(16話) 無慈悲な現実


「今わかってる範囲で瑞穂君の家族の現状を伝えるね」


「あ、あの……無事、なんですよね?」


「無事ではないね。驚かないで聞いて。まず『瑞穂結樹菜』という少女が二十五年前に亡くなってる。その日に兄の総司は行方を眩ませた。どういうわけか『瑞穂結樹菜』の遺体も病院から消えたらしい。それと、両親の幸路と加奈子は十年前に亡くなっていた」



 結樹菜の顔が、強張る。

 月那でさえ、息を呑む。


 『瑞穂結樹菜』と結樹菜この子が別人である可能性は予期していたし連絡も受けたが、面と向かって断言されると驚きを禁じ得ない。



「……ッ……えっと、その……ごめんさない。意味がわからなくて。二十五年前に私が死んでて、お兄ちゃんが行方不明? お父さんとお母さんは十年前に死んでるって、ことですか?」



 結樹菜の声の振幅が凄まじい。そこへ、檜山は無慈悲な現実を放り込む。



「順番に話そう。まず『瑞穂結樹菜』の戸籍情報を入手した。当時の医師は亡くなってたから病院からそこまで具体的な情報をもらえなかったけど、戸籍的に間違いなく死亡している」

「え? で、でも…………」



 結樹菜が狼狽える。それはまさしく『お前は二十五年前に死んでいる』と言われた人間の反応にふさわしかった。



「君の疑問もわかるけど、事実だ。幸路と加奈子は十年前に絞殺されているのを発見されたらしい。葬儀も行われてる。これがなにを意味するかわかるかい?」

「い、いえ……だってありえない」



 結樹菜の顔が病的に青ざめていく。見ていて痛々しかったが本人が必死なのに月那が目を逸らすわけにはいかない。



「はっきり言おう。君は『瑞穂結樹菜』じゃないし記憶にある家族は君の家族じゃない」

「……ッ!」



 結樹菜の呼吸が止まる音を、月那は確かに聞いた。



「幸路と加奈子の知人にも話を聞いた。そこで偶然『瑞穂結樹菜』の写真が手に入ったんだけど君とは顔立ちが違ったし血液型も違った。君と『瑞穂結樹菜』は同一人物じゃない。残念だけど、これは間違いない」


「で、でも……私は本当に入院してました」


「そうだね。入院していた記憶が君の中にはある。僕の見立てを話そう。君は『瑞穂結樹菜』の記憶を入れ込まれたんだと思う」


「記憶を……入れ込む?」 


「そう。二十五年前に死んだ『瑞穂結樹菜』の記憶を他人の記憶に上書きする、または他人に移植する『能力』を使われた可能性が高い。それによって、君が本来所持していたはずの記憶は消えてしまったんだと思う」



 なるほど。月那もその可能性については想定していた。



「記憶をいじれる『能力』ってことよね。ありえるわけ?」


「橘君は面識あったかな? 北日本支部に遺留品や私物から所有者の記憶をサイコメトリーできる局員がいる。だったら、逆に入れ込む『能力』があってもおかしくないよね。ちなみに、私物よりも遺体のほうが強烈なイメージを読み取れるらしい。『瑞穂結樹菜』の記憶を抽出するのに遺体が必要だったから病院から持ち出したとしたら辻褄が合うんだよね。もしくは別の理由で持ち出して、あとからそれを使って記憶を移し替えることになったのかも」



 檜山なりに情報を集めたらしい。



「あんたが遊んでたわけじゃないのはわかった。それで? 肝心なところはわかったの?」


「『瑞穂結樹菜』を選んだ理由?」


「それ以外にある?」


「申し訳ないけど、それについてはなんとも言えない。二十五年前に死亡した人間の記憶を移植したいと考えた理由もそうだけど、二十五年前に死亡した人間の肉体を使うってことは防腐処理とか保管するのも大変なはずなんだ。そこまでする理由がわからない」



 月那は舌打ちした。使えねぇと思った。しかし、檜山が無能なわけではない。相馬は十数年間、統局の捜査を潜り抜けてきた。不甲斐ない話であるが統局は相馬の狙いも動向も掴めていない。腹立たしいかぎりだがそれほど抜け目なく手強い屑なのだ。



(目的がわかったところで、どうせ糞みたいな理由なんでしょうけど)



 それはそうだ。三百名を違法な人体実験に巻き込む正当な理由など、存在してたまるか。



「今はわからないことのが多いけど瑞穂君と『瑞穂結樹菜』が別人なのは確実だと思う」

「で、でも…………私、本当に入院してて」



 結樹菜が両手をぎゅっと握り締める。



「時間が掛かってもいい。それでも、受け入れるしかないよ? でも、一つだけ良い知らせがある。幼い時から君を苦しめていた発作についてだけど、それは『瑞穂結樹菜』が苦しんだ記憶が君の中にあるってだけで君は健康だと思う。だから。発作のことは心配しなくていい」



 檜山が付け足した。健康なのは良いことだ。だが、記憶が他人のそれであるという衝撃の前ではあまりにも心許こころもとない。結樹菜も暗い顔で俯いてしまう。その姿は見ていて痛々しいが実は今すぐにでも目を向けなければならないことがある。



「聞きたいんだけど?」



 檜山の目線が月那に移る。



「本当の家族は? この子が『瑞穂結樹菜』と別人だとしても血の繋がった両親がいるはず。この子が最低でも一ヶ月監禁されてたなら本当の両親が捜索願を出してるんじゃない?」



 俯いていた結樹菜が顔を上げた。



「それについても調べてる最中」


「…………使えないわね」


「優秀な僕だけど、今回に限っては反論できないな」


「あっそ…………それで? 明日からは囮しつつ本物の家族を探すってことでいいの?」



 結樹菜がはっとして、月那を見る。その顔色は酷かった。それでも、家族のことが気にならないわけがない。ならば、せめて本物の家族に引き渡したい。



「そうだね。君達にはそれをお願いするよ」


「あっそ。家族の消息と相馬の狙いは調べときなさいよ」


「はい…………って、あれ? 君ってばいつのまに僕の上司になったんだっけ?」


「ふざけてる場合?」


「え? 僕、今ふざけてる?」


(ふざけてるでしょうが…………そういうとこも、ムカつくのよ。記憶が偽物だったらあたしだって平然としてられないわよ)



 かりに母親との思い出や愛情が偽物であり他人のそれだったらぞっとする。記憶とは持ち主の人格と人生観を形作る唯一無二の要素でありそれを疑うという発想すら普通は出てこない。



 月那は風切りに復讐するためとはいえ、人を殺している。何人も、殺した。



 後悔したことはないが、それが他人の記憶に踊らされていただけだったら?



(ママがあたしに優しくしてくれた記憶も偽物他人のそれで、そんなもんに触発されて殺しまくったとしたら? そんなの信じたくないし、認めたくないに決まってる)



 傷心の結樹菜を突き動かす原動力は家族への愛情だ。その愛情きおくが揺らぐのであれば結樹菜が現実に立ち向かうのは困難だ。檜山はそのあたりの想像力が欠如している。



「顔色が悪いよ。一旦、部屋に戻る?」



 酷い顔をした結樹菜に尋ねる。返事は返ってこなかった。



「結樹菜?」



 やはり現実を受け止められないのだ。月那はそんなふうに考えたのだが――



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