転生したら薬物中毒のホストになっていた件(4)
店内に、重く息苦しい空気がたちこめる。
一体、『メンヘラ落とし』とはいかなるゲームなのか……。
店長が、指をぱちんと鳴らすと、数人のホストが店の奥へと入っていく。やがて、獣のような呻き声と、金属同士が打ち合うような音が聞こえてきた。
間もなく店の奥から現れたホストたちは、大きな黒い布が被せられた何かを、台車で運んできた。皆、一様に怯え、少しでもその何かから体を遠ざけようと、目いっぱい何かを運ぶ腕を伸ばしている。
僕は、いつも飄々としている店長が、脂汗を流している姿を初めて見た。店長は、まるでその何かを刺激しないように注意を払っているかのように、ゆっくりと、ゆっくりと近づいていく。
そして店長は、何かを覆う黒い布を取り去った。
中から現れたのは、頑丈な鉄格子に閉じ込められ、飢えた眼でこちらを見つめる一匹の猛獣―――メンヘラ女だった。
「ひ、ヒイイイッ!」「店長、俺たちを殺す気かよおっ!」「いくら仏飛丸さんや鯛魔でも、これは無理だっ!」「に、逃げろおっ!」
ホストたちが口々に叫び、店から逃げていく者もいた中、僕はわずかな違和感を覚えた。そうだ、このくだりでいつも出てくるはずの、南無はどこに行った……?
「てめえ、よくも仏飛丸さんを裏切ってくれたな!」
阿鼻叫喚の中、微かに聞こえた怒声に僕が気付いた時には、南無は仏教徒たちの手によって、鉄格子の中に入れられていた。
「や、やめろ!許してやれ!」
僕の声も、仏教徒たちには届いていないようだ。南無は必死に鉄格子の扉を開けようとするが、仏教徒たちが外側から必死に押さえつけており、ぴくりともしない。
南無の背後で、メンヘラ女がゆらりと立ち上がった。
「南……南無……」
南無が経を唱える。だが、メンヘラ女には何の効果も無かった。
「アタシダケヲ見テ……」
そう呟いたメンヘラ女が、南無の心臓に向かってその手を伸ばす。やめろっ……やめてくれっ……!
「南無ぅっ……!南無ぅっ……!」
南無が涙ながらに懇願する。だが、誰一人として南無を助けようとはしない。ホストにとって、派閥を裏切るということは、それ程までに重い罪なのだ。
そして……。
「南……南……南っ無ううううううううううううううううう!!」
メンヘラ女の手によって、南無の左胸ポケットから、スマホが取り出された。
「仏飛丸……残念だが、こうなっちゃ南無はおしまいだ」
ナビが沈痛な面持ちで、僕の肩に手を置いた。
その場でFaceIDを解除し、パスコードを書き換えたメンヘラ女は、家に帰った後、登録されている女性と思しき連絡先に、スマホの持ち主を装い片っ端から罵詈雑言を浴びせかけ、絶交まで取り付けた後に連絡先を消すのだという。
南無は全ての顧客を失うだけでなく、その悪評は瞬く間に六本木中に拡散するだろう。
この日、ホストとしての南無は、死んだ。
オーナーや店長は、苦々しい表情をしている。当然だ、南無を失うということはつまり、南無の超太客である、瀬戸内寂聴を失うことと同義だからだ。
全ては南無自身の身から出た錆ではある。ただ、僕はそこまで非情にはなりきれなかった。確かに南無は軽率だったかもしれない、でも、だからと言って、こんな所で命を落として良い男でも無かった……。
僕は南無のために、誰にも気付かれないよう、そっと手を合わせた。
「それではルールを説明しよう」
じっとりと、湿った空気が僕たちの肌に纏わりつく中で、店長が再び口を開いた。僕は必死に頭を切り替える。今は南無のことを忘れて、目の前の男……鯛魔を倒すことだけに集中するんだ!
「『メンヘラ落とし』は、この〈Another World〉史上最悪と謳われるメンヘラ女、
なるほど……。何が彼女の自傷行為のトリガーになるか分からない以上、慎重に攻める必要がある。しかし、慎重になり過ぎてお金を使ってもらえなかったら本末転倒だ。
ホストとしての、押し引き加減のバランス力が問われるゲームってわけか……。
「制限時間は3時間だ。それでは、『メンヘラ落とし』……スタート!!」
そして、戦いの火蓋が切られた。
僕と鯛魔、そして鬼瑠々は、店の奥にある
鬼瑠々を挟んで座った僕と鯛魔は、早速鬼瑠々へのアプローチを始める。
「お腹、空いてませんか?フルーツとかお好きですか?」
馴染み客でない鬼瑠々に対しては、仏飛丸の口調を真似る必要はないと判断した僕は、素の口調で接することにした。僕の口調に、一瞬驚いた様子を見せた鯛魔だが、すぐに気を取り直し、鬼瑠々に肩を寄せる。
「なあ、まどろっこしい話はなしだ。俺を勝たせてくんねえか?そしたら、俺の心はお前のもんだ……」
ハスキーボイスで甘く囁く鯛魔の方を、鬼瑠々が見る。
「ドンペリ……イレテ」
いきなりドンペリだとっ……!?
