媼憑(3) ※ガチホラー注意
食事を終えた私たちは、一息ついてから寝ることにした。
両親と川の字になって床についたのは、小学校三年生以来だ。といっても、今日は私が端っこだ。何となく、窓の近くが良かった。
外から聞こえてくる鈴虫の音と、先程飲んだ熱燗が、一気に私を眠りの世界へと誘った。
その晩、私は夢を見た。
夢の中で、私は暗い部屋に閉じ込められている。体育座りをして、何かに怯えている。
部屋には、私を囲うようにして、四つの
時折火が大きく揺れ、その度私はびくりと肩を震わせ、一層強く膝を抱きかかえる。
ふと、私の正面にあった蝋燭の火が、何の前触れもなく消えた。
私は、背後に何かの気配を感じた。
右隣の蝋燭も消えた。
気配が近づく。
左隣の蝋燭も消えた。
首元に、生温い風が当たる。
後ろの蝋燭は――消えていない。
私の影が、目の前に見えるから分かる。
けれども……私の影に、もう一つ、何かの影が重なっているように見えるのは、気のせいだろうか?
私はその場を逃げ出そうと、足に力を込める。だが私の足裏と尻が床に接着されたかのように、ぴくりとも動けない。
影が、大きくなる。
私は目を閉じることすら出来ず、ただ私に迫る背後の気配を感じながら、恐怖に怯える。
そして。
最後の火が消えた。
そこで、私は目を覚ました。
背中はべっとりと汗で濡れ、喉がからからに渇いている。致し方あるまい、本当にひどい悪夢だった。
私はひどく心細い気分になり、この年になって親に甘えるのはどうか、という小さなプライドをかなぐり捨て、父と母の間へと移動しようと、そっと立ち上がった。
背後から、生温い風が私の首を撫でた。
私は、振り向いてしまった。
そこには、にたりと口をあけた、老婆が佇んでいた。
「――ッ、あ、うっ――、うあっあああ!!」
声にならない叫びを上げながら、私はどすんと尻餅をついた。
その音を聞いて跳ね起きた両親が、ただならぬ様子の私を見て、肩をゆする。
おい、大丈夫か。
こっちを見ろ。
だが私には両親の声は届かなかった。ただ、金縛りにあったように、目の前の怪異から目を離すことが出来なかったのだ。
身の丈1m50cm程の老婆は、背を丸め、ほとんど九十度に曲げた首を私の方に突き出している。
恐ろしいのは、その顔だ。硫酸を浴びせられたかのように、爛れ、腐り落ちかけたような顔は、その身の丈に反し大型トラックのタイヤ程のサイズがあった。
その巨大な顔は、目尻が耳のあたりまで垂れ下がり、口元は大きく左右に裂け、何とも言えぬ醜悪な形相をしている。
笑っている、のだろうか。
私ははっとした。
そうだ、今日は祝詞を唱えていない!
「たっ……高天の、は、原にっ。神留り、ますっ、神漏岐・神漏美の、み、命以て、皇御祖神伊邪那岐命、つか、つ、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に……」
歯の根が合わず、何百、何千と繰り返してきたはずの祝詞が、思うように唱えられない。それでも私は必死に、目の前の怪異に「消えろ」と念じながら、祝詞を唱え続けた。
だが、老婆はその気味悪い笑みを浮かべたまま、私にそっと手を伸ばしてきた。そして、しわがれ、ひび割れたその手で、私の首を掴み、締め上げてきた。
「――ッ!――、――――ッ!!」
私は必死にその手を引きはがそうと、老婆の腕を掴もうとする。だが、何度やっても私の手は老婆の腕を空しくすり抜け、その先にある私の首を掻き毟ることとなる。
泡を食った両親が、旅館のフロントに救急車を呼ぶように要請した。また父は、首を掻き毟る私の腕を必死に押さえつけながら、落ち着け、とか、こっちを見ろ、とか、とにかく私に叫び続けていた。
父さん、祝詞だ。祝詞を……。
鼻先が触れるほど、老婆の顔が近付く。ぎょろりと飛び出した眼球が私を見つめ、口元が歓喜に歪んでいる。
私はようやく思い至った。
夢に見た、あの四本の蝋燭は、生れ落ちることすら許されず、無念のままにこの世を去った、
ちくしょう、ちくしょう……。
ぎりぎりと、私の首を絞める力は増していく。視界がゆっくりと、白くぼやけていく。老婆が
「…………し……っ、し、お…………」
私は腹の底から全てを絞り出すようにして、その二文字を発した。
そして、私の意識は途切れた。
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