エピローグ ―幕引き後の舞台―

 『三木麗央奈 殺人容疑で逮捕。――6年前の交際破棄に対する遺恨か?』


 そんなセンセーショナルな見出しの記事が翌朝の新聞各種で踊った。被害者と犯人がいずれも大物俳優ということで事件は世間の耳目を集め、しばらく食卓の話題を占領することになった。ワイドショーでは連日特集が組まれ、事件の背景や動機について、精神科医や犯罪心理の専門家を語るコメンテーターが様々な持論を展開した。


 ドラマの最終回は、内容があまりにも現実の事件と酷似していたため放映が中止された。だが、スタッフの誰かが無断で映像を持ち出していたようで、いつの間にかインターネットに動画がアップされていた。放映局は慌てて動画を削除したが、すでに動画は拡散されていて全てを削除することは不可能だった。動画はネット上で話題となり、あらゆる掲示板に書き込みがなされては、ドラマと事件とを結びつけようとする自称専門家の分析で埋め尽くされた。


 動機については、いわゆる『痴情のもつれ』によるものと麗央奈自身が警察の取り調べで語った。緒方に捨てられたことで恨みを募らせ、復讐のために殺害したと。その供述は刺激に飢えた大衆の興味をいっそうかき立て、掲示板にはますます根拠のない憶測が飛び交うことになった。麗央奈のホームページは、緒方のファンによる彼女への誹謗中傷と彼女のファンによる擁護で埋め尽くされ、サイトは間もなく閉鎖された。そうして好き勝手な書き込みがネット上を賑わせた結果、麗央奈の真の動機は闇に葬られることになった。


 麗央奈は取り調べに素直に応じ、木場が現場で証明した事柄を全て事実だと認めた。その弁舌は淀みなく、立ち振る舞いは実に堂々としたものだった。まるで大舞台に立ち、彼女自身が主役の歌劇を演じているかのように。その女優としての貫禄を前に、取り調べに当たった刑事達は一瞬、彼女が被疑者であることを忘れた。




 数日間にわたる取り調べの後、麗央奈の身柄は拘置所に移されることになった。護送車に向かう麗央奈の姿を、木場とガマ警部は署の入口から遠巻きに眺めていた。多くの警官に囲まれながらも背筋をしゃんと伸ばし、迷いのない足取りで歩く姿は、まるで家臣を従えた女王のようであった。木場はやるせない思いでそんな彼女の姿を見つめた。これでもう、二度と彼女の姿を目にすることはない。


「レオーナ!」


 不意に後ろから聞き覚えのある声がした。木場が振り返ると、入口の自動ドアの前で、小幡が息を切らして麗央奈の方をまっすぐに見つめているのが見えた。それを見て、小幡の保釈日も今日であったことを木場は思い出した。


「レオーナ……」


 麗央奈がゆっくりと振り返った。その黒い瞳が小幡を捉える。小幡は何か言いたげに口をぱくぱくさせた。あらゆる思いが彼の中を怒涛のように駆け巡り、その感情をどうにか伝えたいと思いながらも言葉に出来ずにいるのだろう。

 麗央奈は小幡を黙って見つめていたが、不意に表情に影を落として言った。


「……ごめんなさい。あたしのせいで、あなたには大変な思いをさせてしまったわね……。あなたが庇ってくれたことに気づいていながら、あたしはあなたの言葉が嘘だと言い出せなかった……。一歩間違えば、あなたが罪に問われていたかもしれないのに……。本当にごめんなさい」


「い、いえそんな、僕はただ……」


「……でも嬉しかったわ。あなたは自分を犠牲にしてでもあたしを守ろうとしてくれた。それほどまでにあたしを想ってくれている人がいると知って……あたしは報われたような気がしたわ……」


「……レオーナ」


 柔らかな、女神からの祝福のような微笑みを受けて迷いが吹っ切れたのだろう。小幡は表情を引き締めると、今一度麗央奈をまっすぐに見つめた。


「僕……ずっと待ってますから! あなたがもう一度舞台に戻ってくるのを! 何年かかってもいい。この先どんな女優さんが出てきたとしても、僕にとっての一番はあなただけです!」


 思いの丈をぶちまけた小幡を、麗央奈は目を見開いてまじまじと見つめた。その表情が次第に緩んでいき、やがて瞳が潤み始める。


「ありがとう……」


 どこか弱々しく、寂しげな微笑。木場もいつか見た、寄る辺ない少女のような微笑み。それは、大女優として生きてきた麗央奈の仮面が剥がれ、彼女の本心が顔を見せた最後の瞬間だった。




 それからさらに一週間が経った。木場は署の屋外にある休憩所で、ぼんやりとして窓の外を眺めていた。季節はすでに梅雨を迎えていたが、今日の空は珍しく快晴だった。空は憎らしいほど青く、つい二週間ほど前に事件が起こったことなど嘘のように思える。


