(4話) 情報管理統制局①



 時を少し遡る。瑞穂みずほ結樹菜ゆきなは状況がわからず途方に暮れていた。



「自己紹介しておこうか。僕は檜山ひやま祐司ゆうじ。情報管理統制局西日本支部の局長をやってる」



 地下室で監禁されていたはずが、知らない部屋で目覚めて見慣れない機械で検査をされて応接室に案内された。そのままソファに座らされて、茶髪の優しげな男性と向かい合っている。



「あ、あの…………ここは?」 


「いろいろ混乱してて不安だと思うけど安心して。君は情報管理統制局に保護されたんだ」


(情報管理統制局? 私を地下に閉じ込めた人達とは無関係?)


「『能力』犯罪を取り締まる国家機関なんだけど、知ってる?」



 躊躇いがちに頷く。実際には知っているというよりものだが。



「それは良かった。僕たちは君の味方だ。そして、君を監禁していた奴らは僕らの敵。奴らを襲撃した際に君を見つけて救出したんだ。いくつか質問させてほしい。答えたくなかったら頷くだけでいいよ。そういえば珍しい茶葉が手に入ったんだけど飲むかい?」



 檜山と名乗った男性が笑った。少なくとも悪人ではなさそうだ。



「…………お茶は、大丈夫です」

「飲みたくなったら言ってね。瑞穂結樹菜ちゃんだったよね?」



 答えても平気だろうか。地下では勝手に喋ると殴られて泣いたら怒鳴られた。頬に鋭利な痛みが蘇ったが、しかしこの場所は地下室より安全な気がした。



「はい。そうです」


「別の局員も尋ねたと思うけど君は幼少期から持病で入院していて外に出られず学校にも通えなかった。間違いないね?」


「はい」


「君は相馬直弘の隠れ家で発見された。なぜだろう?」



 知らない。むしろ教えてほしい。結樹菜は三歳で正体不明の発作を患ってから闘病生活を強いられており一日の大半をベッドで過ごしていた。そんな自分がなぜ? そもそも相馬直弘という名前すら聞いたことがないというのに。



「わかりません。一ヶ月前くらいに目が覚めたら知らない地下室にいて……あ、あの家族は無事なんでしょうか?」


「家族の行方については確認中だよ。見つかったらすぐに引き渡すから」



 そう言われたら頷くしかない。



「ただ、いくつか聞きたいことがある。辛いことを思い出させるかもしれないけど、地下でなにがあったのか聞いてもいいかい?」


「…………ッ! あ、あの…………そ、その…………」



 喉が一気に干上ひあがった。嫌だ、思い出したくない。地下室の出来事が脳裏を掠めて、全身から粘っこい汗が噴き出してくる。



「悪いけど、それを話してくれないと家族に会わせることはできない」



 嫌だ、答えたくない。どうしてそんな意地悪をするのだろう。思い出すのも辛いのに口に出すなどとんでもない。結樹菜はぎゅっと両目を瞑った。



(でも……でも、それで家族と会えるなら?)



 入院中に何度も励ましてくれた優しい家族。心の底から愛する家族。そんな家族への愛情がおぞましい記憶と向かい合うだけの勇気を結樹菜に与えた。両目を開けて恐怖を振り払う。からびた喉から掠れた声を絞り出す。



「ま、毎日……そ、その……体の大きな男の人に…………耳元で、怒鳴られました。そ、それから…………ナイフを、目に突きつけ……られて、私が瞬きしたら、殴られて、『能力』とか……情報管理統制局についても……怒鳴って…………説明されました。私が……少しでも、嫌がったりすると……また、殴られて」



 ぼろぼろと涙が溢れてきた。怖かった。ひたすらに怖かった。腹部を殴られて耳元で叫ばれた。悲鳴を上げたら『勝手に喋るな!』と踏みつけられた。そんな恐ろしい日々が続き、その男を見ると身体が硬直するようになっていた。大男はそんな結樹菜を見て嬉しそうに笑った。その不気味な笑顔は忘れられそうにない。



