真相

対峙

 それから数日後、木場とガマ警部は再びスタジオに来ていた。事件当日、中断されたドラマの撮影が再開されるという話を聞きつけたのだ。

 撮影現場を覗くと、ちょうど麗央奈のシーンが撮影されているところだった。黒服を着た男達に囲まれる中、白いジャケットに赤いワンピースを着た麗央奈の姿は一際目立って見える。


「……あいつはとんだけだものだったわ。一度人の弱みを握ったが最後、骨まで食い尽くそうとするんだから……。あいつはあたしにとって悪夢そのものだった。あいつがいなくなればどれほど嬉しいか……考えない日はなかったわ。

 だけど何も出来なかった。あたしは女で、自分にそんな力があるなんて思ってもみなかったもの。

 でも……あの日、もう一度あいつがあたしの前に現れて、あの憎らしい笑みを浮かべた時、あたしは決めたのよ。こんな卑劣な男に人生をめちゃくちゃにさせるわけにはいかない。あいつより先に、あたしがあいつを破滅させてやろうって……」


 麗央奈はそう言って天井を仰いだ。その頬を一筋の涙が伝う。


「ねぇ……あたしは罰せられるのかしら? あの男がどれほど非情だったかはあなた達だって知ってるはず。殺されて当然の奴だったってことはわかってるでしょう? それなのに……あなた達はあたしをボスに差し出すと言うの?」


 麗央奈は胸に手を当て、悲痛な表情を浮かべて黒服の男達に訴えた。男達は困惑した顔で視線を交わしている。まるで本物の告解を聞いているかのような真に迫った演技だ。


「これは……」ガマ警部が呟いた。


「ドラマのラストシーンみたいですね。麗央奈さんの演じる愛人は、緒方が演じていた若頭に弱みを握られ、長年にわたって彼の言いなりになってきたんです。彼女はその苦しみに耐えかねて若頭を殺し、それを組員の前で告白してるってとこでしょうか」木場がドラマのストーリーを思い出しながら言った。


「ふん……それは何とも、皮肉な結末だな」

 

 ガマ警部が渋い顔をして呟いた。




 撮影終了後、セットの周りにスタッフと役者が集められた。役者達はパイプ椅子に腰掛け、その後ろにTシャツを着たスタッフ達が並ぶ。彼らは不安と好奇心を湛えた目で、自分達の前に立つ木場とガマ警部を見つめた。


「お忙しいところ申し訳ありません。本来なら撮影が無事終了したことへのお祝いを申し上げたいところなんですが、今日は皆さんにお伝えしたいことがあって、こうして集まって頂きました」


 木場が関係者を見回しながら言った。スタッフ、役者合わせて総勢約30名。これだけ大勢の前で話すのは始めてなので何だか気が引けた。


「伝えたいこと? だがあの事件の犯人はもう捕まったはずだろ? あの麗央奈さんのファンの奴がさ」


 最前列にいた飯島が尋ね、隣に座る麗央奈の方をちらりと見やった。麗央奈は静かに微笑みを浮かべただけで何も言わない。


「はい、そのはずでした。ですが取り調べの結果、ある重大な事実がわかったんです」


「重大な事実? 何ですかそれは。まさか真犯人がわかったとでも?」


 脇に立っていた西岡が尋ねてきた。表情はあくまでにこやかであるが、木場を見つめる口元は意地悪く歪められている。


「……そのまさかだ。俺達はとんでもない思い違いをしていたことがわかった。こいつが気づかなければ、奴はあのまま裁判にかけられていただろう」ガマ警部が憮然として言った。


「ほう? 天下の警察が誤認逮捕を認めると。私は日本の警察は優秀だと思っていましたが、今日からその考えを改めなければならないようですね。あなた方は無実の若者に危うく殺人の罪を着せるところだった。それがどれほど愚かしいことか……」


「ちょっと西岡さん、お黙りなさいな」

 

 滔々と弁舌をふるう西岡に、麗央奈がぴしゃりと言った。西岡が面食らって次の言葉を呑み込む。


「刑事さんはあたしたちにお伝えしたいことがあっていらしたんですわ。今は警察の失態をあげつらうよりも、刑事さんのお話を聞く方が先ではなくて?」


 麗央奈が西岡にむかって嫣然と問いかけた。西岡はしばらく口をぱくぱくさせていたが、「……そうですね、わかりました」と言って大人しく口を噤んだ。麗央奈は満足そうに微笑むと、前方に視線を戻して木場達の次の言葉を待った。木場は麗央奈に感謝の視線を送りながら、少しだけ心が苦しくなるのを感じた。


「……それでは今から、事件当日、本当にあったことをお話します」




「この事件の鍵となるのは、被害者がいつ殺害されたかでした。被害者は11時に撮影を終えて楽屋に戻り、それから死体が発見される15時まで、ずっと1人で楽屋にいました。このうち、12時から13時までは昼休憩の時間で、その時間にはっきりとしたアリバイのある人はいませんでした。つまり、被害者を殺害するチャンスは誰にでもあったことになります」


