(6話) 肉食獣のような?



 誰かが部屋に入ってきた。檜山だろうか。いや、速すぎる。現れたのは小柄な金髪の少女だった。



「あれ? 檜山いないの?」



 少女が室内を見回した。黒色のジャケットを羽織り、左耳には月を象ったピアスを付けていた。身長で言えば小学生くらい。だが、ただの小学生が情報管理統制局にいるはずがない。



「あなたが瑞穂結樹菜ちゃん? あたしは橘月那。あなたを護衛することになったから」



 少女と目が合った。一目見て、綺麗だと思った。どこか野性味を帯びた切れ長の目。少し癖のある金髪は月の光を含んでいるかのごとく輝いている。その瞳は自信に満ち溢れていて獰猛な肉食獣と対峙しているかのような迫力があった。



「あなた、泣いて……………ていうか、まさか迷ってる?」



 金髪の小柄な少女――月那――が困惑気味に言った。



(囮のこと……? それなら、そう……だけど………)



 迷って当然だろう。戸惑った顔を向けられる謂われはない。そう考えつつも、



「……すみません」



 小さく謝った結樹菜だったが想定外の窮地に追い込まれた。鬼気迫る形相の月那に胸倉を掴まれたのだ。



「あ、ぐっ……!」


「あなたの家族は生きてるかもしれない‼ なのにどうして迷うのッ⁉ 答えなさい‼」


「そ、それは…………わ、わかってます。で、でも…………わ、私……は……」



 苛烈な剣幕に、目を合わせるのも恐ろしくなり両目を閉ざす。そんな結樹菜を月那が蔑むように笑った。



「あっそ。あんた、家族を殺したいんだ? だったらそう言えよ」



 さすがに目を見開いた。囮を迷う自分は確かに情けない。だが、殺したいとは心外である。



「そんなこと――」

「やってんの。うだうだしてる間に家族が殺されるかもしれない。それがわかってて行動しないなら殺したいのと同じよ?」



 月那がぞっとするような低い声で言った。心底軽蔑するような目つきだった。結樹菜はわけがわからなかったが、その迫力に気圧されてなにも言い返せない。



「反論しないんだ? 図星だから?」



 好き勝手言ってくれる。見殺しにしたいわけがあるか。助けたいに決まっている。それでも、囮になるのを想像すると恐ろしくて言葉が出ない。



「あっそ…………あんた、もういいわ。あんたみたいな腰抜けはなにやっても意味ないよ」



 月那が呆れながら拳銃を取り出して、結樹菜の腹部を撃った。



「なッ……?」

「麻酔銃だから。本当は護衛して協力するつもりだったけど、こんな腰抜けじゃやる気しないわ。囮はもういいから。あんたの家族の捜索も取り下げといてあげる」



 無茶苦茶言うな、結樹菜は思った。まるで理屈が通じない。囮を躊躇ったのは事実だが、捜索を取り下げるのは本当に意味がわからない。



「目覚めるまでに保護施設に移送しといてあげる。安全な代わりに統局の捜査には関与できない。そこでずっと泣いとけば? 腰抜けなあんたにピッタリでしょ」



 月那が手を解き、自重を支え切れなくなった結樹菜は転倒するはめになった。直後、まともに起き上がれないことに気づく。それは麻酔が全身に回り始めた証拠だった。



「そ、れ……は…………い、や…………」



 なにもできないくらいなら囮をやる。そう反論したいのに意識が遠のいて呂律が回らない。



「今さら囮やりたいって? 遅ぇから。あんたがなにもしないせいで家族が死ぬかもしれないけど、恨むなら情けない自分を恨みなさいね」



 瞼が重みを増して視界が霞んでいく。その時、胸中にとある感情が湧き起こった。それは怒り。激しい怒り、だった。家族を強く愛するがゆえに月那を許せなかった。




 家族と再会を望む人間から、なぜその可能性を奪うのか?




 この感情は一種の逆恨みかもしれない。それでも構わない。月那の存在を心の底から憎いと思った。



「許さ……な…………ぜ、絶対…………に…………」



 その憎悪を言葉にして吐き出す。言い遂げようとした。しかし、それより速く結樹菜の意識は眠りへと呑み込まれてしまった。






 静謐せいひつに漂うは穏やかな寝息。麻酔弾は完璧な仕事をしたらしい。月那は結樹菜をソファに横たわらせると、前髪を掻き上げながら溜め息を吐いた。



「はあ…………なにやってんのかしら?」



 結樹菜が囮を躊躇ったことは確かに気に入らなかったが、彼女は被害者だ。月那はむしろ協力するつもりだったのに。地下室の件で気が立っていたとはいえ大人気おとなげない。自分自身にうんざりしながら呟くと背後から男の声。



「本当にそうだね。でも君が瑞穂君に対してムキになるのはしょうがないと思うけどね」



 胡散臭い笑みを浮かべる情報管理統制局西日本支部局長――檜山祐司――がそこにいた。



「うっさい。勝手に喋んな」


「だって彼女は家族が助かるかもしれないのに行動しなかったわけでしょ。家族を助けたくても、もう君からすれば面白くないでしょ?」


「耳腐ってる? 聞いてないんだけど?」


「でも、確かに僕には言われたくないかな? 君を統局に引き込んだの僕だしね」



 眉を顰める。檜山は直属の上司であり西日本支部のトップなのだが、月那は檜山のことが嫌いだった。一見すれば優男だがその本性はありとあらゆる手段を用いて自らの思惑通りに他人を操ろうとする性悪だ。


 そして、月那に入局を打診したのは確かに檜山である。月那はその点についてはむしろ感謝しているが親しくなりたいと感じたことは一度もない。



「あれ? もしかして、焚きつけるための演技だった? これなら引き受けてくれるねー。悩んでる間に家族が殺されてましたっていう最悪の事態は避けられたわけだー。統局も相馬に近づくチャンスを得られたわけだし、結果オーライだー。策士だなぁー」



 わざわざ棒読みするのが腹立たしい。喧嘩を売っているとしか思えない。



「……あ?」



 殴り飛ばしてやろうか。いや、想像に留めておく。



「大丈夫。瑞穂君が目覚めたらちゃんと説明しとく。君が憎まれ役を買って出たんだよって。地下室で酷い目に遭って家族の行方もわからなくて泣き出した女の子に八つ当たりするような鬼畜は君も見たことないだろぉ?」



 語尾をわざとらしく上げてくる。嫌味な男だ。性格が捻じ曲がっている。はっきり言って、むかつく。



「うっさい。黙れ。次言ったら殴るから」



 月那は殴ると言ったら殴る。相手が上司でも関係ない。それは組織の構成員としてふさわしくないが月那を知る檜山には効果的な脅しとなった。次の瞬間には檜山は真顔になっていた。



「さて、仕事の話をしようか」



 その変わり身の速さには、月那も呆れたが手短に済ませたいので好都合だった。護衛任務の詳細について確認することにしよう。



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