核心

「木場、こいつが例のシーンを見たかどうかにそれほど重要な意味があるのか?」ガマ警部が訝しげに尋ねてきた。


「そ、そうですよ。楽屋のテレビで何の映像が流れてたかなんてどうでもいいじゃないですか。何でそんな細かいことにこだわるんです?」


 小幡が便乗し、木場は言葉に詰まった。確かにガマ警部の言うとおりだ。小幡が13時にあの映像を見られたはずがない。その矛盾に気がついて勢いよく飛び込んできたはいいものの、それがいったい何を意味するのかと聞かれると答えられなかった。


「……だが、待てよ。あんたは13時に被害者の楽屋に侵入し、そこであの映像を見たと言った。だが13時にカメラがなかった以上、あんたが例のシーンを見ることは不可能だ。にもかかわらず、あんたは例の台詞を聞いていた……。それはつまり、あんたが13時より前に楽屋に侵入したことを意味しているんじゃないのか?」


 ガマ警部が顎に手を当てて徐ろに言った。小幡の白い顔が見る見る青ざめていく。


「え……つまりどういうことですか?」木場が困惑しながら尋ねた。


「こいつが例の台詞を知っていた以上、どこかでその台詞を聞いたことは間違いない。こいつはあくまでスタジオで聞いたと言い張っているが、もし聞いたのが楽屋だったとしたら、それは緒方の部屋にカメラがあった時間、つまり11時から12時50分の間ということになる。こいつは実際にはその間のどこかで楽屋に侵入したが、何故かそれを認めようとしない。その理由は何だ?」


「それは……」


「よく思い出せ。こいつの証言が捜査にどんな影響を与えた?」


 木場は腕組みをし、身体ごと捻って小幡の証言を思い出そうとした。

 小幡から話を聞いたのは全部で3回。スタジオの捜査をしている際に不審者として捕まった時、西岡の証言により現場からの逃亡を疑われた時、そして容疑者として逮捕された時だ。その中で捜査に影響を与えた証言と言えば――。


「……小幡さんは昼休憩の間、飯島さんと緒方が口論する声を聞いた。それから13時に緒方の楽屋に侵入して、緒方が生きている姿を見たと言った……。それで自分達は、緒方が13時までは生きていたと考えて、午後の撮影に参加していなかった西岡さんに疑いを……」


 そこまで言ったところでようやくある事実に気づき、木場ははっとしてガマ警部の方を振り返った。


「……もし、小幡さんが楽屋に侵入したのが13時より前だったとしたら、13時に緒方の姿を見たという証言は嘘だったことになる。つまり犯行は13時よりも前に行われた可能性がある。もしそうだとしたら今までの前提が崩れます! 午後からの撮影に参加していた人間には犯行が不可能だったという前提が!」


「そう、つまりはそういうことだ」


 ガマ警部は重々しく頷くと、ゆっくりと木場達のいる机の方に近づいてきて、机に両手を突いて小幡の顔を覗き込んだ。


「あんたは13時に生きている被害者を見たということで、午後の撮影に参加していた人間から疑いの目を背けさせようとしたんじゃないのか? まさかその結果、自分が留置場にぶちこまれることになるとは思ってもいなかっただろうがな」


「ち、違います! 僕は本当にあいつの姿を見たんです!あいつが13時に楽屋でテレビを見ているところを!」


 小幡がいきり立ったように叫んだ。あどけない顔がひくひくと痙攣している。


「でも、あのセリフを知っていたということは、あなたが13時よりも前に楽屋に侵入したことを意味しているのでは?」木場が尋ねた。


「違います! 僕はスタジオであの場面を撮影しているところを見たんです!そこで聞いたんですよ。あいつが……緒方が、『ぶっ殺してやる!』って言うのを!」






 その一言が決定打となった。ガマ警部は驚愕に目を丸くし、木場は小さく息をつき、憐憫をこめた目で小幡を見下ろした。室内が一瞬にして静まり返る。


「な、何ですか。急に黙り込んで……。僕、何かおかしなこと言いました?」小幡が急に不安そうな顔になって尋ねてきた。


「お前……自分が何を言ったかに気づいていないのか?」ガマ警部がぼそりと言った。


「え……?」


 小幡はびくびくしながら警部と木場の間で視線を左右させている。かわいそうに、自分がどんな失態を犯したかに気づいていないのだ。でもこれでいい。これでようやく、彼の嘘を暴くことが出来る。


 木場は大きく息を吐き出すと、小幡に向かってゆっくりと言った。


「小幡さん、あなたは言いましたね。緒方が『ぶっ殺してやる!』というセリフを言うのを撮影現場で聞いたって」


「は、はい……。それが何か?」


「あのセリフは緒方のものじゃありません。飯島さんのセリフなんですよ」


「え……?」


 小幡の顔が一瞬にして引き攣った。下手な嘘がばれて狼狽する子どものようだ。


「自分とガマさんもあの場面の映像を見ました。飯島さんの迫力のあるあの演技……一度見たら忘れられるはずがない。でもあなたは、そのセリフを緒方のものだと言った。本当にあの場面を見たのなら、そんな勘違いをするはずがありません!」


