第2話 支配された魔王領を解放せよ! 前編

「ば、馬鹿な……」


 グリフォンの羽根を生やし、蛇の尻尾を持つ黒い狼――マルコシアス。


 魔界を滅ぼさんと侵略を繰り返す魔神軍の将軍であるこの男は今、制圧した都市の城壁から驚嘆とも言える表情で眼下の光景を眺めていた。


「俺様の兵達は魔神軍でも最高の突破力を持った精鋭部隊だぞ……それが、それが!」

 

 マルコシアスは鋭い牙を潰すほどに強く歯ぎしりをする。


 己が鍛え上げてきた最強の兵士達。一人一人が厳しい訓練を乗り越えてきた、自慢の精鋭達だ。それがまるで羽虫のように蹴散らされていく状況は、まるで悪い夢でも見ているようだ。


「何なんだ……何なんだテメェ等はよォォォォ!」


 眼下の集団。おおよそ一万程度の軍勢は今日突然現れたと思うと、マルコシアスが支配する城塞都市の前で陣取り、まるで挑発するかのように魔術を空へと向けて放ってきた。


 ――舐められている。


 魔神軍随一の孟将として魔王軍から数々の城を奪って来た自分が、魔将軍と知られる自分が、自分達の軍が舐められている!


 この城塞都市に集まる戦力は優に十万を超える大軍だ。対する相手の戦力はどう多く見積もっても一万程度。城攻めの難しさを考慮すれば、守っていれば相手はおのずと自滅することは分かっていた。


 だがそれでも、マルコシアスは一考の余地なくこの雑軍を滅ぼすことを決めた。魔神軍の将軍として、例え相手が正体不明の軍であっても弱気の姿勢を見せるわけにはいかなかったからだ。


 何より、挑発されて笑顔でいられるほど、気の長い性格はしていない。魔神軍の中でも孟将として知られるマルコシアスは、気性の荒い魔人であることもまた、知られていた。


「たかが一万程度の相手に何をモタモタしてやがる! こっちは十倍以上いるんだぞ! 魔神軍一の孟将、このマルコシアス様に恥を掻かせる気かテメェラはよぉぉぉ!」


 マルコシアスは醜態を晒す部下達に激を飛ばす。


「このクソ雑魚野郎どもが……もういい、俺が出る!」


 十倍近い戦力差であるにもかかわらず、明らかに押されている部下達に痺れを切らしたマルコシアスが、巨大な戦斧を持って出陣する。


 己ならあの程度の敵、皆殺しに出来ると確信しての、出撃である。


 ――その判断が彼の全てを狂わせることになるとは知らずに。





「くくく……ハーハッハッハ! 見てみろ旦那様よ! まるで虫けらのように空を舞う魔獣達! 全く愉快! 中々面白い見世物ではないか!」


 ミストは軍の本陣から腕を組み、楽しそうに高笑いを続ける。


「どうせ数が多いから正面から潰せばいいとでも思ったのだろう! 馬鹿め! 確かに戦いは数が重要だが、たかが十倍程度で我が軍門を打ち砕けると思うなど片腹痛いわ!」


 そんな彼女の周囲を囲むのは、暗黒教団の中でもより優れた精鋭達だ。ミストの勇姿をより近くで見る事の出来るこのポジションは、この程度の戦争が可愛く見えるほどの熾烈な争いを勝ち抜かねばならない。


 そして今戦場にて魔神軍を蹴散らしている神官達は皆、このポジションを手に入れる為に死にもの狂いで功績を上げようとしているのだ。


『殺せ、殺せ、殺し尽せェェェ!』

『こんなむさ苦しい戦場よりミスト様のお傍で仕えテェヨォォォ!』

『功績だ! 功績を寄越せ! 首を、身体を、その命をヨコセェェェ!』

『ミスト様ミスト様ミスト様!』

『カグヤ様! 小さく可愛いカグヤ様! とってもキュートなカグヤ様!』

『ヤマトきゅんハァハァ! ヤマトきゅんハァハァ!』


 遠目からでも分かる異質な雰囲気は、子供達の教育に悪そうだとトールは思った。


「……こういった雰囲気も久しぶりだな」


 トールは少しばかり感慨深い気持ちになっていた。大陸を統一してからは、国の経済を発展させる事に注力してきた。その甲斐あって、ミストが統治する大陸はかつてないほどの安永を誇っている。