鯛魔がニヤリと口の端を持ち上げた。
「あ、あのっ。僕も何かいただいて良いですか?」
「オレンジジュースデモ飲ンデナ、ボウヤ」
まずい、
運ばれてきた酒を、豪快に煽る鯛魔。鬼瑠々も一口飲み、満足気に微笑んだ。
それからも、軽くあしらわれる僕を尻目に、鯛魔は順調に売り上げを伸ばしていき、開始一時間が経過した所で、注文額には40万円以上の差が開いていた。
と、ここまで相槌と注文くらいしか口を開くことのなかった鬼瑠々が、初めて僕たちに質問を投げかけた。
「ワタシノ、ドコガ好キ?」
面食らった僕に対し、鯛魔は素早く答える。
「顔も体も、一目見た時から全部好きさ。俺の勝利の女神になってくれる所も、な」
男の僕でもくらっとする、強烈な色香。これが、歌舞伎町のホスト……。
でも、僕だってこの五日間、遊んでいたわけじゃない。観察しろ、鬼瑠々を。今、彼女はどんな言葉を求めているのかを!
「好きじゃない」
内心の怯えを押し隠して、僕ははっきりとそう告げた。鬼瑠々が、驚いたような表情でこちらを振り返る。その口が開く前に、僕は鬼瑠々の頬にそっと手を添えた。
「僕以外の男を見る鬼瑠々なんて、好きじゃない。だから、僕だけ見ててよ」
鬼瑠々が、微かに頬を染めた。そして、頬に添えられた僕の右手に、自身の左手を重ねる。
「……ドンペリ、ゴールドデ」
ノーマルドンペリよりもはるかに高級な、ドンペリゴールド……ッ!〈Another World〉での価格設定は50万円。鯛魔を逆転したっ!
ここから、一気に形勢は僕へと傾いた。先程までは明らかに鯛魔へ興味を示していた鬼瑠々が、僕の方を向いて会話するようになった。
これに焦った鯛魔が、これまで以上に俺様キャラで攻めようとするも、ことごとく裏目に出てしまい、気付けば僕の売り上げは200万円を超え、鯛魔に50万円程の差をつけていた。
残り時間は一時間を切った。このまま行けば、僕の勝利だ!
ここで、鬼瑠々から静かに席を立った。
「チョット、オ手洗イニ……」
二人残された僕と鯛魔。互いに話すことなどなく、ただ気まずい沈黙が流れる。
するとそこに、鬼瑠々が席を立つタイミングを見計らっていたかのように、店長が現れた。
「すまん、仏飛丸、鯛魔。実は今、
背麗鰤茶魔堕夢とは、〈Another World〉イチの太客である女性の名だ。彼女はいまだに誰も本指名せず、不定期に店に現れては、一晩でとんでもない金額を使って去っていく。
もし鯛魔が彼女の本指名を得られれば、店のNo.1は先月だけでなく、盤石となるだろう。そのため鯛魔にとっては、以前から何としても自分のものにしたい女性だったはずだ。
僕らが返事を迷っていると、いつの間にか鬼瑠々が戻ってきていた。
「ハナシハ、聞コエテイタワ」
僕が差し出したおしぼりを受け取ってから、鬼瑠々が続ける。
「ワタシハ大丈夫ダカラ、行ッテキテ」
「あ、ありがとうございます!」
僕は礼を言うと、席を立った。だが、鯛魔はその場から動かない。
「ほら、鯛魔。今は一時休戦だ、行こう」
「一人行きゃ十分だろ。俺はここに残る」
そう言って、背もたれに体重を預ける。どうやら本当に行く気は無いらしい。
その態度に違和感を覚えつつも、店長に急かされた僕は、もう一度鬼瑠々に礼を言ってから、VIPルームを出ようとした。
その時だった。
―――スパァンッッ!!
何かが切り裂かれる音がした。嫌な予感がした僕は、恐る恐る振り返る。果たして、そこには予想通りの光景があった。
「……失望シタワ、ブットビマル」
鬼瑠々が僕を見つめる眼は、先程まで和やかに談笑していたのが嘘であったかのように、冷たく、色を失っていた。
そして、その鬼瑠々の右手首には、一筋の
「メンヘラ女ハ、例エドンナ事情ガアロウト、ジブンガ最優先ジャナキャ嫌ナノ」
「そういうことだ、仏飛丸。ちなみに魔堕夢様の件は嘘だ。これは、鬼瑠々が考案した仕掛けだったのだよ」
店長の言葉も、僕の耳には届かなかった。僕の売上金は、リセット。あまりに絶望的な差だ。
「落チ着イテイルヨウニ見エテモ、イツ爆発スルカワカラナイ……メンヘラヲ甘クミタワネ」
膝から崩れ落ちた僕の頭に、鬼瑠々の言葉と鯛魔の哄笑が降り注いだ。
鯛魔との差は、165万円。タイムリミットは、あと50分―――。
(短編集のくせに、まだまだ)つづく
水無月トニーの嘘 水無月トニー @okabe-ryo
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