「ありがとう。少しまとめるね。君は病院に入院していたはずなのに気づいたら地下室に監禁されていた。毎日怒鳴られたりナイフを突きつけられたりして暴力を振るわれたと。もう一つ聞かせてほしい。猫の腐乱死体が散らばった部屋を見つけたんだけど、なにか知ってる?」


「…………ッ!」



 その言葉に、猛烈な吐き気が押し寄せた。知っている。結樹菜は目撃していた。あの空間はまさに悪夢だった。



「できれば話してほしい」

(思い出したくない。でも、それでお父さんとお母さんとお兄ちゃんに会えるなら)



 胃の奥から酸っぱいものが込み上げたが、答えなければならない。



「男の人が……ね、猫ちゃんの……く、首とか……お、お腹を……わ、わた……私の膝の、上で……何度も、何匹も……切って……ち、血が……た、く……さん………それが、毎日」



 地下室で暴力を振るわれて、猫を間近で殺された。自分は見せつけられていた。猫たちが無残にも引き裂かれる瞬間を、勢いよく噴き出してくる血液を、血溜まりに転がる肉片を、せ返るような血の匂いを。


 まさに悪夢だった。意味がわからなかった。何度も気が狂いそうになった。思い出しただけでも、寒気がする。



「ありがとう。辛いことを思い出させてしまってすまないね。飲むといい」



 檜山が緑茶を差し出した。手に取ると温度が絶妙で、喉に異常な渇きを覚えた結樹菜は一気に飲み干してしまった。



「おそらくだけど、君は相馬直弘という犯罪者に誘拐されて、実験台にされたんだと思う。目の前で猫を殺されたのは実験の一部――」



 檜山が言葉を切って、思い出したように呟いた。



「そういえばご飯は用意されてたの? もしかして入浴が許されてた?」



 それは重要な質問なのだろうか。疑問に思いながらも頷くと、神妙な顔が返ってくる。変なことを言っただろうか。いぶかしむ結樹菜をよそに檜山は携帯電話を取り出した。



「もしもし車谷くるまたに所長? あ~そうなんだ。ありがとう。たちばな君には君から話しといて」



 檜山が通話終了ボタンを押す。



「待たせてごめんね。とても重要な話をするから聞いてね」

「……? わかりました」



 結樹菜にとって家族と再会すること以上に重要なことなどないのだが。



「結論から言おう。君は相馬直弘という凶悪な犯罪者にとって特別な存在だったんだ。監禁されたのはそのためだ。そして、僕たちは君を囮にして彼を誘き寄せたいと考えてる」

「…………え?」



 駄目だった。意味がわからなかった。そんな結樹菜を見て檜山が小さく笑う。



「順番に説明するね。まず相馬直弘について。相馬は『能力』を世間に公表した男だ。優秀な科学者であり情報管理統制局の創設者の一人でもある。まあ、彼が在籍してたのは二〇〇〇年から二○○九年までの九年間だけなんだけど」



 優秀な人物だったということが言いたいのだろうか。



「その間に相馬は大きな功績を二つ残した。まず『能力』に目覚める条件を解明したんだ。ある程度『能力』のような異能に理解を持ったうえで精神的または身体的な窮地に追いやられなければ目覚めることはない。その発見は情報管理統制局にとって非常に有益だった。さらに相馬は『能力』をコントロールするための矯正プログラムを確立した。そのおかげで今の情報管理統制局があると言ってもいい…………まあ、とにかく優秀な人間だったんだ」



 条件やプログラムと言われても実感が沸かないが、頷いておく。



「ただ、それは表向きでね。相馬は情報管理統制局に身を置きながら、裏では一般人を拉致して違法な人体実験を繰り返していた。いくつか例を挙げると…………」



 『能力』研究の先駆者であり多大な貢献をしたにもかかわらず凶悪な犯罪者として追われている相馬直弘。そこには身の毛がよだつ、恐ろしい背景があった。

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