珍味!シェスネイク!(4)
帰国後、私は元通り、心にぽっかりと空洞を抱えたまま、ただ無目的に時間を浪費する日常へと戻りました。
無味乾燥、とは言い得て妙です。
何を食べても味気なく、食事はただ呼吸を続けるためのカロリー摂取でしかなくなり、肌が潤いを失っていく。
究極の食材を追い求めて旅をした結果がこれとは、何とも皮肉な話です。
見かねた同僚達から、ある日合コンに誘われました。
興味など欠片もありませんでしたが、もしかしたら彼女を忘れるきっかけになるかもしれないと、藁にもすがる思いで、その誘いを受けました。
それから数日後、二十連勤を終えた私は、同僚主催の合コンへと参加しました。
新橋駅から歩いて五分ほどの、ワインの品揃えを売りにしたバルで開かれた三対三の合コンのお相手は、本当に飲酒をして良いのか疑わしいような、若い看護師の方々でした。
こうした場に慣れているのか、特に緊張した様子もなく、淀みない女性陣の自己紹介が終わった後、私たちは乾杯しました。
いくら心に穴が開いているとはいえ、同僚の厚意を無碍にするようなことは出来ません。
私は本心を押し殺し、営業スマイルを貼り付けて、必死に会話を楽しむふりを続けました。
一時間も経つと、酔いが回ってきたのか女性陣の目がとろんとしてきました。
その視線が、値踏みをするように私たちの顔を行き来します。
やがて三つの視線は、私に止まりました。
「てかぁ、結構鍛えてますよねー?わたし、ちょっと筋肉フェチ入っててー」
右端の女性が、私の右腕を指さします。
「わかるーわたしもー。血管浮き出てるのとかいいよねー」
「それー。注射打ちやすそーとか思う」
「あはっ、あんたそれ筋肉フェチと違うから!」
私が何かを答える前に、三人の女性がきゃっきゃと盛り上がったので、私はとりあえず愛想笑いをしました。
ひとしきり笑ってから、真ん中の女性が、何故か両端の女性と腕を組みながら、再び私に質問します。
「でー、体鍛えてるんですかー?」
「ええ、今は全然ですけど。少し前に鍛えてました」
「なんでー?」
「ペルーのアマゾンに行ってて。死なないように鍛えてました」
「何それウケる!」
右端の女性は天を仰ぐように、真ん中の女性は手を叩いて、左端の女性は医者に喉を見せている時ほどの大口で、それぞれ笑いました。
そんな様子を眺めながら、私は女性たちの名前が出てこないことに、少しだけ焦っていました。質問をし返して、自分の話題から離れたいのに、全員名前が分からない。
案の定、私がもたついている間に笑いが収まってきた彼女たちから、更に追求が続きます。
「なんでそんなとこ行ったのー?」
「ちょっと、食材を探しに」
「え、やばいやばい!食材探しにアマゾン行ったとか、この人やばいって!」
げらげらと笑う女性たち。
私は、この中の誰かに恋をして、彼女のことを忘れることができるのでしょうか。
恐らく無理でしょう。
決して目の前の女性たちに魅力がないわけではないのです。
明るく、フレンドリーで、華やかな見た目をしていて、きっと彼女たちを手に入れたいと願う男性は、星の数ほどいるはずです。
なのに、やっぱり私には、彼女しかいないんです。
私は二次会の誘いを丁寧に断り、同僚たちへのお詫びを込めて少し多めに会計を払うと、一人駅へと向かいました。
金曜の夜の山手線は、話し声とアルコールのにおいで満たされています。
吊革に掴まった私は、サイドにある車内ビジョンに流れるニュースを、ぼーっと眺めていました。
人気俳優の自殺、総裁選挙の行く末、相次ぐ企業倒産による雇用問題……暗い文字が次々に現れては消えていきます。
そうして数十分が過ぎ、降車駅が近づき窓の方を向き直ろうとした私の目に、そのニュースは飛び込んできました。
『回転寿司チェーン大手【すし食いねぇ!】が謎の新メニューを販売!?』
『幻の食材を用いた、唯一無二の寿司。この世のものとは思えない美味さ』
私の意識は一気に覚醒しました。
『すし食いねぇ!』。それは、彼女がこよなく愛したプリンのある、あの店なのです。
「幻の食材」、そして「この世のものとは思えない美味さ」……この二つのキーワードが一致したのは、偶然でしょうか?