 木場が聴衆の前をゆっくり歩きながら話し始めた。スタッフも役者も、緊張した面持ちで木場の話に耳を傾けている。


「自分達は関係者に聞き込みを重ね、被害者の死亡推定時刻を割り出そうとしました。その結果、最後に被害者に会ったのは飯島さんであることがわかりました」


 全員の視線が一斉に飯島に注がれる。飯島は気に入らないと言うようにけっと唾を吐いた。


「飯島さんが被害者に会ったのは昼休憩に入ってすぐ、つまり12時頃のことです。飯島さんはあることで被害者と話をしに行ったのですが、そこで口論になりました。2人が口論している声は、通りがかった西岡さんや、倉庫に隠れていた小幡さんが聞いています。自分達はそのことから、最初は飯島さんが怪しいのではないかと考えました」


「……まぁ、俺はこんな成りだしな。奴を恨んでたのも事実だし、疑われても仕方がねぇよ」飯島が意外にもあっさりと言った。


「はい。ただその後の捜査で、被害者が13時に生きている姿を見たという小幡さんの証言が得られました。その証言により、被害者の死亡推定時刻は13時から15時の間に狭められ、午後からの撮影に参加していた人には殺害は不可能という結論に至りました。では逆に、その時間に自由に動けたのは誰か。可能性が生じたのは西岡さんでした」


 飯島に注がれていた視線が一斉に西岡の方に移った。西岡は何のことやらと言うように肩を竦める。


「被害者の他に、午後からの撮影に参加していなかったのは西岡さんだけでした。西岡さんは被害者とは10年もの付き合いです。何か確執があったとしてもおかしくない。そう考えた自分達は今度は西岡さんを問い詰めました。

 でも西岡さんは認めなかった。もし本当に被害者を殺害するつもりだったら、もっと場所と時間を選んで実行するとあなたは言っていましたね?」


「ええ、当然ですよ。私に言わせれば、この事件の犯人は間抜けという他ないですね。スタジオのような人目につく場所でわざわざ殺人を犯すとは。それもドラマの撮影中にですよ? 証拠隠滅の時間も十分ではなかったでしょうに、これじゃ自分の首を絞めるようなものですよ」


 西岡が両手を広げてせせら笑った。もはや本性を隠すつもりはないようだ。


「正直なところ、西岡さんのその言い分には説得力があるように思えました。今回の犯行は突発的に行われたもので、西岡さん以外にも犯行が可能だった人間がいるのではないか。そう考えた時、新たな容疑者として浮上したのが小幡さんでした。彼は13時に楽屋で被害者の姿を見たと言いましたが、その時間に小幡さん自身が被害者を殺害することも出来た。事実、小幡さんが午後からどこにいたのかは不確かなままでした。

 そこで小幡さんを問い詰めたところ、彼は自白しました。麗央奈さんの楽屋から凶器のスカーフを持ち出し、それを使って被害者を殺害したと……」


 関係者が矢庭にざわつき始めた。ただ1人、麗央奈だけが手を両膝の上に乗せたまま、落ち着き払って木場を見つめている。


「実際、凶器のスカーフには小幡さんの指紋がついていました。それに、13時頃に現場から彼が走り去るところを西岡さんが目撃している。以上のことから、小幡さんの犯行は決定的であるかのように思えました。

 ……ただ、そこで1つ、おかしなことに気づいたんです」


 木場はそこで言葉を切った。今や関係者の誰もが身を乗り出して木場の言葉に聞き入っている。


「現場から逃走したこと理由について最初に小幡さんに尋ねた時、彼はこう言いました。『被害者の楽屋で午前中の撮影の映像が流れているのを見て、その迫力に怖くなって逃げ出した』……と。ただ、彼は実際その映像を見ることは出来ませんでした。何故なら13時の時点で、その映像は楽屋になかったからです」


 関係者が再びざわつき始めた。役者もスタッフも、困惑した顔で視線を交わしている。


「その映像は、西岡さんのカメラで撮影した映像を楽屋のテレビで再生したものでした。ただ、そのカメラ自体が12時50分の時点で西岡さんの元に戻っていた。小幡さんが13時の時点で映像を見ることは不可能だったんです。

 にもかかわらず、小幡さんはその映像の内容を知っていた。その理由は1つしかありません。小幡さんは13時よりも前に被害者の楽屋に入っていたのです」


「おい、ちょっと待て。それだと話がおかしくならねぇか?」飯島が不意に口を挟んだ。


「あいつは13時に緒方が生きているのを見たと言ったんだろ? なのに実際には13時よりも前に楽屋に入った。だったら、13時に緒方が生きてるのを見たのも嘘ってことになるじゃねぇか」


「そう、問題はそこなんです」木場は神妙な顔で頷いた。


「問題は、小幡さんは何故そんな嘘をついたかということですを。もし自分から疑いの目を背けようとしたのなら、13時に被害者を見たと主張することは逆効果になります。その時間、関係者はほとんど撮影に参加していたわけですからね。なのに小幡さんは、敢えて13時に被害者を見たという証言を繰り返していた。その理由は1つしかありません」


「……自分以外の人間を庇っていた」


 麗央奈が目を瞑って囁いた。関係者がはっとして一斉に彼女に視線を注ぐ。


「そう。小幡さんは自分が殺人容疑で逮捕されてもその主張を曲げなかった。彼がそうまでして庇う人間は1人しかいません……」


 木場は痛切な思いで麗央奈を見つめた。いつか見たドラマのシーン、まさかこんな形で再現することになるとは思わなかった。

 木場は一瞬ためらったが、それを打ち消すように首を振ると、まっすぐに人差し指を突きつけた。


「この事件の真犯人……それはあなたです。三木麗央奈さん」

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