 だがその分、こうした戦いの場に出て来る機会は一気に無くなった。当然だろう、平和な国のトップが戦いに出るタイミングなどある筈がないのだから。


 ゆえにトールはミスト同様、久しぶりの戦場に気分が高揚していた。


「おお、これが戦場か……話には聞いていたが、やはり我が軍は圧倒的なのだな」


 トールの隣に立って戦場を見下ろしているのは、五歳を過ぎたばかりの息子、ヤマトだ。言葉もだいぶはっきりと話せるようになり、小さいながらもその堂々とした立ち振る舞いはミスト譲りでとても様になっていた。


 初めての戦場を目の前にしても臆した様子は見せず、我が子ながら将来有望だと感心してしまう。


「あわ、あわあわわ……」


 逆に怯えた様に足にしがみつくのはカグヤだ。見た目はミストそっくりだというのに、その雰囲気はずいぶんと逆に見える。


「怖いなら帰るか?」

「だ、大丈夫パパ……だけど、手は握ってて欲しい」


 リトルミストは涙目になりながらぎゅっと手を握って来ってくる。怖いなら怖いと素直に言えばいいと思うのだが、仕方ない。とトールは顔を引き締めて手を握り返してやる。


「旦那様よ。顔が緩みまくっているぞ。戦場だというのにデレデレし過ぎだ」

「そんな事実はない」

「父よ……その顔では説得力がないぞ」


 まさか息子からまでそんな風に見られているとは、と思うトールだが、暗黒神官の一人がさっと出してきた鏡に映る自分を見てると、その目は蕩けるように落ちていて口元は緩みまくっていた。


 とはいえ仕方がない事だろう。可愛い可愛い娘が頼ってくれているのだ。父親として、これ以上の幸せはない。


「む……父よ。あれは中々の猛者ではないだろうか?」

「ん?」


 見れば城門から新たな軍勢が出てくるのが見えた。ヤマトの言う通り、今まで外で戦っている雑兵とは比べ物にならない練度のように見える。


 その軍勢が突撃してくると、最前線の一部が崩された。


「へぇ、やるじゃねえか。前線が崩されるなんて帝国の奇策一回くらいだったのに」


 トールは止まらない魔神軍を見て感心したように呟く。目を引くのは狼の姿をした魔人。あれが噂の魔将軍とやらだろう。あの魔人を先頭に、突撃してくる部隊こそ、この軍の主力に他ならない。


 敵を倒しながら何度も吼える姿は味方を鼓舞し敵を委縮させる。恐らくかの戦場ではここから見える以上に威圧されている事は想像に難くない。


 ましてや総大将本人の登場である。完全に押されていた味方からすれば、正に万軍の増援を得たに等しく、その士気は疲労すら吹き飛ばすに違いなかった。


「だが、それは下策だ」


 明らかに押されている戦場において、総大将自ら飛び出してくるなど下も下。あの魔人がしなければならなかった事は、増援が来るまで城塞都市に籠るか、いっそのこと全力で逃げるかの二択だけだ。


 そうして他の軍に侵略者の脅威を伝え、対応を練るべきだった。


 いくら蹂躙しようとも、敵軍は十万。全滅させることは可能だが時間はかかる。三万程度この場に残せば、他が逃げる隙くらいは作れたはずだ。だと言うのに、あの魔人は前線へと出てきた。


 ――死と混沌が支配する、戦場のど真ん中へ。


「よっぽど自分の武に自信があるんだろうけど、そいつは過信ってもんだ」


 地球と違い、たった一人でも戦場を支配できるのがこの世界の戦争だ。だがしかし、それはあくまで絶対的な力を持つ者だけに許された特権。


 たとえ今は押されようとも、戦場で暴れる暗黒神官達は雑兵とは違うのだ。彼等を圧倒できる存在など、かつての魔王や勇者クラスでなければありえない。


 ましてや最前線の新兵達と違い、その後ろに控える部隊は大陸戦争すら蹂躙した暗黒教団の精鋭達である。新兵相手にあの程度では、相手側の総大将が打ち取られるのも時間の問題だろう。