電車を降りた私は、階段を駆け下り、改札を飛び出ると、一直線に走りました。
『すし食いねぇ!』が私を呼んでいる。そんな不思議な感覚がありました。
理由は分かりません。でも、私はその感覚に従いました。
ラストオーダーはあと十五分。間に合え。
私は、額に汗をにじませながら、『すし食いねぇ!』に辿り着きました。
閉店間際に、息を切らせながら駆け込んできた客を、店員が不思議そうに見ます。
「すみ、ませんっ…ま、まだ…やってますかっ?」
「あの、もうラストオーダーになっちゃうんですが…」
「一品だけで、良いのでっ。あの、謎の新作メニュー、ってやつを…」
「あ…申し訳ありません。新作メニューは、来週からなんですよ…」
「あ…そう、なんですか…」
どうやら勇み足だったようです。
私はぺこりと頭を下げて、『すし食いねぇ!』を後にしました。
駅からの全力疾走で、まだ飛び跳ねている心臓を押さえながら、とぼとぼと帰路につきます。
……と、ややあって私を追いかける足音が聞こえてきました。振り返ると、先程応対をしてくれた店員でした。
「あの、すみません。これから、スタッフで新作メニューの試食会なんですが、よろしければご一緒にいかがですか?」
「えっ。でも、そういうのって関係者以外は駄目なんじゃないですか?」
「普通はそうなんですけど。上の者が、あなたにぜひ食べて欲しいと」
「はあ…では、お言葉に甘えます」
ただならぬ様子で店に現れ、新メニューを求めた私に同情してくれたのでしょうか?
ともかく、私は厚情に感謝しながら、店員に続いて店へと戻りました。
ちょうど、最後に残っていた客も会計を終える頃で、私はそのままカウンターへと案内されました。
出されたお茶を飲みながら五分ほど待っていると、店の奥から、まるで高級フレンチ料理のように、大きな蓋が被された、直径30センチほどの皿が運ばれてきました。
一体どんなものが出てくるのか、と身構える私の目の前で、その蓋が開けられました。
中からは出てきたのは、一貫の軍艦巻きでした。
その軍艦巻きを見た私は、まるで心臓を鷲掴みされたように、強い胸の疼きを感じました。
その、軍艦巻きの上に乗っていたのは。
一匹の、ヘビだったのです。
私は言葉を失ったまま、暫くただその軍艦巻きを見つめていました。
良く見ると、ネタは本物のヘビではなく、何種類もの海鮮をパズルのように組み立て、ヘビを模して作られたものでした。
ですが、そんなことはどうでも良いのです。
幻の食材。
この世のものとは思えない美味さ。
ヘビ。
もう、偶然とは思えません。
「これは……?」
私は、呟くように問いました。
しかし、数秒待っても、誰も答えてくれません。
訝んだ私が顔を上げると、そこには軍艦巻きを運んでくれた板長らしき人は、もういませんでした。
ですが。
代わりに、いたのは。
「当店自慢の新メニュー。『シェスネイク』でございます」
目尻に涙を浮かべた、一人の女性でした。
「なん、で……」
「戻って、きちゃった…」
夢ではありません。
彼女が、目の前にいる……。
「ずっと後悔してたの。あの時、親に逆らう勇気がなくて、あなたから離れたこと。でも、どうしても忘れられなかった……」
そんなの、俺だって。
「ようやく親の手を振り払って、自由に生きられるようになっても……今更、迷惑なんじゃないか。図々しくないか。自分勝手すぎるんじゃないか。もう、私のことなんかとっくに忘れてるんじゃないか……そう思ったら、怖くて自分から会いになんていけなかった。でも、どうしても会いたくて。だから考えたの、もしあなたがまだ私を覚えててくれるなら、『シェスネイク』を作れば、きっと会いにきてくれるはずだ、って」
彼女はそっと、名刺を差し出しました。
名刺には、彼女の名前の上に、
『株式会社ドマックス
「すし食いねぇ!」部門
商品開発部 主任』
と書かれていました。
そう、彼女は、もう一度私と会うためだけに、自らの手で『シェスネイク』を作り上げることにしたのです。
「まさか、発売前に会えるだなんて、思ってなかった……」
彼女がハンカチで涙を拭いました。
ハンカチを持っていなかった私は、おしぼりで涙を拭いました。
「さ、ネタが乾いちゃうから。とにかく、食べてみて」
そう促され、私は通常の寿司の二貫分ほどはありそうな軍艦巻きを手に取り、一口で食べました。
初めて食べた『シェスネイク』の味は、何とも形容し難いものでした。
魚の身だけでなく、魚卵やウニ、かにみそなども混ざっていて、美味いといえば美味いけれど、要らないものも入っている気がします。
まさに味のカオス。確かに、この世のものとは思えない、と言えるかもしれませんが、売れるかどうかと言われると微妙です。
でも……感想なんて、決まってるでしょう?
「これは、ヘビのビッグバンやーっ!」
鼻声で叫んだ私の言葉を聞いて、涙を流したまま、彼女が満面の笑みを浮かべました。
あの頃と同じ三つ編みが、ふわり、と踊るように揺れました。
おわり
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