捜査

撮影現場

 5月25日の午後4時過ぎ、高層ビルが立ち並ぶ道路の真ん中を、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーが何台も通り過ぎていく。パトカーはとあるビルの前で停車し、車内から飛び出してきた警官達が慌ただしく入口に向かって走っていく。


 その集団の中に見覚えのある2人の刑事の姿があった。ずんぐりとした体格にいかつい顔をした中年の刑事と、小柄で童顔な若い刑事。蒲田次郎がまたじろう警部、通称ガマ警部と、その部下である木場隆史きばたかし刑事だ。


 刑事になって今年で30年を迎えるガマ警部は、今年の春から捜査一課に配属になった木場とペアを組んで捜査に当たっている。だが、木場はただでさえ童顔で被疑者にナメられやすい上に、刑事らしからぬミーハーな言動が目立ち、ガマ警部はいつも指導に頭を悩ませていた。だがこの若い刑事は、つい1ヶ月前にはとある殺人事件を解決に導いており、刑事としての素質が皆無なわけではないと警部は考えていた。


 ビルの入口を見張っている警官の前まで来たところで、ガマ警部が慣れた手付きでジャケットの懐から警察手帳を取り出した。警官はぴしっと敬礼をし、黄色いテープを外して2人をビルの中へと通した。広々としたロビーの真ん中には掲示板があり、放映中のドラマや近日公開予定の映画のチラシが所狭しと貼られている。


 その真ん中にある一際目立つポスターが今回上演されるはずだったドラマだ。『アウトサイド』。暴力団の若頭である主人公と敵対勢力との対決とを描いたドラマで、主人公を始めとしたヒール系の役柄がどれもはまり役ということで話題になっていた。主役である男の左側では、男の愛人である美しい女が婀娜めいた笑みを浮かべている。一方、男の右側では、敵対勢力に属する下っ端の若い男が睨みを効かせている。3人とも売れ筋の役者で、特に主演女優は木場も大ファンの女優だった。


「いやーいいですね! こんな有名な役者が出てるドラマの撮影スタジオに来れるなんて! サインもらえないかなぁ」

 

 木場が興奮気味に言った。すかさずガマ警部の鋭い視線が飛ぶ。


「おい木場、現場で浮かれるなと前から言っているだろうが。俺達は遊びに来てるんじゃない。事件の捜査に来てるんだ。お前はいつになったら刑事としての自覚が持てるんだ?」


 唸るようなガマ警部の怒声が高揚した木場の気分を一気に萎ませた。のっけからキツい一発を食らわされ、木場がしゅんと肩を窄める。


「すいません、またやっちゃいました。有名人に会えるかもって思ったらつい浮かれちゃって……」


「まったくお前は……しっかりしろ。事によるとその有名人どもに取り調べをする可能性もあるんだ。いつまでもファンの気分を引き摺るな」


「……そうですよね。今回の事件は殺人ですもんね……」


 木場が沈んだ表情で言った。スタジオで死体が発見されたということで警察に通報が入ったのが今から約1時間前。死体には首を絞められた後がはっきりと残っており、他殺であることは明らかだった。


「そうだ、俺達は何としてでも犯人を捕まえねばならん。そのためには一瞬たりとも気を抜くことは出来ん」


 ガマ警部が前方を見やり、正面のエレベーターに向かってずんずんと近づいていってボタンを押した。階数表示が点滅を始める。


「でも本当なんですか? 今回の被害者が、あの緒方勇吾おがたゆうごだって……」木場が声を潜めて尋ねた。


「そうらしいな。俺は芸能人には疎いが、奴が出演していたドラマを妻と娘が一緒になって見ていたから顔くらいは知っている。女にはかなり人気があったようだな」


「うちの妹も、彼が出る番組を全部チェックして録画してましたよ。相当熱を上げてたみたいで、彼になら騙されてもいいっていつも言ってました」


「ふん……俺には到底理解できん趣味だな」


 ガマ警部が面白くもなさそうに言った。その時エレベーターが到着し、2人は会話を終えて中に乗り込んだ。


 緒方勇吾おがたゆうごは、今年で33歳になる人気絶頂の俳優だ。誘いかけるような切れ長の二重瞼の瞳と、囁きかけるようなテノールの声が幾多の女性を魅了し、小学生から主婦まで幅広い人気を博している。身長は184センチ、体格はがっしりとしていて肌は浅黒く、その男らしい風貌がまた世の女性の心を摑んでやまなかった。


 もちろん演技力にも定評があり、とくにニヒルな悪役をやらせたら彼の右に出るものはいないと評判だった。一方で女性関係の噂が絶えず、彼に遊ばれた挙げ句に捨てられたという女性が何人もいたが、その多くは事実無根な噂として片づけられていた。おそらく事務所の立ち回りが上手いのだろう。おかげで緒方はスキャンダルに悩まされず順調にキャリアを重ねていたが、そんな彼に恨みを抱く女性がいたとしてもおかしくはなかった。


