第6話 黒髪の戦女神を捕縛せよ!
かつて魔界を統一した魔王クロノが地上で消息を絶ってから数年。
新たに台頭してきた魔神を名乗る存在によって魔界は戦乱期へと入り、そして更に地上からやってきた一人の女性の侵略行為によって、魔界はかつてない激動の時代へと向かっていくことになる。
これまで魔界のほとんどを支配していた魔神軍であったが、徐々に支配地域は制圧され、現在は三つの勢力によって分断されようとしていた。
そのきっかけとなったのは、地上より魔界を制覇しようと侵略してきたミスト達暗黒教団の面々だ。
「ハーハッハッハ! 弱い! 脆い! さあお前達! 今まで散々やられてきたんだ! 倍返し? 甘いな! やられたら十倍返しが基本だろ! 怒りを見せろ! 牙を、そして爪を剥け! 己の信念に誇りをもって斬り進めぇぇ!」
「ウオオオオオ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
「捧げよ! やつらの心臓を我らが魔王へ捧げよ! 血を! 肉を! 魂を! その全てを捧げるのだぁ!」
先陣を切るのは魔界で虐げられてきた魔族達。彼等は魔神軍によって家族を、仲間を、己の尊厳全てを貶められてきた者達だ。
ミストという強大な旗印の下で魔神軍を蹂躙する姿は悪鬼羅刹を思わせるが、それも全ては魔神軍に対する怒りによるところが大きかった。
彼等の奮闘により魔界北部、そして東部はすでに解放され、現在は旧魔王城がある中央地域に攻勢をかけているところである。
中央地域においてもミスト軍の力は圧倒的で、戦線を徐々に押し込んでいく。しかし、順調だったのは旧魔王城を囲むところまでであった。
これまでの力押しとは異なり、旧魔王城に立てこもった魔人達は明らかに指揮を受けた者達の動きで、堅実な守備をするようになったのである。
「ほう……中々やるな」
ミストは感心したように、包囲した旧魔王城を見上げる。
これまで魔神軍には慢心があった。神に選ばれた自分達は選ばれた種族である。魔族など下等種族でしかない。そんな心で戦っていたからこそ、正面からの戦いとなり暗黒教団は蹂躙することが出来た。
しかし、この旧魔王城を守る将軍はこれまでとは違う。
「矢を放て! 魔術を防げ! 敵は烏合の衆! 数はこちらの方が多いです! きっちり守れば敵は何も出来ません!」
ミストが見上げる先にいるのは、将軍とは思えないほど線の細い体を持った人間のような見た目の女性将軍。離れていても聞こえてくる大きな鼓舞は凛々しくも美しく、その指示を忠実に守る守備兵達は堅実で、その練度はこれまで見てきた魔神軍とは一線を画していた。
まるでトールやセイヤを思い出せる黒い髪に、少し平べったい輪郭は地上でもあまり見ない顔立ちだ。騎士のように長剣を振りかざし、致命的になる魔術のみを的確に撃ち落していく姿は
敵ながら彼女の持つ雰囲気は、それだけで美しい芸術を見ているように思え、ミスト自身知らず知らずに笑みを浮かべてしまう。
「くくく、魔神軍にも骨があるやつがいるではないか。さて、ではこれはどうかな?」
ミストが戯れに近くの神官達に指示を出すと、三人の神官達が巨大な火球を放つ。凄まじい威力のそれは、城壁の一部を軽く吹き飛ばす、はずだった。
しかし、すぐに女性将軍が水の魔術でレジストしてきたため、火球はその役目を果たせないまま消滅。それからも色々な属性の魔術で二度、三度と繰り返すも、女性将軍は全てを打ち消し、更に同時並行で戦場で指揮を執っているのだから並の技量ではない。
「面白い!」
圧倒的な個の力量、隙の無い守りの指揮、そして美しい容姿。あの女性将軍はどれをとっても一級品だ。
ミストは蹂躙するのは好きだ。特に己が強いと思っている小物を嬲るのは最高の娯楽とも思っている。しかしそれ以上に、本当の強者を正面から叩きのめすのが大好きだった。
「おい旦那様! 私をあいつのところまで連れていけ!」
背後で控えるトールに指示を出す。いつもなら打てば響くと言わんばかりに己の望みを叶えてくれる男は、しかしミストの言葉に対する返事がない。
それを怪訝に思い振り向くと、トールは呆気に取られてような顔で城壁の女性を見上げていた。
「……旦那様?」
「あ……な、なんだミスト?」
明らかに動揺した様子を見せる男に、ミストはジッと見つめる。
ミストから見たトールと言えば、冷静沈着でどんな無茶ぶりにも完璧に対応して見せる男だ。これまで多くの男を見て来たが、トール以上の男はいなかったし、これからも一生出会う事はないだろうと思う。
しかし、そんな完璧な男でも、男である。であるならば、美しい女を見て呆けてしまうのも仕方がない。仕方がないかもしれないが、許せるかと言えば許したくない。それがミストの心情だ。
「……なあ旦那様? まさかと思うが、今あの女に見惚れていなかったか?」
「……は?」
はっきり言って、トールはモテる。
昔は髪をボサボサにし、常に寝不足だったからか目付きも悪かった彼だが、今では一国の宰相だ。昔と違い身嗜みもしっかり整えられ、元々顔立ちも整っているうえ、若くして最高権力者の一人なのだから、国中の女性達の憧れの的でもあった。
それでいて面倒見がいい。本人に自覚はないだろうが、実際教団の中にはミストではなくトールのファンも多数いるのが実情だ。
当然、過去には彼の寵愛を受けようとする不届き者もいた。もちろん、そんなやつはこの世の地獄を味合わせてやったものだが。
「いやしかし、トールは今まで他の女に目移りしたことなかったのに……何故いきなり?」
「おい、ミスト? おーい」
ミストは腕を組みながら城壁の女将軍を見る。確かに美人だ。これまでミストが見て来た中でもトップレベルなのは間違いない。
とはいえ、これまであらゆる女性のアプローチを受けてきながら全く気付かなかった鈍感魔神のトールである。
あのマリアだってかなり遠回しにトールにアピールしているのだ。全く気付いた様子は見られず、ミストも同情してしまい見逃しているが。
それがどうして突然……そう思ってふと思う。
「……黒髪か?」
まるで天啓を得たと言わんばかりにミストは顔を上げる。
「いやミスト? 何か勘違いしてないか?」
「我が国には黒髪はほとんどいなかった……そう言えば昔、旦那様の国にはフェチという物があると言っていたな……故郷を思い出すというなら、なるほど盲点だった」
「いや別にフェチとかねえけど……」
マリアはミストに匹敵するレベルの美人だが、青髪だ。恐らく青髪はトールの琴線に触れなかったのだろう。それに対しあの女将軍はどうだ?