「……どこで油を売っているかと思えば、こんなところにいたのか、木場」


 後ろから声がしたかと思うと、木場は誰かに頭を叩かれた。振り返ると、Yシャツを腕捲りしたガマ警部が仏頂面で立っているのが見えた。蒸し暑いせいか、シャツの脇のところに汗が滲んでいる。


「あ、ガマさん……。すいません、ちょっとしたら戻るつもりだっんですけど、何かぼーっとしちゃって」木場が頭を掻いた。


「まだあの女優のことを考えているのか? 俺達が抱えているヤマは1つじゃない。個々の事件に入れ込むなといつも言っているはずだ」


「そうなんですけど、なんか割り切れなくて……。ガマさん、前にスタジオで見た麗央奈さんの撮影シーン覚えてますか?」


「あぁ……緒方の殺害を告白したシーンか。今にして思えば、あの脚本は何とも皮肉だったな」


 ガマ警部が苦い顔で言いながら、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。口から大きく吐き出した煙が空に立ち昇っていく。


「自分、あの時の麗央奈さんの台詞が頭から離れなくて……。ドラマの役柄と同じく、緒方は誰から見ても悪人でした。麗央奈さんはずっとあいつに苦しめられてきた。なのに罰を受けるのは麗央奈さんの方なんです。あんな奴のために、麗央奈さんが今まで築き上げてきたものが全部台無しになると思うとやり切れなくて……」


「ふん、ドラマは所詮ドラマだ。どんなに冷酷非道な悪党だろうが殺されていい理由にはならん。確かにあの女優には同情すべき点はあったのかもしれん。だが、それで奴の罪が正当化されるわけじゃない」


「ですよね……」


 木場はがっくりと肩を落とした。ガマ警部の言う通りだ。どんな事情があったとしても殺人を犯していい理由にはならない。だからこそ、麗央奈を救う方法が他にもあったのではないかと木場は思わずにはいられないのだった。


「……自分、ダメですね。1つの事件に関わるたびにこんなに落ち込んでちゃ……。ガマさんみたいにさっさと気持ち切り替えられればいいんでしょうけど、自分には出来なさそうです……」


 木場は自嘲したように笑った。ガマ警部は煙草を咥えたまま無愛想な顔で木場を見たが、不意に木場から視線を逸らして呟いた。


「……木場、事件当日にスタジオに行った際、あの飯島という俳優が言ったことを覚えているか?」


「飯島さんが言ったこと? 何のことですか?」


「奴は宮川という女優とのことで、緒方を憎んでいた気持ちを隠そうともしなかった。普通なら奴を犯人として疑ってかかるところだ。だがお前は、逆に奴の気持ちに共感し、奴は復讐のために殺人を犯すような男ではないと信じた。結果的にその読みは当たっていたわけだ」


 ガマ警部はそこまで言うと木場の方に向き直った。少しためらった後、いかにも渋々といった様子で続けた。


「刑事の仕事は人を疑うことだ。被疑者に対する余計な感情などない方がいい。だが……今回の事件で少し考えさせられた。お前のように、人を信じるタイプの刑事が1人くらいいるのも悪くはないのかもしれん。まぁ……あくまで例外ということだがな」


「ガマさん……」


 思いがけずかけられた暖かな言葉が心に染み、木場の涙腺が一気に緩んでいく。それを見たガマ警部が仏頂面で言った。


「……ほとぼりが冷めたらさっさと仕事に戻れ。事務作業が終わらんと言って後から泣きついてきても知らんからな」


 ガマ警部が灰皿で煙草を握り潰すと、そのまま木場の方を見ずにさっさと署内に戻って行ってしまった。


「……はい! ありがとうございます!」


 木場の元気のよい声が辺りに響いた。鉛が落ちたように重く沈んでいた心がいつの間にか軽くなっている。強面で、厳しくて、何かにつけて自分を怒鳴ってばかりいるガマ警部。それでもついて行きたいと思えるのは、時折こういう一面を見せてくれるからなのだ。


 木場は大きく伸びすると、今一度空を見上げた。空は青く、どこまでも澄み渡っている。その光景は何も変わらないはずなのに、さっきよりもずっと明るく思える。


「……よし! 行くか!」


 木場は気合いを入れてガッツポーズをすると、駆け足で署内へと戻っていった。

 刑事ドラマの主役を張るにはまだまだ頼りないこの若き刑事。それでも彼には、彼を厳しく、そして暖かく教え導こうとする偉大な監督がいる。その監督の存在があればこそ、彼は自らの舞台に立ち続けることが出来るのだろう。

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遺恨の劇場 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara

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