第7話 魔王軍の生きる道を模索せよ!

 魔神軍を殲滅したイリーナは、氷の大地を踏みしめながらゆっくりと魔界を見渡す。辺り一帯は彼女の魔術によって氷の彫像となった魔獣達がずらりと並んでいた。


 己が凍った事すら気付かないままの者もいれば、恐怖に負けて逃げようとしている魔獣もいる。時間すら凍りつくされたその場所は、一つの世界を作り上げていた。


 空は血のように紅く、鈍い雲に覆われていた。大地を覆う白銀の世界とは対照的で、その世界の歪さが魔族の心を荒ませるのかもしれない。


「この荒廃した大地の風が気持ちいいと感じるのは、私だけなのかしら?」


 氷の世界にただ一人立つ白銀の女王。それは触れれば壊れてしまいそうなほど儚く、幻想的な風景だ。


「魔界はこんなにも美しいのに」


 凍った魔獣に触れながら、その冷たさに己の身を委ねる。そうすることで、己が世界の一部として認められているように錯覚出来た。





 かつてイリーナは、父であり魔王であったクロノによってその身ごと封印されていた。もし封印されなければ、生まれ持った強大な魔力が暴走し、魔界全土を氷の大地へと変貌させかねなかったからだ。


 彼女がそれを恨んだことは一度もなかった。


 母が誰なのかは知らないが、父であるクロノは不器用ながらも愛情を注いでくれていたし、過酷な土地ではあったが、魔王の部下である魔族達はイリーナのことを大切に扱ってくれていた。


 父によって封印を告げられた時も、仕方がないと思ったのだ。そうしなければ魔界全土を氷雪の地獄へと変貌させかねないほど自分の力は特別で、その成長速度は異常だったのだから。


 イリーナは魔界を愛していた。たとえそれがどんなに厳しい土地であったとしても、彼女にとっては生まれ故郷で、美しい世界だったのだ。


 もし地上に打って出た魔王クロノが倒されなければ。もしくは魔の神を自称する者が現れなければ。イリーナは今でも封印の中だっただろう。だがそれでも良かったのだ。


 愛すべき魔界が守れるなら、己が封印されていようとイリーナは満足だった。己の力が必要になる事態など、ないに越したことはないのだから――






 イリーナが旧魔王城が制圧された、と伝令から聞いたのは大陸南部を制圧した後だ。


 大陸南部に存在する城塞都市ゲンブの作戦会議室で、セイヤの隣に座ったイリーナは地図を広げながら、側近達を集めて魔界の情勢について考えていた。


「これで東部、西部に続いて中央も制圧されたということだけど、セイヤはどう思う?」

「まあ、俺らとしては最悪から一歩だけ前に進めた、って感じだな。とはいえ、別に状況が好転したかって言われっと微妙だけど」

「……そうね」


 幸か不幸か、ミストの進軍によって中央に戦力を集めなければならなくなった魔神軍は、その戦力をほとんどを南部から撤退させている。


 これまで一方的に攻勢に晒されていたイリーナ率いる魔王軍にとって、このチャンスを逃せるはずがなかった。撤退する魔神軍を徹底的に攻撃し、支配していた街や村の奪還することに成功したのだ。


 これにより戦力の補充、そして設備の補強などの時間を得ることが出来た魔王軍は、一時ばかりだが平穏な時間を得ることが出来た。


 一年以上まともな休息を得られなかったイリーナやセイヤも、ここ数日ばかりは体を休め、久方ぶりに満足のいく睡眠を取ることが出来たくらいだ。


「私たちがあんなに苦戦した魔人達をこうもアッサリ……流石は父を倒した集団なだけあるわね」

「……一応言っとくけど、魔王殺しなら俺も関わってっからな」


 イリーナは素直に感嘆の思いから放った言葉なのだが、複雑な気持ちを抱いているとでも思ったのか、セイヤがわざわざ言わなくてもいいことを言ってきた。


 魔族にとって力が全てだ。背後から不意打ちを受けたならともかく、正面から戦って負けたのであれば、それは魔王クロノより相手が強かった。ただそれだけの話である。


 ミストを恨んでもいないし、ましてや魔界を滅亡から救うために尽力を尽くしてくれているセイヤを責められるはずがない。


 だというのに、彼は時折こうしてワザと悪役になろうとしてくる。悪役になることで、罵倒を受け、相手の溜飲が下がるのを期待しているのだろうが、全く意味がないことを理解していない。


