(15話) お姉ちゃん?


 目を開ける。見慣れない場所だった。病室とはだいぶ様子が違っていた。



「お兄ちゃん……?」



 さきほどまで一緒だった総司の姿が見当たらなかった。



「残念、お兄ちゃんじゃないよ」



 隣から月那の声がして新幹線に乗ったことを思い出す。昔の夢を見ていたようだ。今から三年前の出来事。弱気になっていたところを総司が励ましてくれた。家族の絆を痛いほど感じた、結樹菜にとって大切な思い出の一つだった。



「ご、ごめんなさい……眠ってたみたいで」



 月那の肩に寄りかかっていたらしい。慌てて体を起こそうとすると微笑みが返ってくる。



「寝ててもいいよ。着いたら起こしてあげる」



 迷惑ではないですかと尋ねるより速く肩を引き寄せられて、結樹菜は両眼を閉じた。



(あれ? 統局では気がつかなかったけど、月那さんて…………?)

「なんか……いい匂いが…………する?」

「あたしくらい可愛いといい匂いがするものなのよ」



 恥ずかしげもなく月那。夢見ゆめみ心地ごごちの結樹菜はその発言に疑問を抱かなかった。



(そうなんだ。月那さんて凄い。それに……)

「あったかい…………」

「あたしくらい心が温かくて優しいと、体温もあったかくなるの」

(そうなんだぁ。月那さんて、凄い……)



 素直に感心した。人を疑うことを知らない結樹菜ならではの反応だった。月那の優しくて頼りになるところは総司を彷彿とさせる。だが、総司とは性別が違うので――



「お姉、ちゃ……ん…………」



 うとうとしていたら、そんな言葉が飛び出した。慌てて弁明する。



「あ、あ……あの…………ご、めんなさい……お兄ちゃんのこと思い出して、それでお姉ちゃんがいたら、こんな……感じかなって」



 月那は生まれる前の妹を殺されている。さすがに無神経すぎた。浅慮な自分自身が恨めしい。しかし、当の本人は気分を害した様子ではなかった。



「…………そうね。妹って、こんな感じなのかもね」



 月那が微笑しながら結樹菜の頭を優しく撫でた。



(ふわぁ…………くすぐったくて、気持ち……いい…………)



 船を漕ぎつつあった結樹菜は、柔らかい微睡みに吸い込まれていった。





 素直で可愛らしい。結樹菜と過ごし、改めて思った。他人を信用しすぎるきらいはあるが、ひたむきで家族思いなところも気に入った。


 新幹線で結樹菜が『お姉ちゃん』と呟いた時は不思議と嫌ではなかったし、駅のホームで『寒いですね』と言うので何気なく手を握ったら嬉しそうに『えへへ』と笑った姿は、純粋に可愛かった。


 総司が『瑞穂結樹菜』に優しかった気持ちがよくわかる。知り合って日の浅い月那でさえそう感じたのだ。兄妹ならば目に入れても痛くなかったに違いない。結樹菜も総司を心から慕っているようである。


 どうにか再会させたい。任務とは関係なく心の底からそう思う。だが、難しいだろう。兄妹を待ち受けるのは無慈悲な現実だ。



「アロハー。疲れてるところすまないね」



 局長室で二人を出迎えたのは、檜山の呑気な挨拶だった。



「本当にね。せっかく今日はその胡散臭い顔を見ないで済むと思ったのに」



 自然と溜め息が溢れる。



「ちょっ……人の顔を見て溜め息は止めてよ。ぶーぶー」



 檜山が不満そうに唇を尖らせる。子供ならまだしも檜山にそんな言動をされると不愉快で仕方がない。挑発しているのだろうか。わりと本気でそう感じてしまう。



「あ、あの……」 



 そんなやりとりを見た結樹菜が困ったように月那の服の裾を掴んだ。



(これは癒やされる。おっさんも見習え……いや、檜山が同じことしたら鳥肌立つわ)



 自信なさげに服の裾を掴んでくる檜山など、想像しただけでうんざりである。



「あれぇ? 君達、だいぶ仲良くなったね。本当の姉妹みたい。傲慢でわがままで短気な小学生の妹を、良識のある優しいお姉ちゃんが見守ってるって感じ?」


「誰が傲慢でわがままで短気だって?」



 睨みつけると檜山がわざとらしく両手を上げた。



「おお、怖い妹だ。瑞穂君、大丈夫? 暴力振るわれたりしてない?」

「……あ?」



 喉から低い声が出る。月那は呼び出しておきながら煽ってくる人間への耐性など持たない。そもそも、結樹菜の家族の消息報告が用件なわけで開口一番でもそうだったがふざけている場合ではないだろうに。月那は檜山のそういうところが大嫌いだった。



「月那さんはそんなことしません。私を気遣ってくれて、それこそお姉ちゃんみたいに優しくしてくれるんです。訂正して下さい!」



 文句を言う前に結樹菜が声を張り上げた。さすがに、驚く。檜山にいたってははとが豆鉄砲を食らったようにぽかんと口を開けて、放心していた。結樹菜に噛みつかれるとは思ってもみなかったようである。



「……そうだね。橘君、すまない。軽いジョークのつもりだったんだけど、無神経だった。瑞穂君にも謝っておく。すまなかったね。橘君は君に優しくしてくれるみたいだね?」



 檜山が立ち上がって頭を下げた。



(こいつが素直に頭下げることなんて滅多にないのに)



 少しだけ気分が良い。そんなことを考えていると結樹菜がひどく狼狽した様子で呟いた。



「あの……ごめんなさい。檜山さんはいろいろしてくださってるのに本当にごめんなさい」



 その顔色がみるみる蒼白になっていく。反論したはいいが、家族の捜索に協力してもらっている恩を仇で返したと考えたのだ。



「いや、この件については謝らないで。橘君を悪く言われて我慢できなかったんでしょ?」

「は、はい……」



 結樹菜がおそるおそる頷いた。檜山にしてはまともな発言だ。確かに理不尽から誰かを庇いたいという気持ちに立場や年齢は関係ない。



「すごくいい子だね?」

「そうね。でも、ただのいい子じゃない。根性もある」

「君が言うならそうなんだろうね」



 興味深そうに檜山。月那は檜山から視線を外して結樹菜と向かい合った。



「あたしのために怒ってくれたのね。嬉しかったよ」



 笑いかけると気恥ずかしそうな微笑みが返ってくる。



「あの…………むしろ、私のほうこそありがとうございます」



 やはり素直で可愛らしい。そんな様子を見ていると胸が熱くなって護衛でなくても守ってあげたいという気持ちにさせられ――



「ごめん。こんな雰囲気になる前に言っておけばよかったんだけど、かなり悪い知らせだ」



 檜山が暗い顔で告げたので結樹菜は表情を曇らせた。



「え? 悪い、知らせ……?」



 無理もない反応だ。悪い話なら先にそう伝えておくべきだった。それを欠いた結果、結樹菜は淡い期待を抱くことになりそれを砕かれる。人が絶望する瞬間は見ていて気分のいいものではない。見ず知らずの他人でなければ、なおさらだ。



(でも、あたしも隠してた側だから同罪か)



 月那は唇を小さく噛み締めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る