第二部 魔界世界を制圧せよ!

第1話 魔神軍を殲滅せよ!

『殴られたら殴り返せ。殴られてヘラヘラ笑ってるのは軟弱者のすることだ』


 そんな言葉を平然と言い張る自分の父親が、世間一般的にあまりいい人間と言えない事を一条(いちじょう)誠也(せいや)は知っていた。


 博打はするし酒は飲む。しかも結構な悪酔いをするタイプで、母親が泣かされた事も何度もあった。その度に父親に殴りかかるのだが、大人と子供。その体格差は如何せんどうにも出来ず毎回返り討ちにされたものだ。


『お前は中々大した奴だ。俺が殴っても泣かないからな』


 そうやって地面に這いつくばる自分を見て笑う父親の姿がセイヤは大嫌いだった。


 酒臭いし親父臭い。周囲の人間関係もあまり良さそうではなかったし、見るからにチンピラといった風貌。これで警察官だというのだから、世の中間違っているといつも思っていた。


 そうして結局母親には愛想を尽かされ、いつの間にか逃げられる始末。


 一緒に連れて行ってもらえなかった幼いセイヤは、一人で生きていく手段を持っている筈もなく、嫌いな父親と二人で生活を余儀なくされたのだ。


『いつか将来、俺が殴った分だけお前は俺を殴ればいい。世の中ってのは平等でな、因果応報、自業自得、身から出た錆。結局のところ、悪い事をしたら自分に返ってくるんだよ』


 そんな駄目男だが、たまに大人らしい言葉を発するときがあった。


 警官の癖に自分が悪い人間である自覚を持っている父親は、セイヤを殴った後いつもそう言うのだ。そして決まり文句のようにこんな言葉を続ける。


『お前は俺みたいになるなよ。悪事が返ってくるってのは同時に、善意も返ってくるんだからな。なんせ、目に見えないだけで世の中平等だ。努力は実らなくても無駄にはならないし、縁は切れたように見えてもどこかで繋がってる』


 その言葉は母親に逃げられた後悔の念から出ているだろうと、幼いなりに理解していた。そして同時に、自分に言い聞かせるように言う父親の姿を見て、自分は決してこうなりたくないと思ったのだ。


 きっと父親は自分の人生に後悔しているのだろう。


『悪意には悪意を。善意には善意を。苛められたら苛め返せ。助けられたら助け返せ。絶対に恩も仇(あだ)も踏み倒すな。仇を踏み倒せば損をするし、恩を踏み倒せばそれは悪だ。踏み倒した分だけ、より大きな悪に踏み倒される。いいか、最後にもう一度だけ言うぞ』


 ――世の中ってのは、意外な事に平等だ。


 セイヤの中学卒業式、父親は昔捕まえた犯罪者の恨みによって殺された。


 せめて子供を庇ったとか、誰かを助けた代わりに死んだとかなら格好も付くが、最後は酒を飲んでいる時にナイフで刺されるという、実にチンピラらしい死に様だったそうだ。


「……世の中、意外と平等か」


 父親の最後の言葉は、半年たった今も深く心に残っていた。


 因果応報、自業自得、身から出た錆。父親が殺されたのも、それに見合う悪事を重ねていたからなのだろうか。


 死んだ父親が、セイヤは大嫌いであった。


 酒癖は悪いしすぐ殴る。おまけに警察官として鍛えているせいで反撃しても返りうちにされる始末。母親には逃げられて、唯一血の繋がった息子には毛嫌いされる最低の父親だ。


 最低な父親で、駄目な父親で、いつもいなくなればいいのにと思っていた。


「それでも、一人になるってのは結構寂しいもんだな」


 雨が降り注ぐ中、ひっそり佇む父の墓の前でセイヤは一人呟いた。心に穴が空いた気分だ。もはや自分の人生も、世の中もどうでもいいとすら思ってしまう。


 だが――


「誠也は一人じゃないよ」


 びしょ濡れのセイヤの頭上に、一本の傘がさされる。それは本来、濡れ切った身体に何の気休めにもならないはずだ。だというのに、たった一本の傘が、言葉が、彼の心の空虚を埋めていく。


 誠也は振り向く。そこには幼い時からずっと一緒だった三人の男女がいた。


「そっか……」


 彼等は笑っていた。笑いながら、手を差し伸べてくれた。


 それは彼等にとって当たり前のことだったのかもしれない。だが、そんな当たり前の事が、セイヤにとって心の救いとなったのだ。


『悪意には悪意を。善意には善意を。苛められたら苛め返せ。助けられたら助け返せ。絶対に恩も仇(あだ)も踏み倒すな。仇を踏み倒せば損をするし、恩を踏み倒せばそれは悪だ。踏み倒した分だけ、より大きな悪に踏み倒される』

 

 父の言葉――それはセイヤという人間の原点でもある。


 もしあの場で彼等に救われなかったらきっと、父と同じようにロクデナシの人生を歩んでいたに違いない。不良として喧嘩と酒に塗れ、チンピラになり、最期はろくでもない死に方をしたはずだ。


 セイヤは彼等に人生を救われた。だから誠也は一生を賭けて彼等を助けると誓った。彼等以上に大切な物など、この世にないのだから。


 



