(11話) ロールケーキとモンブラン①


「お待たせ。大丈夫?」



 顔を上げる。月那が右手にアイスティーを左手にアイスココアを持っている。結樹菜は両手で前者を受け取った。二人は横浜駅構内のコーヒーショップを訪れていた。



「ありがとうございます……大丈夫です」



 平静を装うも困った顔で笑われた。



「正直、倒れるまで無茶するなんて思わなかったわ」

「ご、ごめんなさい…………」



 午前十一時頃に横浜市立大学付属市民総合医療センターを出た二人は病院巡りを敢行したのだが、監禁生活が長い結樹菜には苦行であり、ほどなく目眩と吐き気に見舞われた。だが、家族の安否を憂う気持ちが弱音を吐くことを許さなかった。


 体調の悪化を顧みず無理した結果、意識が遠のいて転倒した。午後四時過ぎのことである。月那が受け止めたので大事には至らなかったが、情報収集を切り上げることになった。



「本気なとこは褒めてあげたいけど覚えておきなさい。一生懸命と無理は違うの。無理して倒れて時間を無駄にするのと休憩しながら続けるのどっちが利口かわからない? 発作のこともあるんだから気をつけなさい」

「は、はぃ…………」



 俯きながら語尾を小さくする。実は月那に何度か休憩を提案されたのだが結樹菜はそれを固辞した。そして、最終的に転倒するという自業自得を招いていた。十一月でそうなのだから日差しの強い夏だったらどうなっていたやら。


 結樹菜は無茶する体力すらない自分自身が情けなくなった。ガンケースを持ち運んでいた月那は涼しい顔をしているというのに。



「顔を上げなさい。わかればいいから。でも、根気強くいくよ?」

「は、はい」



 言われた通り顔を上げると目が合った。



「素直でよろしい。頑張れるのはわかったから頑張り方を間違えないようにしなさい」



 月那が口の端を軽く持ち上げて微笑する。そこに怒りの感情は窺えなかった。



(怒られると思ったのに…………不思議な人、だなあ)



 初めて会った時はとてつもなく恐ろしかった。だが、いろいろと気にかけてくれるし、諫めてくれる。身長的には小学生だが大人のように頼もしい。年齢は教わっていないが間違いなく年上だろう。



「飲まないの?」



 月那がココアを片手に尋ねた。



「い、いただきます」 



 アイスティーを口に運ぶ。冷たい茶葉の香りが口の中に広がって、乾いた体に染み渡る。捜索の疲労も相俟って格別な味わいだった。



「甘いのも食べたくならない?」



 月那がメニューを見る。美味しそうな食べ物のイラストが載っている。



「わ、私は特に……」



 そう言いつつ首を横に振った時、『ぐぅ』とお腹が抗議の声を上げた。



「あの……今のは、その……うぅ…………」



 恥ずかしくて顔が熱い。一方の月那は楽しそうに笑った。



「遠慮しないでいいよ。ご馳走するし。好きなの選んで」


「あ、あの……ありがとうございます。でも、そういうの食べたことなくて…………どれを選んだらいいか、わかりません」



 幼少期から入院していたため甘味に触れ合う機会はなかった。なので、その味わいが想像できず選べない。そもそも贅沢できる立場でもない。



「そう。じゃあ、あたしが決める」



 月那が席を立ったがすぐにスイーツを載せたトレーと共に戻ってきた。



「結樹菜はロールケーキね。あたしはモンブラン」



 それから月那は黒く美しい小山にスプーンを突き刺して頬張ると、子供みたく無邪気な顔で笑った。



「うん。美味おいしいっ!」



 頬が緩み切った幸せそうな笑顔だった。



(大人みたいに頼もしいのにこんな顔するなんて、それくらい美味しいのかなぁ……)



 他人が美味うまそうに食べる姿は食欲を刺激する。結樹菜は意図せず生唾を飲んだ。



「モンブランのがいい? 一口交換する?」

「ち、違います。それが欲しいとかじゃなくて、すごく美味しそうに食べるから」

「実際美味しいからね。食べてみな?」



 促されて、ロールケーキを口に運ぶ。その時、未曽有の衝撃が全身を駆け巡った。



「お、美味しいっ……なんですか、これ⁉ とっても美味しいですっ!」



 生地のほのかな甘みとクリームの濃厚なコクがふわっふわの食感と奇跡的なハーモニーを奏でながら口の中でとろけていく。今、この瞬間は世界中の誰よりも自分が幸せに違いない。結樹菜はわりと本気でそう思った。



「そうでしょ? 疲れた時とこれから頭を使うって時は甘い物を食べなきゃ駄目なのよ」



 月那が上機嫌に笑う。結樹菜はその言葉を心のメモ帳にしっかりと書き残した。



(疲れた時と頭を使う時には甘い物を食べるのが常識なんだ。知らなかった。でも、これだけ美味しければいくらでも食べられる気がする)



 これほど美味な甘味を食べるのが当たり前だなんて外の世界は凄い。結樹菜は思った。しかし、あくまでそれは世間一般の常識ではなく月那のこだわりでしかない。結樹菜がそのことに気づくのは、しばらくあとになってからだった。


 ケーキはあっという間になくなった。しかし、幸福の余韻は簡単に消えそうにない。



「さて、落ち着いたし、わかってることを整理しようか?」

「はい」



 結樹菜は姿勢を正した。ちなみに月那のモンブランは跡形もなくなっていた。



「まず、あの病院には入院記録がなかった。他の病院も同じで、収穫はなかった」



 つまり、手掛かりはなかったということだ。初日から幸先さいさきが悪い。



「収穫がなかったっていうのは正しくないか。今の捜し方じゃ無理かも」


「どういうことですか?」


「本当に入院してたなら入院記録がないのはどう考えてもおかしい。正攻法じゃ手掛かりが見つからない状況なのかも。つまり、今のやり方は非効率的だし生産性がない」



 なるほど。実際に手掛かりは見つかっていない。



「でも、それならどうすればいいですか?」



 結樹菜は一刻も早く家族と再会したかった。その時、月那のピアスが鳴動した。


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