそのことに責任を感じてマネージャーを止めたわ。自分のせいで、あたしがスキャンダルに巻き込まれてはいけないと思ったのでしょうね。あたしは彼を失ってショックだったけれど、それでも平気だと思えたわ。その時すでに、あたしの中には彼の子どもがいたからよ。

 最初は堕ろすつもりでいたわ。彼に迷惑をかけたくなかったから。でも……彼が去って、あたし1人になった時、あたしはこの子を産みたいと思った。彼の命を宿したこの子を、あたしの手で育てていきたいと思ったのよ。だから事務所にお願いして、4か月ほどお休みを頂いてその間に出産したの。世間には病気のための療養ということにしてね。

 しばらくはそれで何も問題もなかったのだけれど……仕事に復帰して間もなく、緒方が再びあたしの前に現れたわ。あいつはどこからかあの子のことを嗅ぎつけていた。彼との間に出来た子だということも知っているようだったわ。

 ……それからよ、あいつが悪夢のようにあたしに付き纏うようになったのは……」


 麗央奈の顔が忌々しげに歪められる。マネージャーとの不倫、2人の間に出来た子ども。次々と明らかになる事実を前に、誰もが驚きを禁じ得ずに顔を見合わせている。


「あいつはあたしに金を要求したわ。あたしは従うしかなかった。少しでも反抗する態度を見せようものなら、あいつはすぐにあたしの秘密をばらすと言って脅しつけたわ……。その時のあいつのいやらしい笑いと言ったら……」


 緒方につけられた汚れを削ぎ落そうとするかのように、麗央奈が自分の二の腕を擦った。

 木場はそこで小幡の証言を思い出した。麗央奈の女優生命を断つほどの秘密を緒方が握っていると言った話だ。あれはこのことを指していたのだろう。小幡は緒方本人から話を聞いたと言ったが、実際には、麗央奈が緒方と口論になった際にこの話題が出て、それを小幡が倉庫で聞いたのだろう。


「では、事件当日も被害者があんたを呼び出したのか?」ガマ警部が尋ねた。


「ええ、このドラマの撮影が始まってからは毎回ね……。でも、あたしも正直限界だと思っていたから、撮影が終わるのを機にはっきり言ってやったのよ。もうこれ以上、あたし達に構わないでほしいって。あなたはすでに誰もが知る有名俳優で、あたしから小金をせびり取ることに何の意味があるのって。

 でも……あたしがそう言ってもあいつは顔色1つ変えなかった。あのいやらしい笑みを浮かべた後……あいつはこう言ったのよ」


『俺の目的は金じゃない。俺はただ、お前が俺の掌の上で、為す術もなくもがき苦しむ様を見ていたいだけなんだ。』


 口元を歪め、玩弄するような目つきでその言葉を口にする緒方の姿が目に浮かび、木場は背筋にぞわりとしたものが走るのを感じた。


「その言葉を聞いた時……あたしは確信したわ。このままでは、あたしは永遠にこの男から逃れることは出来ない。あたしは一生、この男の影に怯えながら生きることになる。そんなことはさせない……。そう思った時、無意識のうちにスカーフを外していたわ……」

 

 その時の様子を再現するかのように麗央奈は首元に手をやった。


「……思ったよりも呆気なかったわ。彼は自分の映像を見るのに夢中になっていたから、背後からあたしが近づいていくことに気づかなかったのでしょうね。でも、ソファーから床に崩れ落ちた彼の姿を見て、急に自分のしたことが恐ろしくなって……急いで楽屋を出たの。指紋のことなんて考えもしなかったわ。

 でも、自分の楽屋に戻って冷静になった時、楽屋にいろいろなものを残してきたことに気づいたの。あいつの首を絞めたスカーフもそうだし、カメラのこともあった。あの2つを始末しないと、あたしはすぐに捕まってしまう。だからあたしは緒方の楽屋に戻るしかなかったのよ」


「小幡さんが見たのはその時の場面だったわけですね。あなたが楽屋に近づいてくる足音を聞いて、彼はテーブルの下に隠れ、そして楽屋から出て行くあなたの姿を目撃した」木場が呟いた。


「ええ……あのスカーフがなくなっているのを見た時は驚いたわ……。あたしの他に、誰かがこの部屋に入ったということですものね。でもスカーフを探している時間はなかった。だからカメラだけを持って部屋を出たのよ。そして自分の楽屋に戻り、楽屋の映像を消した後、カメラを西岡さんの部屋の前に戻しておいたのよ。西岡さんがカメラで緒方を撮っているところは何度も見ていたから、カメラが彼のものだということはすぐにわかったわ。そしてあたしは、予備のスカーフを巻いて撮影に戻った」