美人で、強く、それでいて黒髪。なるほど、トールの好みに一致しているではないか。
「……ちっ」
つい苛立ち混じりに舌打ちをしてしまう。凡愚が近づいて来ようとミストの敵ではないが、あれほどの器量を持ち、それでいて強く、何よりトールのフェチである黒髪ともなれば、流石に危機感を覚えてしまう。
「潰すか」
ふと零れた言葉に、しかし思う。ここで彼女を潰すのは難しくない。確かに強いが、己の軍勢は最強だ。いかに優れた指揮官であろうと、如何に個人の武勇に優れていようと、負ける道理など一切ない。
ここは戦場だ。であるなら、全力を持って敵の将軍を潰す判断は間違っていない。しかし女として、それで良いものかと問いかける。
「み、ミスト……?」
「否、否だ!」
「うおぃ!」
ミストは近づいてきたトールの手を振り払い、城壁の女将軍を睨みつける。
「我が名はミスト・シノミヤ・フローディア! 美の化身にして世界最高の女傑である! 魔術師としてはもちろん、女としてもあのようなポッと出に負ける道理などない!」
「ま、まてミスト……だからさっきから何の話をして……」
「旦那様は黙ってろ!」
「うぉ!?」
見ず知らずの女に見惚れるなど情けない、とは思わない。何せトールは故郷よりも自分を選んでくれたのだ。そして自分を選んだからこそ、黒髪との縁を一生切ることとなった。
だから、故郷を思い出すあの黒髪に惹かれることだけは、寛容な心で応対しなければならないと思う。
「旦那様よ! 黒髪が欲しいか!?」
「は? 別に要らねぇけ――」
「そうか欲しいか!」
「いや聞けよ」
トールはいつも自分に色々な物を与えてくれる。だがそれに対して自分はどうだろうかとミストは考える。
この男は何でも出来る。もちろん自分は至高の存在と疑っていないミストは、与えられるのが当たり前だと思っていた。だが、そんな彼女もトールに対してだけは考え方が異なってしまう。
――与えたい。女として、求められたい。
そんな欲求がその身に宿っていた。
これはミストにとって馴染の少ない感情だ。トール以外の人間には思いもしなかったものでもある。
だが、それが不思議と心地良い。
「お前達ぃ!」
ミストは振り向き、己を守る親衛隊達を見渡す。トールが己の半身だとすれば、彼等は手足である。世界最強の、ミスト・シノミヤ・フローディアの剣達だ。
「あの女を捕えろ! 決して傷付けずに我が眼前まで連れてくるのだ!」
「「はっ!」」
どんな無茶な要求でも彼等は迷わない。疑わない。何故なら手足が、武器が考える事など必要ないからだ。
世界中にいる数百万を超えるミストの信者たちの中でも、トップクラスの実力者達。彼等が集団で戦えば、太刀打ち出来る者など極々わずかである。
恐らくあの女将軍はそんな僅かに入るレベルの猛者だろう。だがそれがどうした?
彼等にとってミストの命令は絶対。そこに疑問を挟む余地も、思考を挟む余地も必要ないのだから。
「いや、あのレベルの奴を無傷っておま――」
「わかっている。皆まで言うな」
トールの言葉を遮って、ミストは主戦場を見渡す。これまで蹂躙してきた敵とは思えないほどの粘りを見せ、一進一退の攻防を繰り返している。
しかしそれもあの黒髪の女将軍が指揮をしているからに他ならない。親衛隊達が女将軍と戦いを始めれば指揮系統は乱れ、城壁はあっさりと陥落するだろう。
そうすればあの女将軍を捕えるのも難しくはない。そして、ミストにとって本当の戦いはこれからだ。
「旦那様は大人しく待ってろ。誰が一番か、その身にしっかりと刻み込んでやるからな」
相変わらず何か言いたそうなトールを手で制し、ミストはトールに微笑みを浮かべる。その笑みを、とても優しい女神のような微笑みだった。
「いや……だから……あのな? その……もういい」
何か言いたそうなトールだったが、最期の最期で諦めの表情を浮かべ、城壁の女将軍を見る。
もう何も言わず、自分と同じ、日本人と思われる女性を見るのであった。
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