 トールとミストは大将らしくドンと構え、ただ待っていればいい。それだけでこの城塞都市は攻略出来ると確信していた。


 故に待つ――


「くくく、血が滾るとはこのことか! この大地の悲鳴! そして空に舞う鮮血の雨! 戦場の花々は何とも美しいものではないか!」 


 ――などという選択肢を取れる筈がなかった。


 すでに我慢の限界にきてしまっている愛しい彼女が、凶悪な笑みを浮かべて戦場を見下ろしていている。そして瞳を輝かせて自分を見ているのだ。


 極力目を合わせない様にする。


「旦那様よ! 私も出るぞ!」


 それが無駄な抵抗だということくらい、分かっていたが。


「待ってれば勝てるんだけど」

「待つ意味がないな!」


 動く意味の方がないのだが、まあいいとトールは思う。すでに親衛隊たちは二人一組でストレッチを始めていたし、そもそもこの軍勢はミストが愉しむことを最優先に動くのだから。


「父よ。我も行きたいぞ!」


 背中に背負った子供用の剣を素振りしながら、ヤマトが見上げて来る。憧れの男がいるらしく、学び始めた剣術は意欲的に吸収し、わずか一年鍛えた程度だが、相当なものだ。母譲りの胆力は初の戦場にもかかわらず、一切物怖じしていない。


 とはいえ、いくら何でも五歳の子供を戦場に送り込むようなど愚の骨頂。トールは父らしく厳格に抑えようと思うが、その前にミストが口を開いてしまう。


「その心意気や良し! それなら母に付いて来い!」

「うむ!」

「あ、ちょ!」


 そう言って飛び出す二人。ちなみにすでに身体能力が馬鹿げているヤマトと違い、ミストは親衛隊がかけた身体能力頼りである。そしてこの親衛隊、基本的にミストの言う事以外聞かない。


「おいお前ら! 絶対二人から離れるなよ」


 無言で親衛隊が追いかける。本当はトールもミストを追いかけたいが、この場にはまだカグヤと、スヤスヤ寝ている赤ん坊のミコトがいた。流石にこの二人を放り出していくわけにもいかないパパ神官である。


「カグヤは……怖いからここでお留守番してるね」

「大丈夫だ。行けなんて絶対言わないから」


 なお、ここも戦場である。この娘もミストと自分の子であるだけあって、若干普通とは違う感性をしている気がした。


 そして戦場で爆発音や怨嗟の悲鳴が響く中、すやすやと眠るミコトは間違いなく将来大物になるだろうと確信するトールであった。




 それから間もなく、暗黒教団側から歓声が上がる。見るとミストが敵の大将を血祭に上げ、空から高笑いをしている姿が見える。


『ははは! ハーハッハッハ! さあよく見ろ魔人共! この無様な駄犬が貴様等の総大将、そして私がこの軍の総大将だ! どちらがより強者か、これではっきりしたな! 勝敗は決した! さあお前達、我が名を叫べ!』

『ミスト・フローディア! 偉大なる統一帝王にして世界一可愛い最強王女!』

『もっとだ! もっと叫べ!』

『ミスト! ミスト! ミスト! ミスト!』

『そうだ私だ! 私こそが世界の支配者、ミスト・フローディアだ! さあ魔神の兵達よ、この名を己が身命に刻み、恐怖に震えるがいい! 新たな魔王も、魔神も関係ない! 魔界は我が支配下に置くと決めた! 私が決めた! 故にこれは決定事項である! さあ貴様等、我が名を叫び、その力を魔界全土へ知らしめるがいい!』


 その宣言と共に魔神軍を蹂躙する勢いが増しいく。総大将が捕えられ、戦意が低下している相手に容赦なく攻め立てる姿は、まるで悪の皇帝にしか見えなかった。


『ははは、ハーハッハッハ! 進軍せよ! 蹂躙せよ! 我が部隊の力、見せつけてやれぇぇぇ!』


 そんな様子をトールは娘であるカグヤと二人で眺める。


「ママ、凄く楽しそうだね」

「ああ、スッゲェ楽しそうだ」


 それならまあいいかと、そう思うトールであった。

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