(8話) 目的地、横浜①


(そういえば、初めて新幹線に乗った時にママを困らせたなぁ)



 月那は新幹線の指定席で足を組みながら窓の外を眺めた。四歳になって間もない頃、グリーン車という名前を見て内装や座席が緑色で統一されているのだと誤解して、なんとしても乗車してみたいと駄々を捏ねたことを思い出す。実際には勿論そんなことはないわけで。



(『なんでみどりじゃないのッ⁉ ママの嘘つきッ!』って、泣き喚いたっけ?)



 我ながら困った子供だった。月那は当時を懐かしみながらホットココアに口をつけた。



 月那は腰のホルスターには愛銃グロック26を、ギターケースに偽装したガンケースには麻酔銃を忍ばせていた。隣には体を小さくした結樹菜が座っている。


 二人は横浜へ向かっている最中だった。目的は結樹菜の家族の手掛かりを探すため。移動中の結樹菜は囮も兼ねており襲撃者が現れた際には月那が迎え撃つことになる。また、二人を遠巻きに見守る監視がおり有事には連絡が入る手筈となっている。


 月那は左耳のピアスに触れた。三日月をかたどってイヤリング付きのタイプ。デザインは月那の趣味だが、ただのピアスとは一味違う。車谷特製で通話機能が搭載されており無線としても使える優れものなのだ。監視からの連絡もピアスを通して伝達されることになっている。



「横浜まで時間あるけど、気分悪くない?」

「は、はい。大丈夫です…………気遣ってくださって、ありがとうございます」



 できるだけ優しい口調で尋ねたが、結樹菜の顔は強張っていた。昨夜の件もあるので恨まれていても怖がられてもおかしくないのだが、この反応はどちらだろうか。



「あたしが怖い?」

「……? どうしてですか?」



 結樹菜が不思議そうに首をかしげる。その様子に月那こそ首をかたむけたくなる。



「じゃあむかついてる?」

「月那さんにですか? とんでもないです。ただ、少し緊張しています」

「緊張?」

「はい。新幹線に乗るのが初めてで」



 駄々を捏ねた自分と違って随分と大人しい反応だ。しかし、昨夜の件で含むところはないのだろうか。檜山が『上手く言っておく』と話していたがなにか吹き込んだのか。



「檜山となにか話した?」

「はい。月那さんのことを話しました。『憎まれ役を買って君の背中を押したんだ。初対面でそこまでぶつかってくれる人はなかなかいないよ』って。本当にそうだなって思いました。月那さんのおかげで決心できました。月那さんの言う通り私は甘えていたんです。それを知ることができてよかったです。本当にありがとうございました」



 結樹菜の瞳は澄み切っていた。



(あの男マジで言ったんだ? あの時は苛ついただけなんだけど…………まあ、あたしは嘘言ってないし、檜山に言わせたわけでもない。とりあえず意思疎通ができそうでよかったわ)



「お人好しね。嫌いじゃないけど、騙されないように気をつけるのよ」

「はい。ありがとうございます!」



 結樹菜は不慣れな感じだったが、返事は元気だった。素直でもある。他人に対する警戒心は間違いなく欠如しているだろうが、素直で元気な人間は嫌いではない。



「いい返事ね。でも、念のため言っとく。相馬とか別の勢力も含めてあなたを狙ってくる連中は多いと思う。『家族に会わせてあげる』なんて言われても簡単に信じたら駄目よ」


「わかりました……でも、そんなふうに騙そうとする人がいるんですか?」



 信じられないという表情が返ってきたので、少しだけ呆れる。



「純粋なのは美点だけど、あなたの場合はもっと人を疑いなさい。とりあえず困ったりなにか思い出したりしたら相談しなさい。いいわね?」

「はい。わかりました」



 結樹菜が頷いた。危なっかしい気もするが、話が早いのは助かる。



「これからあたしたちが具体的になにをすればいいのかわかる?」


「はい。家族の手掛かりを捜すために横浜に行くって聞きました。まずは私が入院してた病院ですよね? もしも……襲ってくる人がいたら月那さんを頼りにしなさいとも言われました」



 檜山曰く『瑞穂結樹菜』という少女は二十五年前に横浜の病院で死亡している。結樹菜の家族の行方は調べている最中だが、故人の『瑞穂結樹菜』と氏名及び家族構成も同じ。そんな馬鹿げた偶然がありえるだろうか。横浜を訪ねるのはその真実を確かめるためであり、結樹菜を狙う連中を誘き寄せる目的も兼ねている。



「そうね。あたしたちを遠巻きに監視してる局員がいてなにかあれば連絡が来るし、あたしは簡単に殺されやしないけど、あたしがられたらできるだけ遠くに逃げて時間を稼ぎなさい」

「…………え?」

 


 結樹菜が驚愕に両目を見開く。驚く要素がどこにあっただろうか。



「どうして驚くの? 護衛が死ぬか『逃げろ』って言われたら逃げる。当たり前でしょ」


「で、でも……」


「でも、じゃない。そうしなさい。家族を見つけることだけ考えなさい。生きてる限り全力で守ってあげる。だけど、あたしが『逃げろ』って言ったら逃げなさい」


「で、でも……それって月那さんはどうなるんですか?」


「死ぬかもね。そんなつもりはないけど」



 少なくとも、今はまだ。



「そ、そんな……見捨てるみたいなことできませんッ!」



 必要なら逃げるという感覚は月那には常識だが、結樹菜にとっては馴染みがないらしい。



「優しいのね。でも、言うこと聞きなさい。返事は『はい』以外に認めないから」


「で、でも…………」


「聞こえなかった? 『はい』以外は認めない。家族を捜すの諦めるならそれでいいよ?」


「……ッ……そ、それは……嫌です」


「でしょうね。だったら『逃げろ』って言われたら逃げなさい」


「……は、はい」



 結樹菜が申し訳なさそうに頷いた。



(優しい子ね。こういう子はできるだけ巻き込みたくないんだけど……)



 しかし、そう言ってもいられない。状況が悪化して取り返しがつかなくなる前に手を打つべきだ。肝心な時に手をこまねくことや保留するのは月那の流儀でもない。結樹菜の顔はまだ曇っていたが月那はさらに踏み込んだ質問をすることにした。



「大きな男が苦手なのよね。それって体格の問題? 背が高くて痩せた男は?」



 檜山の資料に記載されていた。結樹菜に暴力を振るった男はプロレスラーばりに体格の良い巨漢だったらしい。



「そ、その……身長というより体格です。統局で細身の長身男性を見た時は平気でした」



 そう答える結樹菜の顔は青白く、見るからに万全とはほど遠い。本来なら療養が必要だが悠長に治療を施している余裕がない。


 相馬直弘という男は統局の捜査を十数年掻い潜ってきた極悪人だ。そんな男が結樹菜を狙っているのだとしたら、身の安全は保証できず家族もどんな目に遭うかわからない。治療中に家族が殺されましたという事態になれば結樹菜は悔やみきれないだろう。



(酷かもしれないけど、今のうちに動いておかないと。情報が得られるかどうかはわからないけど、行動しなきゃ確実に手に入らないわけだし。それにしても……)



 月那は結樹菜を見ながら思う。



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