 じぃっと彼の顔を見上げてみる。


「な、なんだよ……」

「もしかしてセイヤって、ドMの変態なの?」

「おい待て、一体何をどう思考したらそんな結論になった!?」

「私、ムチとかはあんまり得意じゃないのだけれど、セイヤがどうしてもって言うなら頑張るわ」

「淡々とムチで叩かれるとか恐怖以外の何物でもねえよ!」


 ちょっとからかうとすぐムキになって叫んでくる。それが面白く、もっと彼を弄りたくなるのだ。


 イリーナはセイヤにばれないように、小さな氷を瞼にそっと当て、目元を濡らし、口元を抑えて顔をそらす。


「ひどい……ちょっとからかっただけなのに……そ、そんなに怒鳴らなくてもいいじゃないっ」

「え? ちょ、なんで泣いてっ、いやその、あっと……悪い」


 あからさまなウソ泣きなうえ、棒読みなのに物凄く動揺しているセイヤを見て、少しだけ罪悪感を覚えてしまう。まったくもって純情な男である。これは世の女性のことをちゃんと教えてあげないと、悪い女に引っかかってしまうかもしれない。


「罰として……そうね、お尻を出しなさい」

「何で!?」


 とりあえずウソ泣きを見抜けなかったピュアボーイに世の中の厳しさを教えることが先決だろう。氷で出来た大きな棒を軽くスイングする。


 氷点下以下で出来た氷棒は白い冷気を揺らせながら、ヒュンッっと鋭い音を鳴らす。それを二度、三度と繰り返し、納得のいくスイングが出来たイリーナは満足げにセイヤを見つめ、口を開いた。


「いけるわ」

「いけんな!」


 持っていた氷棒があっさり溶かされる。驚くほどの早業だ。イリーナは抵抗するどころか、いつ溶かされたのかさえわからなかった。


 とはいえ、百戦練磨の勇者であるセイヤに対して、魔力が多いだけで戦闘面に関しては素人の域を出ない自分が彼の挙動を察知することなど出来るはずがないのだが。


 とりあえず、もう一度氷棒を作ってみる。が、一瞬で溶かされる。


「ねえセイヤ……どうして溶かすのかしら?」

「あぁん!?」


 イリーナが不満げに睨むと、ガラ悪く睨み返される。先ほどよりもかなり凶悪な顔だ。とても聖剣に選ばれた勇者とは思えない。


「だから、そんなに睨みながら怒鳴らなくてもいいじゃない」

「人のケツぶっ叩こうってやつに優しくできると思うな!」


 正論である。しかし元を正せば女のウソ泣きに簡単に騙されるセイヤが悪いのだ。正義は彼が悪い女に引っかからないよう教育している自分にある。


「お尻を叩かれるのは嫌なの?」

「どうして嫌じゃないと思った!?」

「だってセイヤ、ドMの変態じゃない!」

「それはお前が勝手に張ったレッテルだろうが! 力強く言えば押し切れると思うなよ!」


 なるほど、と頷いたイリーナは一歩セイヤに近づくと、その暖かで大きな手を両手で包み見上げる。


「……だってセイヤ、ドMじゃない」

「可愛らしく言えばいいってもんじゃねぇぇぇ!」


 今日一番の怒鳴り声が作戦会議室に響き渡る。


 二人の様子を周囲の魔族達は呆れたように、だがどこか微笑ましい様子で見ていた。それを感じ取ったイリーナは少しだけ頬を染めてコホンと一息吐き、表情を真剣なものへ変える。


「さて、それじゃあ本格的に、今後の動きについて考えましょうか。みんなはどう思う?」


 イリーナは周囲の側近たちに問いかける。彼らの答えはみんな同じだ。このまま南部を安定させたのち、そのまま西の魔神を倒す。


「無理だな」


 だがそれを否定するのは、この中で唯一の人間であるセイヤだ。まるで一考の余地もない、と言わんばかりに意見を切った。


 それにより作戦会議室の温度が一気に上がった。元より好戦的な者が多い魔族である。また、これまでの魔人達による蛮行により、怒り恨みは消さないでいる状態だ。


 これまでの戦いで実力を認めさせてきたセイヤであるが、流石にこの場で消極的な意見を出した事は許される雰囲気ではない。


 スーツ姿に白い髪をオールバックにした初老の魔族――シルバが、落ち着いた声でセイヤに問いかける。


「セイヤ殿、なぜ無理だと? 今魔神軍の力は大きく削がれています。このチャンスを逃すわけにはいかないかと具申いたしますが」


 それは他の魔族達にとって共通認識だ。中央大陸を制覇しているミスト軍は確かに強大だが、彼らの大部分は魔族で構成されている。そしてこれまでの動きを見ても、ミスト軍の敵は間違いなく魔神軍。