 エレベーターが上昇していき、5階に達したところで扉が開いた。途端に撮影機材に囲まれた薄暗い倉庫のセットが視界に飛び込んできた。セットの周辺にはTシャツ姿のスタッフが何人も立ち並び、途方に暮れた顔で刑事達の事情聴取を受けているのが見える。木場達がその方に近づいていくと、2人に気づいた1人の刑事がぱっと振り返って敬礼をした。


「警部殿! ご到着でしたか!」


 量産型のグレーのスーツにトレードマークの黒縁眼鏡。木場の先輩に当たる渕川ふちがわ刑事とは彼のことだ。刑事になってもう10年が経つが、未だに巡査部長に昇任する見込みはないらしい。


「渕川、捜査の進捗はどうなっている?」ガマ警部が尋ねた。


「はっ! 自分達も30分ほど前に到着したところでして、まずは関係者への聞き込みを始めているところであります! 現場の調査は鑑識の方で進めているかと」


「そうか。それで、事件の概要は?」


「はっ! 本日このスタジオでは、ドラマの最終回の撮影が行われておりました。撮影は朝の9時から始まり、12時から1時間の休憩を挟み、13時から再開されました。被害者である緒方勇吾はドラマの主演でしたが、11時から15時までの間は出番がなかったため、自分の楽屋で休んでいたそうです。その後、15時から再度休憩が入り、緒方のマネージャーが彼を楽屋へ呼びに行ったところ、絞殺された死体を発見したというわけです」


「となると、殺害時刻は11時から15時の間ということか……。その間、被害者の姿を見た者は?」


「スタッフの中にはいないようです。役者やマネージャーへの聞き込みは今行っている最中ですので、そちらで誰か見た者がいるかもしれません」


「よし、後で俺達も聞き込みに向かうとしよう。凶器は何だ?」


「まだ見つかっておりませんが、被害者の首の傷跡から、細い紐状のものと思われます。現在、鋭意捜索中であります!」


「行方不明の凶器か……。見つかれば捜査が大きく進展するかもしれんな」


 ガマ警部が呟いた。その隣で、木場は聞き取った情報を必死にメモに取っていた。


〇木場の捜査メモ

被害者   緒方勇吾、主演俳優。

殺害日時 5月25日 11時~15時

殺害現場 被害者の楽屋

死因    絞殺

凶器    細い紐状のもの。現在捜索中

第一発見者 被害者のマネージャー


「でも自分が主役のドラマなのに、出番じゃなかったらすぐ楽屋に帰るなんて、なんか勝手な人ですね」木場が眉を顰めた。


「被害者はそういう傍若無人な振る舞いが目立つ人物だったようです。自分以外の人間には全く興味がなかったとか」渕川が答えた。


「はぁ……そんな人間のために捜査するのって何だか嫌になりますね」木場がうんざりした顔でため息をついた。


「被害者がどんな人間かは関係ない。俺達はただ事件の解決に向けて捜査をするだけだ」ガマ警部が淡々と言った。「それで、役者とマネージャーはどこにいる?」


「それぞれの楽屋で待機させております。楽屋はスタジオを挟んで北側と南側にあり、北側の広い楽屋には主役級の役者が、南側の小さな楽屋にはそれ以外の役者に部屋があてがわれているようです。こちらがスタジオの見取り図であります!」


 渕川はそう言ってスーツのポケットから四つ折りにした用紙を取り出した。ガマ警部が用紙を受け取って広げる。

 撮影セットの北側を見ると、西から東にかけて廊下があり、横一列に3つの楽屋が並んでいる。そして、右端の楽屋の角を北に曲がったところに倉庫があり、そのさらに奥にもう1つの楽屋がある。

 横に3つ並んだ楽屋にはそれぞれ名前が書き込まれている。左端の楽屋Aが『三木麗央奈みきれおな』、隣の楽屋Bが飯島譲司いいじまじょうじ』、その隣の楽屋Cは()書きで『西岡泰弘にしおかやすひろ』。西岡という役者は聞いたことがなかったので、おそらくこれが被害者のマネージャーなのだろう。

 そして、倉庫の隣にある楽屋Dが『緒方勇吾』、すなわち事件現場だ。舞台への出入り口は、廊下の西と東に一カ所ずつ。西側の入口には楽屋Aが、東側の入口には楽屋Dが最も近い。


「聞き込みは南側の楽屋から行っておりますので、警部殿は北側の楽屋から始めて頂けると助かります」渕川が言った。


「よしわかった。では早速行くぞ、木場」


 ガマ警部は見取り図をポケットに押し込むと、さっさと楽屋の方に向かって歩いて行った。木場も慌ててその後を追った。

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