 木場は机に手を叩きつけると、勢いよく立ち上がった。小幡がびくりとして身を引く。


「あなたがスタジオであのセリフを聞いたというのは嘘だ。なのにあなたはあのセリフを知っていた。だったら考えられる可能性は1つしかありません。あなたは12時50分よりも前に楽屋に侵入した。そしてあの場面が流れるのを見た……いや、聞いたんです」


「聞いた、だと?」ガマ警部が訝しげに口を挟んだ。


「はい、実際に映像を見たのなら、緒方があのセリフを言ったなんて勘違いをすることはありません。小幡さんはあの映像の音声だけを聞いたんです」


「だが、あの部屋のテレビはかなりの大型だ。楽屋に入れば嫌でも目につく。映像を見逃すことはあり得ないと思うが?」


「それは……そうですけど」


「だが、こいつが台詞の主を勘違いしていたということは、映像を見ていないことも確かなようだ。いったいどういうことだ?」


 ガマ警部が腕組みをした。間もなく10分が経過しようとしている。このままでは事態は何も変わらない。確かに小幡の嘘は明らかになった。13時に被害者の楽屋に侵入したことも、例の台詞を聞いたのがスタジオだという証言も全て嘘だった。小幡は実際には12時50分よりも前に楽屋に侵入し、そこで例の台詞を『聞いた』。その意味するところは――。


 その時、ある考えが木場の脳裏に浮かんだ。それは受け入れがたい考えだった。今まで自分が信じてきたものが足元から崩れ去るような、どうか夢であってほしいと祈りたくなるような、そんな信じがたい考えだった。だがそれしか考えられなかった。小幡がここまで嘘を重ねる理由。そして、楽屋で映像を見なかった――いやむしろ、映像が目に入らなかった理由。


「……小幡さんは、現場で他のものを目撃したのかもしれません」


 木場がぽつりと言った。ガマ警部が訝しげな視線を寄こした。


「あの映像とは比べ物にならないほど、生々しい何かを……。そこで小幡さんは知ったんです。誰が緒方を殺害したかを……」


「何? 木場お前、まさか……」


 ガマ警部が目を剥いた。木場がゆっくりと頷くと、小幡の方に向き直った。


「小幡さん……あなた本当は、現場で何を見たんですか?」


 小幡は答えなかった。死刑執行を待つ囚人のように項垂れている。


「……受け入れられないことはわかります。ついさっきまで、自分もそんなこと考えもしませんでした。でも、そう考えると全ての辻褄が合うんです。あなたがどうして自分に不利になるような証言をしたのか、どうしてあれほど嘘を重ねたのか……」


 小幡はなおも答えなかった。真実を受け入れることを拒絶しているかのように。木場は重ねて言った。


「大切な人を守りたい……。その気持ちは痛いほどわかります。自分もかつて、同じような気持ちを感じたことがありますから。でもだからって……あなたが自分を犠牲にしようとすることを見過ごすことは出来ません。あなたがこれからの一生を殺人犯として生きていくなんて……絶対にあっちゃいけないなんことです」


 小幡はやはり答えなかった。だが、その小さな肩がかすかに震えているのがわかった。


「……僕は」


 不意に小幡がぽつりと言った。耳を澄ませなければ消えてしまいそうなほどのか細い声。


「僕は……取るに足りない人間です。いなくなったって誰も気にしやしない……。でも、あの人はそうじゃない……。だから僕は、僕は……」


「小幡さん、それは違います」


 俯いたまま、絞り出すように漏らした小幡に対し、木場がきっぱりと言った。小幡がようやく顔を上げた。

 木場はじっと小幡を見つめると、諭すように言った。


「小幡さんは取るに足りない人間なんかじゃありません。もし本当にそうだったら、自分は調書の作成を中断してまで話を聞こうなんて思わなかった。あなたが殺人なんかする人間じゃないと信じていたから、自分は今こうしてあなたと話をしているんです。

 小幡さん、あなたのことを心配してる人が誰もいないなんて思わないでください。少なくとも自分は、小幡さんがいなくなったら寂しい……。それはきっと……彼女も同じだと思います」


 小幡がはっとした顔になった。その表情が全てを物語っていた。木場は小幡に憐憫を感じながら、それでも静かに言った。


「あなたにとって彼女が必要であるように、彼女にとってもあなたが必要なんです。そんなあなたが罪を被ったと知ったら……彼女はきっと苦しむことになる。

 小幡さんはただ彼女を守りたかったのかもしれない。でも……あなたのしていることは……ただ彼女を悲しませているだけなんですよ」


 その言葉が運命を決した。小幡は電池が切れたように動きを止め、そのままがっくりと首を垂れた。しばらくその格好でいた後、やがて膝の上にぽつぽつと涙を零し始めた。それが皮切りになったかのように、そのまま机に突っ伏して慟哭を上げ始めた。

 大切なものを守れなかった無念を、自らの至らなさを、痛いほどにその叫びの中にこめて。

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