 敵の敵は味方、と誰もが思っているわけではないが、側近達にとってミスト軍は同朋だと思っていた。自分たちが魔神軍に攻め入れば、必ず協力してくれると思っているのだ。


 だがセイヤは違う。魔族を率いる者がミストであると聞いた瞬間から、魔界の情勢はあまりにも複雑になったと思ったくらいだ。


 セイヤは過去を思い出す。魔王クロノとの戦いのとき、彼は共闘を持掛け、そして一蹴された。そう、ミスト・フローディアにとって、敵の敵は敵なのだ。


「俺はミスト・フローディアという女をよく知っている。奴は、俺らがこのまま魔神軍に攻め入れば、これ幸いと俺らの背後から襲いかかって殲滅しにかかるような女だ」


 その言葉に否定的な者は多い。なにせ率いている者はともかく、主力となって動いているのは今や魔族達なのだ。仲間を裏切るはずがないと思うのは仕方がないだろう。


 だがセイヤは言い続ける。ミストの手腕がいかに恐ろしいのかを。地上を征服した彼女のカリスマは、己の腕一つあればのし上がれる魔界とは違った強さがあるのだということを。


 一人、そしてまた一人と側近達がセイヤの言葉に意気消沈していく。


 彼の言葉を素直に聞くなら、こちらから魔神に攻め入ることは出来ないということなのだ。


「そう、貴方の言い分はわかったわ。だけどそれなら、私たちはどういう動きを取るべきかしら?」

「降伏」


 そういった瞬間、会議室の面々が立ち上がり、殺気立った瞳でセイヤを睨む。


 ――ただ一人を除いて。


「そう、なら使者は私しかいないわね」

「姫様!?」

「何をバカな!?」


 まるで当たり前のようにそういうイリーナに、周囲の側近たちは揃って驚愕し声を上げる。


 考え直して欲しい! 我々を信じてほしい! 様々な言葉が投げかけられるが、イリーナは動じない。なぜなら、彼女にとっても降伏以外の道は見えてこなかったからだ。


 イリーナはもう一度地図を見る。


 たった数年で塗り替えられた魔界の勢力図は、そこから一年でさらに塗り替えられた。そんな偉業を成し遂げたのは、自分達以外の勢力達だ。


 もはや、自分達が生きる術は降伏以外に存在しない。そして、当然ながら魔神に対して降伏するという選択肢はない。


「さあセイヤ、貴方は護衛よ。せいぜいしっかり守りなさい」

「あいよ……はあ、二度と正面からは会いたくなかったんだけどなぁ」


 そうしてミストの下へと下ることを決意したイリーナは、セイヤを連れて北の地へと足を運ぶのであった。


 これにより、魔界を巡る戦争は終盤を迎えることとなる。もっともそれは、セイヤやイリーナが予想していたものとは違う展開であった。




「くくく、久しいな聖剣の勇者よ」

「ああ、出来ればあんたとは二度と会いたくなかったよ」


 セイヤはたった一人、玉座に座るミストの前に立つ。


「そう邪険にするな。一緒に殺しあった中ではないか。くくっ、それで? 南の残党どもは我が軍に降伏するというのは間違いないか?」

「ああ」


 セイヤが頷くと、ミストは機嫌よく笑う。


「そうかそうか。それで、ただで降伏するというわけじゃないんだろ? 貴様の望みはなんだ?」

「……」


 ミストの圧倒的支配者としての圧力を感じながら、セイヤは一瞬黙り込む。彼女はまるで悪魔だ。契約者の望みを叶えるために、魂を要求する悪魔。


「魔王を――」


 だがそれでも、セイヤは彼女に賭けるしかなかった。


「うん?」

「魔王イリーナを、一緒に救出して欲しい」


 道中に現れた魔神によって片腕を奪われ、それどころか守ると約束した少女まで奪われた勇者は、歯を食いしばりながら、絞り出すように言葉を紡いだ。


 例え悪魔と契約してでも、イリーナを取り戻す。そう心に誓いながら。

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