(10話) 病院にて

 

 横浜市立大学付属市民総合医療センターに到着した二人はロビーにいた。


 まず結樹菜の入院記録を確認する。二十五年前に死亡した『瑞穂結樹菜』とは別に結樹菜この子の入院記録があれば手掛かりになるはずだったが、調査は早速暗礁に乗り上げた。



「ですから、何度もお伝えしているように瑞穂結樹菜様という患者様が姿を消したという事実はありません。どうしてもとおっしゃるなら警察に相談されてはいかがですか?」

「で、でも……私、本当に入院していて…………」

「これ以上は通報しますよ」

「そ、それは…………」

「いい加減にしてください。迷惑ですので今すぐお引き取りください」



 受付の女性が不愉快そうに言った。


 そう、これだ。 


 結樹菜は何度も食い下がったが結樹菜この子の入院記録は存在しなかったのだ。受付もさすがに数十年前の記録を遡ってはいないが『瑞穂結樹菜』の診療情報については統局とうきょくが正式な手続きで照会を申請している最中だ。


 個人情報に敏感な現代では手軽な照会は通用せず公文書で照会申請したのだが、さすがに時間がかかる。五年最低保存期間を超過しているので診療情報が破棄されていてもおかしくないがそうでないことを祈りたい。



(『瑞穂結樹菜』が二十五年前に死亡したって情報は檜山が独自ルートで調べたらしいけど信憑性は高いらしいしそこは疑わなくてもいいかも。正式な回答があればはっきりするし。だけど、どっちみちこの子が最近までこの病院に入院してた痕跡はないってことね)



 わかったのは結樹菜この子の入院記録がないことと患者が誘拐される事件も起きてないという二点だけ。他に出るものがないなら長居する必要はない。



(てか、ここに来る意味あった? 『瑞穂結樹菜』の入院記録は探れなくてもこの子が入院してたかどうかは電話確認で…………ああ、でも相馬を誘き寄せる囮にはなるのか)



 本気で家族の手掛かりを求めている結樹菜には不憫だが、今回の件はそう単純ではない。



「この病院は関係ないみたい。出ようか?」



 結樹菜が呆然と見返してくる。

 


「……え? どうしてですか?」

「入院記録がないならしょうがない。居座っても迷惑だし、通報されたら足止めを食らう。そんな暇ないでしょ? 固執する気持ちもわかるけどね」

「そ、それは…………」



 結樹菜がはっとして、みるみるしおらしくなる。



「行くよ」

「はい。あ、あの……お騒がせしてすみませんでした」

「え……えぇ……」



 結樹菜が受付の女性に深々と一礼すると困惑交じりの返礼があった。それから病院を出たところで、結樹菜は今にも泣き崩れそうな顔で月那にも頭を下げた。



「月那さん。ごめんなさい。私さっきみたいに迷惑をかけるかもしれません。でも、できるだけそうならないようにするので、必要な時はまた教えてもらえませんか?」

「……そうね。わかった」



 結樹菜が気落ちするのは当然だ。頼りの病院が期待外れだったのだ。月那は第三者視点で受け止めているが結樹菜は違う。家族の命が掛かっている。呆然としたはずだ。悔しかったはずだ。それでも前向きであろうとする姿勢に月那は感心した。目的に向かって頑張ろうとする人間を見ると後押ししたくなるものだ。


 とはいえ、これからどうするか。


 ひとまず出入でいりを邪魔しないように近くのベンチに移動して結樹菜を座らせる。そこで改めて状況を整理する。結樹菜は『瑞穂結樹菜』の記憶を所持しているが二人は別人である可能性がある。実に不可解だが強引な辻褄つじつまを用意するならばたとえばこんなパターン。


 結樹菜が『能力』により特定の死者の記憶を手に入れてしまった可能性。何者かが『能力』で『瑞穂結樹菜』の記憶を結樹菜に入れ込んだ可能性。または眉唾物まゆつばものだが『瑞穂結樹菜』が現代にタイムスリップしたという可能性。



(タイムスリップはさすがに非現実的だ。そもそも、それなら自覚があるはず。どっちみちこの子は『瑞穂結樹菜』と別人だって考えるべきね。そうなるとこの子が慕ってる家族は、実はただの他人かもしれないってことか…………酷な話ね)



 ベンチに座る結樹菜を見つめる。いっそ事情を明かしたほうが心の準備ができるのでは。そう思うが今はできない。少なくとも檜山から許可が下りるまでは。檜山は嫌いだがそれは上司の命令に背くのに十分な理由にはなりえない。



(この子の元々の記憶が失われて『瑞穂結樹菜』の記憶が入ってるとなると、当てになんない証言きおくを頼りに行動するわけね。無駄が多いわ)



 月那は無駄が嫌いだ。任務によっては不満も抱く。だが、今回は愚痴を零している場合ではない。月那自身、そう考える理由はなんとなく察しが付いていた。



(あたしの気持ちの問題かな。勘だけど、この子は純粋な被害者だ。統局は事情を伏せたままそんな子を囮として利用してる。つまり、都合よくこの子を使ってる)



 月那の解釈では、それは屑が無関係の人間を傷つけるのと大差ないのだ。



(そんな状況で、利用してる側が文句言うなんてありえない。この子が本気で家族を見つけたいなら、それが無駄でもせめてあたしだけでも全力で協力すべきだわ。『瑞穂結樹菜』の件も実は統局が間違っててって可能性も零じゃない。どっちみち今のあたしにできるのは協力することだけだし)



 『瑞穂結樹菜』は死亡している。ならば、結樹菜の証言きおくを疑うのは妥当だが逆に考えてみよう。結樹菜の発言は全て正しく『瑞穂結樹菜』の死こそが間違いだとしたら?

 


(我ながら滑稽だと思うけど、公文書を見て、確信が持てるまではそれでいこう)



 無駄を嫌う月那にしては珍しい判断であった。だが、やると決めたなら必要がなくなるまで全力でやる。それは月那のポリシーの一つだった。



「念のため、近くの別の病院も回ろうか?」



 ベンチに腰掛けていた結樹菜が立ち上がった。



「どういうことですか?」

「他の病院で入院患者が行方不明になったって話があれば手掛かりになるかもしれない。電話で手っ取り早く聞くのも一つの手だけどできるだけ看護師と顔を合わせて、あなたに見覚えがある人を探そう。無駄になるかもだけど、なにもしないよりはいいでしょう?」



 成果は保証しない。そもそも、結樹菜が病院から攫われたという前提が間違っている可能性もあるのだが、返事は速かった。



「やります。やらせてください!」

「体力的にかなりきついと思う。一日中歩きっぱなしになるかもよ?」

「大丈夫です!」



 即答する結樹菜に月那は小さく微笑んだ。自分は好き嫌いが激しいが結樹菜のことは気に入った。最初は甘ったれだと感じたが指摘を素直に受け止めて、それでいて家族を敬愛していて一生懸命だ。そんな姿を見せられると力になってやりたくなる。



「わかった。それじゃ行こうか」



 月那はスマホを取り出して、近くの病院の住所を調べることにした。


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