「おい、ちょっと待てよ。じゃああんたは、人を殺したその足で撮影に参加したってのか!?」飯島が目を剥いて叫んだ。


「ええ、当然ですわ。それくらいのお芝居が務まらなくては、女優三木麗央奈の名が折れますもの」麗央奈がつんと澄まして言った。


「それで今まで我々全員を欺いてきたと? 何とまぁ、豪胆な……」西岡が驚嘆の息をついた。


「……ええ。でも、だからと言って、あの時の恐怖が消えたわけじゃないわ。目を瞑る度に、瞳孔を開いてあたしを見つめる緒方の顔がまざまざと蘇ってきて……」麗央奈が深々とため息をついた。


「最初は自首しようかと思った。でも……あの後、スカーフにファンの坊やの指紋がついていたと聞いて、彼があたしのために凶器を処分してくれたことがわかったの。彼は自分の身を危険に晒してでもあたしを守ろうとしてくれた。だったらあたしも彼の想いに応えて、これからも女優であり続けなければいけないと思ったのよ。でも……結局それも、自分を正当化するための方便だったのでしょうね」


 麗央奈は自嘲したような笑みを浮かべると、木場に向かって優しく言った。


「あなたがあたしの罪を暴いてくださった時、正直ほっとしたわ。これでようやく、この忌まわしい舞台から降りることが出来る……。女優としての仮面を捨て、1人の人間として、罪を償うことが出来る……」


 麗央奈はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。重い鎖から解き放たれたような、晴れやかとも言える笑み。


「……木場」


 ガマ警部が木場を小突いた。放心したように

麗央奈を見つめていた木場が慌てて顔を上げる。


「……お前のヤマだ。お前の手で片をつけろ」


 その言葉の意味を理解するのにしばらく時間がかかった。だが、ガマ警部の言わんとすることがわかると、木場は途端に泣きそうな顔になってぶんぶんと首を振った。だが、ガマ警部は容赦せず、いつもの仏頂面で木場を見返しただけだった。木場はなおも抵抗を見せたが、ガマ警部が折れる気配はない。

 木場はとうとう諦めると、気が進まなさそうにスーツのポケットに手をやった。そこから銀色の手錠を取り出す。今まで一度も使ったことのなかったこの道具。いつかこれを犯人の手にはめる日が来た時には、ドラマに出てくる刑事のように格好よく決めようと思っていた。それがまさか、こんな形で実現することになるなんて――。


「……三木麗央奈さん。あなたを、緒方勇吾殺害の罪で逮捕します」


 震える声でそう告げる。麗央奈は大人しく両手を差し出した。そんな彼女の姿を見ているうちに堪えていた感情が溢れ出してきて、木場の瞳からぼろぼろと涙がこぼれ始めた。手錠を持つ手がわなわなと震える始める。やはりダメだ、彼女に手錠など、かけられるはずがない――。


「……刑事さん」


 麗央奈がそっと囁きかけた。木場がはっとして彼女の顔を見返す。麗央奈は穏やかな笑みを浮かべたまま、赤子をあやすように言った。


「迷ってはいけません。そちらの刑事さんの言うとおり、これはあなたの事件……いいえ、舞台なのです。あなたはこれからもっと大きな舞台に立っていく身。こんなところで立ち止まっている場合ではないのです。観客は今も、この舞台が終わる瞬間を待っている。そこから逃げ出すことは許されませんわ」


 木場は呆然として麗央奈の顔を見つめた。麗央奈の瞳が静かに木場を見返す。その瞬間、まるで魔法にでもかけられたかのように涙と手の震えが止まった。


 木場はなおも麗央奈の顔を見つめていたが、やがて手錠に視線を落とした。手錠をぐっと握り締め、麗央奈の白い手首に近づけていく。


 その時、不意に初めて麗央奈に会った時の記憶が脳裏に蘇った。寄る辺ない少女のような顔をして、自分の手を取った麗央奈の姿。今にして思えば、あれは演技などではなく、麗央奈の本心だったのではないのだろうか。麗央奈は木場に助けを求めていたのだ。自分の犯した罪の重さに耐えきれず、その苦しみから彼女を解き放ってほしいと願って。




 かちゃりという金属音がスタジオに響く。芸能界を揺るがした一大事件は、大女優の退場という形でその幕を下ろしたのだった。

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