 そう誓っていた筈なのだが―― 


「なんか気付いたら、守らなきゃいけないもんが増えちまったなぁ……」


 魔王城の城壁から外を見下ろす。そこには大地を埋め尽くさんほどの魔獣の群れ。もはや一万、二万では済まない、恐ろしい数だ。


 周囲には城壁から魔術や弓で魔獣の群れを撃ち落す魔族達。彼等はみな、自分と同じように守るべき者のために戦っていて決死の表情をしている。


「なんでかなぁ……っかしいなぁ……」

「セイヤ、いつまでもグダグダと言うのは男らしくないわ。1年前私の胸に誘惑された貴方が悪いのだから、いい加減覚悟を決めなさい」

「待て姫さん。俺は別にアンタの胸に誘惑されたわけじゃない」

「初対面の時あんなに強く揉んだくせに」

「あれは姫さんが押し付けてきたんだろうが!」


 この魔界の地に勇者として召喚されて一年。魔王クロノの娘にして現魔王のイリーナが率いる魔王軍と魔神軍の戦争は激化の一途を辿っていた。


 その中で、セイヤはイリーナの命を受け、魔界全土で魔人軍と戦いを続けている。


 魔王と戦った時よりも更に成長したセイヤの実力は魔界の中でも群を抜いており、幹部級の魔人達を多く倒してきたが、そもそもの数が違いすぎた。


 たった一人では、局地的な勝利に貢献することは出来ても、魔界全土で行われている生存戦争において、そう役立てるはずもない。


「確かに貴方のおかげで多くの幹部達を討ち滅ぼせたわ。だけどここが落ちたら魔界は終わり。それが分かっているからこそ、魔神もここに戦力を集中し続けているの」

「わかってるって。だからこうして、魔王軍の最高戦力である俺と姫さんがいるんじゃねえか」

「わかってるなら、さっさと行きなさい」


 美しい銀髪の少女は、顎をクイッと魔獣の群れに向けて上げる。行けというのは、魔獣の群れに突っ込めという合図である。


 セイヤは城壁の下を見る。何度も言うが、魔獣の数は大地を埋め尽くさんとしていた。


「……なあ姫さん、俺って結構頑張ってるんだから、そろそろ褒美が欲しいっつーか――」

「……汚らわしい」

「俺まだ何にも言ってねえけど!?」

「どうせいつものように胸を揉み扱かせろと言うのでしょう?」

「一度も言った事ねえよ! なに当然のように俺がいつも姫さんの胸を狙ってるみたいな悪評ばら撒いてんの!?」

「……くっ」


 イリーナはまるで過去に受けた辱めを思い出したかのように顔を背け、悔しそうに顔を歪めた。彼女の周囲で護衛をしている魔族達の目が、セイヤに向けて鋭くなる。


「おい止めろ! マジみたいに見えるだろ!? おいお前らも信用するなよ! 俺は姫さんの胸に興味は――」


 チラっとイリーナの胸を見る。大きい。ゆったりとした蒼銀のドレスの上からでも分かるくらい大きい。まるでメロンのようだとセイヤは思った。


「目は口ほどに物を言うわね」

「しまった!」


 未だ童貞のセイヤにとって、美し過ぎる彼女の胸はあまりに魅力的だった。


「ってちげぇから! 欲しいのはそろそろ休暇! マジで俺休んでねえの!」

「魔神倒したら休ませて上げるわよ?」

「ドブラック過ぎんだろ!」


 地上で勇者として戦ってた時だってもう少し余裕があった。とはいえ、休んでいないのは目の前の王女も同じ。この細い体で、誰よりも多く戦場に立ち、誰よりも多くの政務を行って来た。


 じっと見つめると、その瞳の奥には不安が隠れているのが分かる。それに碌な睡眠も、食事もとれていない筈だ。だが彼女はそんな弱みを周囲には一切見せない。


 彼女は、セイヤの知る誰よりも強かった。


「はぁ……わかった、わかりましたよ! 行けばいいんだろ行けば!」

「……よろしい。ではセイヤ、王女イリーナが命じます! 魔獣の群れを殲滅しなさい!」

「はいよ!」


 そうして城壁から飛び降りたセイヤは、十万を超える魔獣の群れへと突っ込んで行った。


 それから三日後、無限にいると思われた魔獣の群れは殲滅されることになる。


 たった数年で魔界最強であった魔王クロノと互角に戦えるようになった男は、そこから更に六年の研鑽を積みさらに強くなった。その強さの底はまだ誰も見えない。




 そして、地上――


「くくく、国内情勢もようやく安定した。ミコトも夜泣きはなくなった。さあ、これで我が魔界侵攻を脅かす者は全てなくなったぞ! これで準備は全て整ったな、旦那様よ!?」

「ああ、魔界への道も見つけた。幹部達を連れて行っても、今の国なら問題はない。行けるぞミスト」

「ハッハッハ! どうやら今は魔王軍の残党と、魔神なる新たな勢力とが争っているらしいが……ククク……面白い。どちらの勢力も、きっちり潰して誰がこの世の支配者か、知らしめてくれようではないか! アハハ、ハーッハッハッハ!」


 混沌としている魔界に、更なる災禍が訪れようとしている事を、魔界の者達はまだ誰も知らなかった。

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